ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

うっかりポンポン!

2012年09月30日 16時52分58秒 | 雑感
あ~、うっかりしてましたよー。

保護者会の方から原稿の入稿がまだですが…というご連絡メールを頂き、完全に原稿書くのを忘れてたことに気が付きましたよぉー。


しかし…



何をどう書いたらいいか、まるで思いつきません…というわけで、困ったときにはひとまず何か書いてみましょうってんで、ブログなんぞを打ってるところなわけです。。。


書いてるうちに、書くテンポ感みたいなのが蘇って来ないか…ってね(;´∀`)



保護者会の方が出している季刊誌っていうのかな…そういう年に2回ほど出るちょっとした新聞みたいなのに、指揮者なもんで、毎回記事を投稿しなくちゃいけないんですが、何せ毎回毎回な上に、テーマが絞られてるので、だんだん書くことが不自由な感じになってきますです。

元来、何かを書くってのは嫌いじゃないんですが、毎回毎回同じテーマとなると、さすがにおんなじことを書き続けるのもつまらないし、さりとてテーマが変わらないとあんまり違うことも思いつかないんじゃよぉー\(~o~)/


毎回のお題は「スプリングコンサートを終わって」と「卒団生に向けて」…この2つ。


うーん。。。。


そして、一日があっという間にすぎるので、卒団生を送り出した「定期演奏会」のことが、たったの半月前のこととはいえ、はるか昔のことにも思えて、頭の中であんまり定かじゃない。。。

普通、もっといろんなことをちゃんと記憶していてもいいようなもんだけど、曲の暗譜は知らないウチにすぐできるんだけど、今朝のご飯を思い出すのが難しい私としては、大変なのです。


だからこそ、終わってすぐに書くべきだったんだけど、今年は演奏会よりもかなり前に依頼書を受け取ったもんだから、楽器のケースに入れたまま、存在だって忘れちゃってました…。


さーて、何を書きましょう~??なんて。。。


困ったなーぁ。
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音色

2012年09月20日 14時28分42秒 | 音楽&トランペット&レッスン
今日はお休みなので、しっかり仕込みをせにゃーならないところを、朝からついついiOS6の新機能はどうなんだろう???などと思っている間にあっという間に11時になり、慌てて床なんか磨いたり洗濯やらご飯やら…思いついて今更ダウンコートを洗ったりなんかして、あとはちょっと事務仕事なんかしたら、またもこんな時間であります。


で、ちょっと忘れドメ的に書くので、またそのうち違うこと言い出したら、出たな!と思ってください(;´∀`)…えへへ。



昔の自分といろいろ比べたところで全く意味がないということは、頭じゃ分かってるんだけど、まあついついやりがちであります。

音色について。。。


前は、いろんなテクニック的なところに問題が山盛りでも音色が良いと言われることが多く、でも自分じゃ別にそれについて特にどうこうしているわけじゃなかったので、さしたる確固とした原因…というか理由というか、とにかくどうしてそういういわゆる「良い音色」ってのが出るのかは、わかりませんでした。


楽器?MP?人間???



とにかく音色は気をつけてなかった。でも音程とか歌い方とか、和音ごとの倍音の乗っかり方とかそういうのは気をつけてました。かなり。



で、最近…


どーも、自分の音色に全く自信がない。そもそもどういう音がいいのかとか考えてなかったから、どうやったらいいのかとかも分からない。

とにかく前は結構好きだった自分の音があんまり好きじゃないときが多い。自分が好きじゃないと人だって好きになりにくいじゃんねー、そりゃー。




でね、


今、急に分かった気がしたから書くわけだけど…





音色なんて、もうその人固有のものなんだから、どうにかしようなんて考えたって無駄なんじゃないかって。



いや、むしろ、音色のことはもう考えないで、それより自分にできるのは音程とか歌い方とか響きとかそういうものだけなんだから、それに集中すべきなんじゃないかって!!!



