ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

楽器のレッスン、、、なーるほどぉ、、、

2020年08月28日 11時56分00秒 | 音楽&トランペット&レッスン
おはようございます。本日の表紙は昨日書いた絵手紙(笑)
20年近くぶりに描き始めるのだーぁ。


ところでー!!

楽器のレッスンってところで、いろいろモヤモヤしてたことを自問自答してみたので、よかったらお付き合いくださいー。

昨日のレッスンの振り返りをしてて、何かレッスンが楽しみで知らんけど練習してしまうなー、、、みたいにならんもんかね?とか、

ついつい「ここを直したらもっと良くなるだろうよ!」というところを注意してしまうので、何だかダメ出しばかりみたいになっちゃうなぁとか、

せっかく何かしらその生徒の基準で前回から頑張ってきた何かがあるだろうけど、そこはさておき良くなってないところを注意されるんじゃー、テンション下がるかなぁ、、、とか、

やっぱり「楽しく演奏する」ってのが一番お客さんにも伝わるだろうし、そこは大事でしょー??でも、じゃあ楽しさを追求すると、レッスンではどうするのが良いの?とか、

そんなことをいろいろ考える訳ですけど、


うーん、もちろんレッスンで生徒がチャレンジしてみたくなるような課題を出し続けるってのが、理想的ですし、進歩が認められる部分(それが課題として出したところじゃなくても)は、大いに褒めるのが良いと思いますし、


そう思いつつ、例えば技術というよりは「ニュアンス」であったり、リズムの「キャラクター」であったり、「音色」「音程」「役割」など、

そう簡単に出来るようにはならないんだけど、大事なところ、、、ってのがめっちゃあって、

そこが結局何度も何度も繰り返しダメ出しポイントになってしまう…

でも生徒はそう簡単には理解できないから、???がいっぱい出たり、分からなくなって不機嫌になったり、無力感を感じたり、、、、


まぁ、そういうことになったりする。

で、分かりやすく取り組みやすい、としたら、テンポとか音域とか、そういうのは分かりやすい。ちょっと難しめなフレーズとかパターンとかも分かりやすい。


まぁ、そうすると達成感は得られるし、分かりやすいから良いね、、、と思うけど、

音楽ってそういうヤツだったっけ??みたいな気持ちにもなってくる。


楽器の扱いを教えるのが実技のレッスンじゃないですか?!という風に考えちゃえば、そーですね。。。じゃあ、楽器が思い通りに操れるってところが主体か、、、って思ったりもするけど、


逆に、本当は「音楽」ってモノが主導権を握ってて、「これを演奏したい!!」とか「この気持ち聞いてくれー!!」って方が本来的じゃないかな?と考えると、楽器の操り方から教えるってのも、、、



というところで、


ははーーーーん。。

楽器を演奏するって時に、何で演奏するの???ってところ。。。


単純に、「音が出ると楽しい!」「大きい音が出てスッキリする」


みたいなパターンと、


「この曲をやってみたい」「こんな音を出してみたい」「この気持ちを届けたい」「あんな風に演奏したい」


みたいな場合があって、、、


そこをまず大事にしたい。

それで、じゃあレッスンって何ですか?ってなった時に、


朝浮かんだビジョンとしては、

教えてるこちらが気付く「大事なポイント」と、生徒に見える「ポイント」はズレがある。というか、その段階(レベル)ごとに見えるモノ(深さ)が違うから、認識できないレベルのものをいくら言われても、認識できないからどうにもできない。

でも、何かを教えて伸ばそうと思ったら、その「大事なポイント」は見過ごせない、、、


うーーーーん!!!難しいじゃないかぁー。。。


あ!!!そうか、

楽器を技術の方からだけ伸ばそうとすること、
それに音楽の周辺についての理解のレベル(深度)

