ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

旦那の「アートにエールを」の動画撮りにー!

2020年08月26日 19時07分00秒 | 旅&温泉&おでかけ
ハーイ、みんな大好き奥多摩でーす。

夕陽をバックにシルエットで動画撮る!!というので、面白そうだから付いて来ました😆


ハー、、、奥多摩☺️


小河内神社⛩からの眺め。

麦山浮橋付近。

これが、その麦山浮橋。今、ちょっと壊れちゃったらしく渡れません。奥多摩湖に浮いてるんだよー。


何テイクくらい撮ったでしょう??いやー、やっば私も行って良かったわー。ナイスカメラマン(笑)

やっぱ、三脚で自撮りってムズイもんね!

結構な数撮って、なかなか良さげな動画が撮れたから、撤退。


で、私も楽器持って来たから、トンネル手前で2人でほんの10分くらいだけど、あれこれ高らかに拭き散らかしてきました(笑)

おサルさんがビックリしたらしく、キュエーキュエー‼️🐒

と泣き散らかして去って行きました。あはは。

というわけで、帰りに夕飯食べて帰りまーす。

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腸vs脳 ピンチになると喋りだす「脳」 現在・過去・未来

2020年08月26日 13時17分00秒 | こころ、メンタル、身体
こんにちはー!!!

今、だーい好きなTBSのドラマ【MIU404】。

何もかも楽しすぎる!!音楽も俳優もストーリーも何もかも好きだぁー!!

で今朝、その主題曲「感電」の入ったアルバム『stray sheep』と、ドラマのオリジナルサントラをApple Musicでゲットして、もう幸福の極み。そして米津玄師と得田真裕の才能に、もーホントすげーとしか言えない(笑)そして、こんな曲たちを作ってくれてありがとう、と言いたい。

というわけで、ただいま喜びながらサントラをかけながら書いております。



ところでー、、、


腸を中心とした、自分の本体を大事に意識しながらここ数日生きてるわけですけど、するってーと、面白いことに気がつきました。


楽器を吹くときも、やはり消化器を中心とした、まぁ言ってみれば身体本体全部(呼吸器とかアンブシュアとかそういう細かな感じじゃなくて、ってこと)を使って、、いや、使ってとか書くとまたちょっと変な感じに伝わるかもだけど、まあフルパッケージとしての身体を使って音を出すってことにすると、大変いい感じなわけだけど、

例えば、ちょーっと、「あ、、、このパターン、行けるかな?」とか「ありゃ?吹けるかな」などと思ったとしましょう。

そうすると、途端にちょっと消化器くんたちが若干の緊張状態(メンタル的な意味というよりは物理的に力が入るという意味)になって、


そうすると今度は、それまでほんのちょいバックグラウンドでちょいちょい喋ってただけの「脳」が、へーーーーーい!!と飛び出してきて、

「こういうときにはこうした方がいいよ」
「ここの力を抜いて」
「あー、、そうなっちゃうとほらほら」
「前もそうだったじゃん」

などと、いろんなことをご親切にもババババーっと話し出す。

で、凄く先の話まで出してきたり、もう終わった日のことを話したり、


そういう、冷静に考えたら「しても仕方のない心配」ってヤツを次々に生み出して、ダメ出しやら、指示やらを出してくる。

それは、「確かにそうだね!!」と言える内容(に思える)だから、争い難いのだけれど、

そこでふと冷静になってみた。


なるほど!!!!


脳というのは、「今」の瞬間ではなく、「未来」や「過去」などの「今ここに無いもの」を「想像」することが得意で、

ピンチと感じたときってのは、結局未来の危険を感じているときだから、

脳が「よーし!!オレに任しとけー!!!」と言わんばかりに、あれこれ指示を出し始めるのだけれど、

実際には「今」にしか何かをすることはできないわけで、

その今を担当してるのは、「腸」と思ってもいいし、身体と思ってもいいだろうけど、とにかく自分本体なわけで、


脳が働いてるときには「未来」や「過去」に意識が行ってるため、「今」担当の「身体」は身動き取れず、結局、脳が予見した未来に引き摺り込まれ、「ほらー、だから言ったじゃん!」と脳にダメ出しされる、、、、


という、全く困ったスパイラルにハマることになってるのだなー。


ということを発見しましたー!!!!


普通に楽しく吹いているときには、脳はせいぜい相槌とか、合いの手くらいしいか入れてないのよ。

でも、ちょっと「あ!!!」と思った途端に、めーーーーーっちゃ喋ってきた。

なーるほどなーるほど、、、、


腸は【今】担当、脳は【過去と未来】ってこの前ブログに書いたけど、それともぴったり当てはまるなー。。。と気づいて、めっちゃびっくりしている。


で、だとするとさらに先日書いた「コトダマ」とか「日本語にする」「モヤモヤを言語化する」ということこそ、脳にやらせることであって、それってダメじゃね???という考えもふと頭をよぎったけど、

そこでさらに考えてみたら、


「言語化する」という作業によって、

過去をハッキリと認識できる形に保存できる

未来に対しての行動指針を明確にすることができる

ってことかなーと。

なんでも過ぎてしまうと、人って忘れちゃうじゃん??私だけか(笑)

でもそういう時の感情であったり様子であったりを「言葉」にしておくと、「今」しか担当できない身体にはできない「保存しておいて後で取り出せるようにしておく」という、凄いことができるツールとなりうる。

本とか、資料とか、建造物とかって、そういう物じゃん?

過去が残してくれたモノ。

そこから学ぶことはいっぱいある。

それが本にもなってない、言葉になってないとしたら口頭伝承もできない、、、

そんな状態だったら、今の人間の生活って絶対無いよね。

言葉にできたから、形にできたから、未来に残せた。過去が伝えられた。。。。


それって、大事なこと!素晴らしいこと!!!


だから、脳がいろんなことを言語化して、過去や未来を考えるってのは、決して悪くない。

だけど、それが今を凌駕してしまうと、「今を生きてる」ことにならない。


そーいうことじゃないかぁああーーーーーーーー!!!!!!


今回のブログは結構良いところついてるーッって思うんですけどーぉ!!!

読んでくれてありがとう!

それでは、またねー!!
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