いい音色なんてものにばっかり気を取られて、その他のことをおろそかにしちまってきたから、結果として音色が生きて来ないんじゃないかって。




うーん。急にそれに確信が持ててきました。


そして急に…

「歌なんて簡単よぉ。音程とリズムだけ。声はその人の持ってるものだから…」的に八代亜紀さんが話していたことが頭に蘇ってきた。



八代亜紀さんのハスキーボイス。あれはあれで好きだ。


あれを直して…で、だからどうだっていうんだ???むしろ、あの声だからこそステキだ。





トランペットなんかってのは、声よりも楽器としての「トランペット」ってものが間にある分だけ、少しばかりメカニックな風に感じるし、楽器を変えたら…マウスピースを変えたら…吹き方を変えたら…そしたら音色が変わるんじゃないか???みたいな思いが起きやすい。


でも、振動の源である唇やら、それを響かせてくれている歯だの骨だの体だの肉だの…すべてが人それぞれ違う。


だからやっぱりメカを通るとは言え、音はその人固有のものだ。


その固有のものをあれこれ考えても仕方がないのではないか??



それより、どんな風に歌いたいのか、どんなサウンドで響かせたいのか、そういうことのほうに心を向けたほうがいいのではないか!

どんな楽器ならどういう音がする…


それって、実際あるような気もする。そりゃーちょっとはある。でも超根本的なところは楽器が変わっても変わらない。


まあこう書いていくと、いやいや音程やらサウンドやら倍音やら…それが音色でしょう?となりそうでもある。


まあ恐らくそうでもあるに違いない。


でもこういうのって、矢印の向きが大切で、必ずしもA→Bだからって、A←Bではないってことはよくある。どちらからのアプローチかで結局同じでしょう?と思えることでも、行ける場合と行けない場合があるのだ。うん。そう思う。


というわけで、今日からしばらくは音色のことは考えません。ウシシ。
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きゃー(*´∀`*)基本が違うわ~!こりゃー楽しいッ!

2012年09月19日 20時47分19秒 | 動画&写真
あ~、こんな風にノリノリでやるのって楽しそう!

一見真面目そうな編成なんだけど、メキシコって…ステキッ!!!



こういうの好きッ!




Guaguanco.mpg
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ぱさーっと。。。

2012年09月19日 11時17分28秒 | 雑感
いや~、あっという間に水曜日ですね~(^_^;)

お陰さまで、ジュニアオーケストラの定期演奏会も、子どもたちの前日からのスイッチオンで何とか頑張ることが出来まして…。
大したもんだ…やっぱり子どもは天才だな…と思いましたわ…。

で、実家で月曜日はパサーっと過ごして火曜日、朝は新潟の専門学校でレッスンして、夜は銀座のゲルマニアに出て…。。




本日は夜の自宅レッスンのみ、ということでまたもぱさーっとしつつ、来週から始まる本番のことについて、ヒーとかヒャ~とかビビリつついるところです。



この数週間、いろんなことがありました。


心も折れたり、ピノキオのように鼻が伸びたり、モヤモヤしたり…いろいろしておりますですわい。


基本的にまるで嘘や隠し事が出来ないという、とても困った性格なため、マル秘的な相談事など口から出してはならないようなものが、いっぱい溜まってくると、普段はストレスフリーな私も人並みになんとなくストレス的なモノが溜まってくるもんだなぁ…。。。

小池龍之介的仏道的発想からすると、これは自分の頭の中で煩悩がぐるぐるしてるせいであって、実際に何かの攻撃を受け続けている、とかじゃないのに、頭の中で何度もそのことをぐるぐるさせるから苦しみが生まれ続けるのであって、たった今の現実ではないのだから、そういう無駄なぐるぐるを止めればすむことなのだよ…そうだ、そうなんだよ…まさにぐるぐる煩悩…それは今を生きてないのだから、死んでるのと一緒だと書かれておったが、そういうことだなぁ…とついに分かるようにはなった…けど、まだバッチリぐるぐるを止められてはいなくて、ぐるぐるに「気付く」というレベルであるよ。




ところで、



先日、とある会で、人間とはこういうモノなんだ!というのをちょいとみた。

中身はいろいろあれなので言えないのだけれど、



Aという事実があったとするでしょー?!