人間の脳って、そこに物理的にはバッチリ存在するものであっても、自分の理解のフィルターにかからないものは「見えない」って、そういう機能なのよね。

これって、本当になかなか信じてもらえないけど、本当だから。

目の前に張り紙してあっても、見落とすとかあるでしょ??目の前にガラスがあっても、無いと思って進んでぶつかったことあるでしょ?「オーケストラの中から、チェロの音を聞き取ってごらん」ってチェロをよく知ってる人なら簡単でも、知らない人には絶対できないよね。そこにその音はあるのにだよ。


そんなわけでわからんものは出来ない。

それに、奏法を教えようとすると、どんどん尖った技術を教えようとしちゃうんだけど、それがなんの役に立つのか分からない人にとっては、どーなのかなぁ、、楽しいか、、楽しい人もいるか、、、楽器が上手く吹けることが楽しい人には楽しいか。。。うむむ。


そう思うと、日本って、「うまい」ってことに重きを置いてる人が多いかもなー。

いや、うまいのは良いんだけど、「それで??」ってこと、なーい???

私は「それで??」ってところがめーっちゃ気になる派。

そんなに(楽器が)上手いのに、なぜそれで曲や表現や内面に進んでいかないの?って思っちゃうんだよねー。

つか、音楽ってそっちでしょー?!


って思いながらも、楽器が上手い人をみると、おおおおおお!!!と思っちゃったりするから(笑)


あ、論点が逸れてごめんなさい。

そうそうそれで



楽器の技術を教えるってのも、レッスンでは大事だとは思うんだけど、

「音楽」や「その周辺のいろんなこと」ってのを並行してたくさん感じたり勉強したりしてもらって、

そうするとその子(大人でも)自体の「求める基準そのもの」が上がるから、

そしたら、そのレベルに合った演奏をしたくなるだろう。

その時点で、それが出来るための表現とその表現をするための技術をトレーニングするって方が、良いのかなって。


今は、楽器はうまいけど、そういうことはぜーんぜん知りませーん(必要ありませーん、知りたくもありませーん、面倒くさいし、勉強は嫌いでーす)的な、学生が多いのかなー。。。


それに、そういうことって、全然即効性が無いし、周りくどいし、そんなことより、もっと技術教えろよ!的な、

楽器が吹けるようになりたいんだよ!!

ってところに、尽きるような。

部活動のレッスンなんかだと、さらに顕著かもしれないねー。

「高い音が出ないんですけど」「ここが吹けないんですけど」「基礎を見てください」

レッスンは「医者」じゃない。

いや、医者もそんなこと言われると、「医者だって患者がちゃんとしないと何も治せん!!」って怒られそうだけど、

そうだなぁ、レッスンの先生ってのは、どっちかっていうと、医者というよりは親とか、場合によってはヒーロー(目標)だったりするのかなー。


そんな、チョチョイのちょいって簡単に直したり育てたりできるわけじゃなくて、

めちゃくちゃ分化してて、レッスンは技術だけ、ってんでもなくて、


一見無駄な時間もいろいろ使って、音楽やその周辺についても学びながら、そのレベルをひとつづつ上げながら、それに必要な技術を本人が持ちたくなるように仕向ける(笑)みたいな。

まあ、そうは言ってもまずは楽器が吹けるようになりたいですよね(笑)

そりゃそーだ。

今の話はもっと先の話ですね。

あーー、、、なんかずーっと楽しく目標持てるようにしてやりたーい!!

ん?つか、そんなにしないとやりたくないなら、無理してやらんでヨロシイ!!でもいいのか(笑)

いやはや、今日は書き始めは、めっちゃビジョンがハッキリしてたはずなんですけど、書いていくうちにさらにいろいろ出てきちゃって、そしたらかえってカオスになりました。。

今日も皆さんお付き合いありがとうございましたー。

わ!!昼だ!昼!!!

朝ごはんまだでした。それではまたねー!!

あ、宣伝。



明後日です。明日は3時半に出発しますよー。


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