で、Bという本当は事実じゃないんだけど、大人の事情で、まあそういうことにしておけば丸く収まるし…ということで考えだされた、嘘も方便的なことがあって。



だから本来はAとBに全く関連性なんてないんだけど、AとBを聞いた人は、その2つを見事に関連付けて、「そーか!!!BだったからAだったんだねー!!!!」「どうりでAだと思ったら、Bだったからかー!!やっぱりね!」



って。



いやいや、全然関係ありませんよ!と心の端っこで思うのだけれど、Bは嘘ですというわけには行かない立場だから、「あ~、そーかなぁ…」みたいな。。。





そういうのをWatchingしていて、あー今は自分が事実を知ってる側にいるけど、自分だって、AとBみたいな話を聞いたら勝手に関連付けるだろうし、妙に納得するんだろうな…


と思ったら、あー世の中もっとよく見たり感じたりしないと、いっぱいガセ的なモノを関連付けて、あたかも事実であるかのように感じて、勝手に傷ついたり勝手に調子に乗ったりしてしまうよね…と思いましたさ。



人って、自分にとって都合の良いモノを取捨選択して、しかもそれがすべてのように考える癖があるって思う。


ここで言う、「都合が良い」っていうのは、一般的に言う自分に「都合が良い」ことではなくて、例えば自分がとっても悲しい気持ちのときにはその悲しさを裏付けたり強調したりするような事ばかりが目に付くとか、逆に自分が楽しくて仕方がないときは同じ情報(悲しい)がそこら辺にたくさんあっても、そういうことは目にも入らず、すべてのことが楽しい話と結びついて感じたり…



たぶん、この「フィルター」が「マイナス思考」とか「プラス思考」とかであったり、まあその人の性格を決めていたりするんだろうな。




何かをやって、「いや~素晴らしい!」と褒めてくれる10人と「ダメだな」という1人がいたとして、プラス思考の人は10人の言葉から「わーい!」と思うだろうし、マイナス思考の人はたった1人の意見がすべてを代表しているように感じて「ガビーン!」と思ってしまい、そのあと繰り返し思い出して傷ついたりするだろうし。


こんなの考えてみたら、ひょっとしてどっちも嘘かもしれないしどっちもホントかもしれないし、たまたまそこにいた人たちのリアクションであって、普遍的な評価じゃないかもしれないし、声の大きい人の雰囲気で流されて乗っかっただけかもしれないし、いずれにしても今や真実はどうだったかも分かりませんし、それを繰り返したところでどーにもなりゃーせんのだから、それを考えてる間は今のことには集中できないわけで、それだと小池龍之介言う所の「死んでるのと同じ」ってことなわけで、そのことが当人にとってどれほど重要だと感じようと感じまいと、脳内でグルグル回してたって、もう事実でもなんでもないんだよね。


結局、どんな事実が並んでいようと、その人なりのフィルターで勝手に情報処理しちゃうんだ。


これこれこうだからきっとこうに違いない!的に。そのフィルターがその人それぞれであるから、あたかも事実がいろいろあるみたいになっちゃうけど、本当に起こったことは何か1つのことでしかなくて、しかも一瞬で過ぎ去って行っちゃうから、もう今のことでもなくて、今は今でいろんなことが瞬間瞬間にいろいろ起きてて、集中してないと見逃しちまう!というほどたくさんのことが起きていて、過去のことなんかグルグルしてる場合じゃないのだ。


過去のことをグルグルさせると、自分が持ってるフィルターで濾したモノばかりが頭の中に揃っているんだから、余計に自分の思い込みは間違いない!と確固たる信念みたいになっちゃって、もうそれが真実みたいになって、それで余計にそういう情報を集めてしまい、結局今起きてることより、そっちに忙しく、でも自分の思い(込み)が正しい!私は正しいっていうのは、ぶっちゃけ快感(不快な事実だとしても、自分が正しいってのはアイデンティティが揺らがなくていい)なので、やめられないのさ。




そういうことがちょっとずつ分かって来ましたよ。



分かったからって出来ないところが、なんとも悲しいかなですが、分かったからいろんなグルグルを止めて、順番にやるべきことでもやるかな!!!と思う水曜のお昼でございますε-(´∀`*)
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心の迷いが…

2012年09月14日 00時26分59秒 | 雑感
この一週間、どうにも心が落ち着きませんよー。。。

人生だから、そういう時期もあるさ~っと思ったりもしていますが、なかなか普段は起こらないようなことが私の周りで山盛りに起きており、なんともかともさってもしっても…という気分です。



本番中にお巡りさんが来て、目の前で人が連れて行かれました。

自傷行為をした人がいます。

ちょっとした不祥事的なことになっちゃった人がいます。



1日の間に3つもビックリすることがありました。普通は滅多に起きないものだと思うんだけど、バッチリ起きております。


家のベランダにヤモリのヤモ吉くんがミイラになって落ちていました…。。。

トランペットのシリコンが膨張して飛び出しました…。


100円払ってグルメシティーの自分用のカードを作ったら、数日後に入会無料キャンペーンが始まりました。



ううう~




でもね、そういうのはことによっては大きいことではあるんだけど、集中すれば心をかき乱されずに行けそうなんだ。


でも本当に私が心乱れてる訳は、別なところにあって、それがあるから普段ならドンと受け止められるはずのことにユラユラしてるんだ。




その本当の訳ってのは…


今週末のジュニアオーケストラの本番のこと。



今年の5月から今のチーム(チビちゃんチームね!)で練習してきて、その成果を日曜日の演奏会でお客さまに聴いていただくわけなんだけど…


正直、今までの中で一番手こずってます。。。


最初は、子どもたちのポテンシャルが低いのか?と思ったのですが、どうやら「楽器を演奏する」ということに関しては、例年と遜色なくというか、むしろいいかもしれないくらいなんだってことがわかってきた。なんだけど、どうしてか…。

何かを話しても、「分かったよ!」とか「え?わかんない」とかの声には出さなくとも何かのリアクションがあったらいいんだけど、それがない感じなんだよね。

関心がないというのか?空気的にフワッとそれらしかったらいいっていうのか…それでいて周りと合わせるとか、何かに集中するとか、気をつけるとか、そういうことがいまいち続けていられないようなのだ。


どう説明すれば分かってもらえるのか、こういったら分かるのか?こう歌ったら分かるのか?

毎回非常に迷うし、いろいろ試す。

お!こういうと通じる!!!と思っても、それは長続きしない。



でもようやく時おり、「なんだ~、やっぱりこの子たちは天才だな。今年も行ける!!!」と思うことがある。

でも数分後にその気持ちはゆらぎ出す。


どーすりゃーいいんだ…。。。



本当にそんなことの連続で、ついに先週、本番前の最後の通常練習を終わった。



本番にやる曲は、かなり簡単な曲である。

例年は、このレベルの曲は7月には終わって、9月の本番に向けて、7月の途中から子供用ではない普通のオーケストラのスコアを使って、曲の練習をスタートする。

でも、今年はそれができなかった。5月に始めた曲から一歩も進むことができなかった。



今にして思えば、無理をしても少し難しいスコアにチャレンジさせたほうが良かったかもしれない。

子供用の譜面は、みんなが音を出して練習しましょう!というコンセプトだったり、難しいところはカットしましょう!というアレンジだったりなので、曲としてのパワーがかなり低い。

譜づらが簡単なのに、音が密集するので、よほど上手じゃないと、和音がクラッシュしてしまって、とても汚い響きになってしまうのだ。

こういう場合、普通の曲はさすが、伝統の中を生き抜いて来ただけあって、必要最低限の音で最大限の効果が出るような音を使っていて、非常に良いサウンドが期待できる。

なので、少々難易度が高くても、譜面さえ弾けてしまえば、ある程度いい形にできるし、子どもたちも難しいものにチャレンジして、良いサウンドを出せて、たくさんの拍手ももらえて…と大満足になる。




でも、今回みたいな簡単な譜面だと、「合わせる」とか「音を並べるだけではダメで、音楽を作る」などということをしっかりしていかないといけないから、口うるさくいうのだけれど、子どもたちにしてみれば、そういうことはあまり良くわからないし、譜面ズラはもう弾けてるのにやたらいろいろ注意されるし、意味が分からないってなるんだろうな…。

しかし、基本的なことだから、できて欲しい!!!という気持ちもたっぷりある。


簡単な曲で基本が出来てなけりゃ、上級の合奏に上がってから困るでしょうよ!!!と思う。
だから、簡単な曲の中で細かいことをさせたい。


でも、なんでもそうだけど、簡単そうなものほど難しいのだー!!!!!



今更ながら、今日、もう一度、スコアからバッチリ音を拾い直してみて、いかにデンジャラスに音が密集してるかがバッチリ感じられて、なおさら狼狽えた…。。。ヒックリかえりそうなくらいのダメージ。


これを本番前日だけで子どもたちに理解させることができるのか?

いや、別に理解せんでもいい。

そんなことよりも、本番はお客さんが大勢来てくださり、みんなの演奏を聞いてくださるのだよ!

だから、そんなボサーっと周りと合ってなくても、自分だけ遅くなったり、音程がまるで違ったりしても気が付かないで他所を向いてシラ~っと演奏してちゃいかんのだよー!!!何かを伝えるんじゃー!!!!


それだけでもしっかり感じてくれれば、わたしゃもう言うことはないよ。。。




今回は、ホール練習が前日が初なので、きっと子どもたちはホールの響きに焦るか、あるいはホールということを全く関係なく、自分だけ勝手に演奏するかのどちらかになっちまいやしないか…


このステキなホールで、お客さんがたくさんの中で、自分達に何ができるか…

そんなことに向きあってくれたらいいんだけど。。。






とにかくとにかくとにかく、いつになく不安なのだー。。。私が。



ときとして、頭の中にあった曲のイメージが、彼らの演奏してるグシャーっっとしてサウンドに置き換わっていることがあり、密かに焦り、いかん!!!そういうのをやりたいんじゃないんだ!!!でも…なんだったけ???となってしまっている自分にも気付く。




チビちゃんチームは、私に監督責任がある。

この演奏会までにどのくらい育てられるか…


自分の仕事に対しての責任を感じる。それが結局焦りになっているのだ。


今年の最初から考えたら、相当成長したとは思う。一緒に指導に当たってくださっている先生方も一生懸命やってくださっているから、本当に感謝している。

でもつい例年と比較してしまう。


いつもなら、もっとこうなっているはずなのに。いつもなら、こう言ったらすぐに出来るのに。どうなってるんだ…





旦那から電話が来た。


様子を話した。




「本番で上手くいかなくて子どもが恥かいて、あーこれからはもっとちゃんとやらなくちゃ!とスイッチが入るということもひとつ経験でいいんじゃない?」




いやいや…恥をかくのは、子どもじゃない。私ですよ、私。



ウチのジュニアオーケストラは育成スタイルなので、オケがチビちゃんチームと上級チームにわかれている。
だから、どうしてもこの上級チームと比較されたりして、なかなか辛いこともあるのだ。


やり始めの頃のほうが我ながら肝が座っていて、「これは育成なんだから、子どもの今までの成長を見せることができれば、あれこれ言われようが構わない!」というスタンスで心底やれていたのだが、長くやってくると、本番で上手くいかなかった年など、結構ウラでこっ酷く言われていることがあって、自分達の活動って全然理解されてないんだな…かなり辛かった。結局、本番を上手く聞かせなくちゃいけないんだ…とどこかから思うようになってきていた。


だから、結果の出しやすい、子どもにとってやり甲斐があって、しかもいい響きが出るような曲を選んだりしていた。



それで、ある程度成果も上がっていたし、レベルも年々上がってきていた。


でも、それをもう一度考え直し、またもう一回、腹を括るべき時期に来たのかもしれない。




私の焦りが子どもたちにいい意味で伝わればよかったんだけど、かけ離れていってるのかもしれない。

演奏する人間としては、本番は常に今できる最高のことをやりたいと思う。誰でもそうだと思う…思ってた…



それが、誰でもじゃないのかもしれない。子どもたちにはそういう考えが元々あるわけではなく、いろいろな経験から次第にその思いを持ち始め、そして強く持って、そしてどうしたら今できる最高の状態を本番に持っていくかの試行錯誤をしていく…というものなのかもしれない。


前提からして、違う場合もあるってことか。。。




ある意味、責任という観点から言うと私の演奏会でもあるけど、主は生徒の演奏会なのだ。


子どもの今の姿を正直にご披露する。このオーケストラの大きな部分は新潟市の税金によって運営されているから、まずはその税金を払ってくださっているみなさんに、活動の様子をご報告する…

で、そのときの演奏がみなさんを元気にしたり、楽しくしたりできたらさらにいいな…


そういう心構えも、今回のような子どもたちの場合には必要なのかもしれない。私が焦れば焦るほど、なぜできない?なぜやらない?と思えば思うほど、いけないのかもしれない。


悪い意味で、格好を繕うのではいかんのだ。まずは私が正直に、現実を見つめることが必要なんだ…


現実…現実…今…今…一緒にやっている子どもたち…聴いてくださっているお客さま…音楽…


それだけに集中して、その中でやれることをやる。。。




腹を括らねばならない。そーだ。腹をくくれ!!!肝をギュッと座らせろッ!!!


明後日が前日練習だ。


明日1日で、自分の心としっかり向きあって、今の現実をしっかり受け止めよう。まずはそこからだ!!!迷いから抜けだせ!集中しよう。



頑張りますよー!!!!


ジュニアオーケストラのコンサート、詳しくは第31回演奏会
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Schilkeくんのシリコンがー!!

2012年09月12日 20時22分25秒 | 音楽&トランペット&レッスン
ようやくSchilkeくんにも慣れてきた気がする今日この頃…


しかし、人生とはそんなに甘くはないらしく…





って、何かって?!



以前に、ピストンの押金の中にシリコンを入れてもらった話を書いたことがあったと思うんだけど、あれから特段シリコンがあるからどうのとか、なかったらどうのとか考えずに済んでいて、つまりきっとシリコンが入って自分的には落ち着いたんだと思うんだけど…。


数日前、ピストンを何気な~く見てみたら…

あらら???

3番ピストンにぴったりはまってるべきシリコンが心なしかはみ出てる???


んで、結局…




こうなりましたよ…( >Д<;)



1番ピストンは若干はみ出つつも、なんとかキープ。2番ピストンは完璧なジャストサイズで押し金の下にピッタリと収まってます。

ところが…

3番ピストンのシリコンは、完璧に1周り大きくなってしまって、押し金の下に何とか詰め込もうとしても、こっちを詰め込めばあっちがはみ出し的な感じで、どうにも収まってくれない…。。。シクシク。。。


最初はそれでも騙し騙し押し金の下に突っ込むことができたけど、もう今となっては2秒くらいしか保たないもんね~( >Д<;)





というわけで、吹いてる間にシリコンがニュ~ンと押し金からはみ出してきます。

それでもシリコンがある程度柔らかいので、3番ピストンを押した時に、ピストン本体との間に挟まったとしても、特に不都合を感じることもなく吹くことはできるんだけど、なんとも決まりが悪く、気持ちも悪い。



あ~、イライラ…


んで、じゃあいっそのこと、ぜーんぶ取っちまえばすっきりするかな~と、3つとも外してみた。




全くちゃんと吹ける気がしませーん。ガックリ。




音程も定まらないし、第一、なにやら抵抗感が足りなくなり、そのちょっぴり少なくなった抵抗感を唇で作ろうとしてしまうのがヒシヒシ分かったで、そういうことにはなりたくないなぁ…と思う。。。


仕方なく、ものの10分で元に戻す。


が、しかしまた3番のシリコンがニュイ~ンヽ(´Д`;)ノ



ホント、参った。。。


シリコンが何かの理由で膨張してしまったことは、さっしがついたけど、そこを何とか、膨張したんだから収縮してほしいと願う…。

で、ネットなんかでちょっとみたけど、どうやら収縮してしまうようなシリコンは高品質とはいえないらしく、収縮しないものらしい。。。


膨張はいろんなことで起きるみたいだ。


オイルなんかもその原因の一つのようだ。


でもさぁ~、冷やしてみたら収縮しないかなぁ…



氷水に入れてみた…。。。。


ボヨヨ~ン…大きさ変わりません。シクシク…


もしや温めるのか???とも思ったけど、さすがに勇気が出ないので、一応お世話になってるダクさんにメールしてみた。ついさっきメールしたから返事はまだ来ないけど、まあどうも交換するよりほかないのかな…



Schilkeって有名な楽器だけど、どうもマイナーな楽器なのか、このシリコンのパーツは通販なんかには出てないみたい。

楽器屋さんに行くのも手間だから、何個かまとめて通販で…なんて思って探してみたけど、今のところ通販はおろか、値段すら出てないし、このシリコンのパーツについて書いている楽器屋さんは、私が見つけることができたのは1件だけで、しかも新品についてくるナイスなパーツとして紹介されているのみであった。



私が取り付けてもらったのが、ダクなので、ダクにはあるに違いないが、きっとわざわざネットに載せるほどには需要がないのだろう。


あー、昨日諦めて銀座で買っちまえば良かった…などと後悔先に立たず。


それでも、もしや元のサイズに収縮したりしないかなぁ…なんて淡い期待やら、どこかで通販してないかなぁ…なんてこれまた甘い期待も。。。


前に取り付けてもらった時の値段を考えると1個1000円くらいだったと思う。
今年の4月に取り付けたから、たったの5ヶ月かぁ…


何だか短すぎる気もする。

原因をちゃんと知らないと、しょっちゅう換えるハメになっちゃうな。


どなたか、このシリコンのパーツについてご存知の方、情報をください!!!
直ると一番いいんだけどなー。。。


よろしくお願いします!!!
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あーもーいかんね。

2012年09月11日 16時16分57秒 | Weblog
我ながら、最近いろんなことに腹が立つ。


今の政治の世界の話を聞けば、こりゃもうやたらと腹が立つ。




この前はNHKスペシャルかなぁ…

復興予算と言われてるモノの1/4が直接被災地と関係ないモノに使われてると言う話をやってた。


例えば、復興予算から沖縄のあるところの道路を作るお金が5億円、国立競技場の補修にも数億円。一番呆れたのが、今まで外務省か何かがやってて、もう終了となった事業で、海外の若者を日本に招いて観光などをしてもらい、日本を知ってもらうという事業…それに被災地見学をちょいとプラスして復興予算に計上。なんと70数億円。

南極の反捕鯨団体対策にも20数億円。これも、復興予算だって!!


それぞれの省庁が、なぜそれが復興予算??と聞かれれば、それらしい理由を付けてたけど、それって、何にだって理由は付けられるわけで、問題は理由じゃなくて、限りあるお金を如何に有効に被災地のために使うかであって、うまい理由を付けてお金取ったモン勝ちなんて、あんまりだ!!


ましてや、事業者が集まって申請するグループ補助金てのを、あてにして被災地で頑張ってる人たちは、せっかく何ヶ月もかけて申請出しても、却下になったり。

なんと、岩手県のグループ補助金の割り当ては150億。申請は225億だったかな。とにかく全然足りない。


なんで、海外の若者を観光させるのに70億使うのに、
その日の暮らしも苦しく、
一日も早く、事業を再開したい被災地の人への予算が1県で150億なの??

また気仙沼の開業医の方は個人で2億円も借金して、被災地医療を続ける決意をしたそうだけど、政府の補助は1千数百万だそうな。足りないでしょー???


もう、そういうのを聞くと腹立って腹立って!!!


電力会社のトリックなんかもいろいろ分かってくると、それにも腹が立つ。


その上、うちの中でもちょいとのことで腹が立つことも…


全く心穏やかにいられないもんかね??と我ながら情けなくなりつつも、なかなか思うように穏やかにはいられないらしい…。。。


小池龍之介さんの本に、一日、何かの悪口とか愚痴とか全く話さないで過ごすとどれほど爽やかか、また同時にどれほど難しいか…と書かれていた。


今までに1日も出来てません。


ふぅ(;´Д`A


陰口とかはしてないけど、愚痴グチは気づけば山盛りに言ってますよ…シクシク。


煩悩を減らしましょう…。。
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集中力?空気的?

2012年09月09日 01時43分47秒 | Weblog
ジュニアオーケストラの本番もいよいよ明日に迫って来ましたー( ̄◇ ̄;)

なかなか定まらないまま1週間前の練習を終わったので、一人ヒヤヒヤしています。。。


ところで…


最近、ふと思うことがあります。


何となく、「真実に迫りたい」とか、「ホントのところを考えたい」とか、自分の信念にかけて何かを貫きたいとか…


そういうのが、なかなかなくなって来た気がしますです。


みんなが、テレビに出ている芸人さんのように、その場の空気を読んでその流れに乗る…

自分に求められてることを読んで、自分の信念とか、
事実とかのフィルターを通すことなく、その場の流れに乗る。

で、何となくそれが事実みたいな扱いになる。

そうすることが真実で、例えば、論理的におかしいとしても、そこを考えちゃいけないような雰囲気。


科学的におかしくても、みんながそんな雰囲気なら、
そっちに乗る。


ということは、裏を返すと、特段自分に信念だとかそういうモノはなくて、だから特に自分では責任を負うことも想像せず、その場の流れでやったり話したり…

あとで突っ込まれたら、自分じゃ説明できない、ダレダレが言ってたから…的な。


何かそういうのが、とーっても多くなった気がするのです。


自分の意見に自信がない、という場合もあるだろうし、単に考えるの面倒臭いって人もいるだろうし…


ある意味では、空気を読むってのは、とても良いことだと思うんだけど、すべてが空気で決まっちゃうんじゃ、まるで進歩なし。


ハイリスク・ハイリターンなんてこともあるけど、やっぱりある程度のやり甲斐を感じるには、ある程度の責任を果たしてないと無理だし、責任があるってことは、時には失敗することもあるわけで、そうならないように、粛々と頑張ることも人生さ!なんて思う。



でも、近頃はどうもそういう失敗が許されないのか、それともあまりに失敗の経験がないのか、それとも、最初からそういうことに関わらない人生を選んでるのか分からないけど、なかなか正面からぶつかって来ない感じはある。


どうなんだろう??そういうのって…


私はそれはあまり良いとは思わないのね。


だってね、それでいて、そういう空気的な中でやってるから、不安定な感じになるし、フワフワしてるかと思えば、やたらキレたり、すぐ折れたりする人が多いし。
暖簾に腕押しみたいだったり、糠に杭…

その波は、子どもにも及びつつあるような…


大人の思惑、という空気。
子ども同士の関係の中の空気。


こういうモノの中で、大きく傷つかずに生きる。面倒なことはやらない。自分の頭で考えない。。。


誰々はそう言ってたけど、果たしてそうかなぁ?
いろいろ調べてみたら、こうなるみたいだけど、そこのところはどうなんだろう?


そんな風な考察ってのか、ホントにそうかな?と考えたり、試したりってのが少ない。


人の言うのを「ふーん」と聞いて、それで終わり。



情報過多。
過干渉。
無関心。


いろんな要素があるかもしれん。


子ども時代って、もっと貪欲でいいんじゃないかなー??

いい子じゃなくてもいい。

世の中を貪欲に自分のモノに。

その中で、次第にしていいこと悪いこと、向かうべき方向みたいなのを見つけて、それを粛々やっていくんだと気づいていく。



うーん、何とかもっともっと今やってることに集中して、それを貪欲に吸収してモノにしてほしい。

そしたら、なーんとなく空気に合わせて…とかってんじゃない、自分の全精力をかけてやることになるんじゃないかなー。

そしたら、そこに理解とか疑問とかいろいろ生まれて…


ほーら、楽しい!!

今まで、味気ない灰色だったものが、生きてくると思うんだよなー。


子どもって、イキイキとしてキラキラしてるのが、一番だよなー。うん。


と、私は思うなぁー。
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Skryabin Poema Ekstaza solo on trumpet Vlasenko Yu.E.

2012年09月05日 20時18分19秒 | 動画&写真
facebookのTrumpetclub.worldというところやWomen World Brassというところからから時々、メールが来て、youtubeのリンクがあったりするんだけど、英語だったり、ドイツ語だったり、はたまたスペイン語???だったりするので、意味もよく分からんし…みたいな感じでしばらくは、読みもせず削除…なんてこともよくあった。

でも最近、ときどきリンクを開いてみると…


あら~、世の中にはこんなステキなトランペットを吹く人がいたのねー!!!!!と、自分の考えの範疇からは絶対に探し当てることができなかったであろう、世界のステキトランペッターたちが次々に現れるので、これは見逃せない!とばかりに良く見ている。


で、今日…この動画を見た。



Skryabin Poema Ekstaza solo on trumpet Vlasenko Yu.E.



モスクワのMoscow state academic symphonic orchestraというオーケストラの演奏で、指揮はパベル・コーガン。スクリャービンか~。いいねぇ~。


おお!トランペット!!!

なんていい音なんだァ~。こういう音大好きだぁ…


すっかりファンになったもんねー!

こういう音、出したいッ!

この動画の写真の人だな!Vlasenkoって人なのね~!



まだ若そうだから、ロシアに行って生で聴きたいし、こういう人に習いたいよぉー!




…などと、果てしなく妄想をふくらませ、早速 Yuri Vlasenko さんについて、調べると…



なんと!!!!


(T T)


今年、亡くなっていた。。。




そうか…追悼の意を込めた投稿だったのか…。。。



こんなステキなトランペット吹きがいた事を知らなかったのもショックだったし、知った時にはすでに亡くなっているのもさらにショックだし、年がまだまだ50だというのもショックであった…。


この素晴らしい演奏は、亡くなるなんと1ヶ月前。


もっとたくさん彼の演奏が聞けたらいいんだけど…


探してみた…1つだけ発見!


A. Borodin "Prince Igor" Polovtsian Dances
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トランペット

2012年09月04日 18時20分09秒 | Weblog
カメラアプリをリニューアルしたからって、ちょっと撮ってみたわー!

今、使ってるシルキーさんです♪( ´▽`)
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