ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

2月8日(金)のつぶやき

2019年02月09日 05時59分15秒 | Weblog
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教えるとか習うとか、、、

2019年02月09日 01時01分09秒 | 雑感
こんばんはー!!

昼間に投稿するつもりが…

久しぶりにパソコンから投稿すれば早いじゃん?なんて思って、パソコン開けば、、、あ!!!ホームページ更新してないや!!とか、あ!編曲!!とか、あ!!参考音源を何とかデータ化しなくては…とか、わ!メール来た、調べ物しないと、、、、


うぉおおおおおお!!!!


ってやってる間に、

え?は????もう???こんな時間



そんなんばっかりです。。。いったい、、、

なんとかかんとか少しずつは片付いてるんですけど、あくまでほんのちょびっとです。。。

あのね、どうやらワタクシ、優先順位が付けられない人のようです。目についたものからやらないと、どんどん忘れちまうから、それをやってるでしょ?
終わるまでそっとしておいてくれたらいいんですけど、そのあいだに何か呼ばれたり用事ができたりすると、それもやらないと忘れちゃうから、それに取り掛かるでしょ?で、その前にやってたこと忘れちゃうから、、、をエンドレスに繰り返しますから、、、


1つのことを始めたら、本当は徹底的にやりたい人のようです。ずーっと続けてても嫌じゃないらしい。でもいっぱいやらなきゃいけないことがあると思うと、もうソワソワして、それを終わらせてない罪悪感に襲われますので、続けてられない。なので次に取りかかる…的な。

はー、、、


順番に「片づけて」スッキリしたいです。。。




前置きが長くなりましたがぁー!!


そう、教えるとか習うとかですね。

先日、旦那とふとそんな話をしたんですけど、

あらためてゆっくり考えると、
「教える」にしても「習う」にしても、「こうするといい」とか「こうなるように」とか、そういうものが「希望」や「楽しさ」や「喜び」の方へ向かうものであるといいなあと。


ついついなりがちなのが、「これはダメ!」とか「こうなってないなんて、ダメだね」とか「これができないなんてワタシはダメだ」みたいなのや、「こうでなくてはいけない」「これができなくてはいけない」「これをしなくてはいけない」みたいなのも、ありますよね。


教える方も習う方も、ついついこれこそが「教える」こと、「習う」こと、と思いがちだなぁと。


「抑制」方向に向かったり、「自己嫌悪」とか「自己肯定感が低くなる」とか、

これが、人間のエネルギーとかパフォーマンスとかを下げてしまう。

蚤も低い箱にひとたび入れると、ぶつかるのが嫌だから、その蓋を外しても、元のジャンプ力を出さなくなるっていいますよね。

それ!!!
それが起こる気がするんです。

その「蓋」にぶつかるんじゃないか?という「恐怖」と闘いながらジャンプするのと、蓋にぶつかったことがなくて、跳ぶのが楽しくてビョーンと跳んでるのとでは、エネルギーが違いますよね。


もちろん、音楽の場合、もしかしたらその「苦しみと闘ってるエネルギー」からも何かの表現が出るかもしれないから、それは無駄なことではないかもしれませんし、

私自身は一度そういう「蓋」の存在を知ってしまったら、もうないことにはできないわけで、そうなったからには、その「蓋」があろうとなかろうとエネルギーが足りるためにどうするか、、、そこに対して頑張ること自体にも何かしらの物語があって、何か聞いてる人に伝わるものはあるだろう、と思いますが、


もしもそんな「蓋」があるなんて、「知らずに」やれるんだとしたら、こんなにいいことはないですよね。

だから、教えるにも習うにも、蓋のことより、もっとここまで跳んだら楽しいよ、とかそういうことでやれたらどんなにいいかなーと思うんです。


さりとてね、


例えばこれがレッスンだとしたら、「もっと厳しくやってくれないと」とか「これじゃー、何にも習ってない感じ…」みたいなこともあるでしょ?



緩消法って、ほらほら!!コリを取っていくやつをね、やったとするでしょ?

でもこれって、ゴリゴリ揉むとかないし、私はものっすごく効果があると思ってるけど、その「やってること」自体はものっすごく何もしてなそうなので、もしそれしかしなかったら、「え?これだけ???」ってなりそうだなーと思うわけです。

医者もそうじゃん???

どうせ治せないんだけど、診断するだけじゃー、何もしてなさそうだから、薬出す的な。というか、患者の方が、薬出してもらわないと気が済まないってことの方が多いと思うんです。

それと同じ。

薬は実際には「毒」ですよね??

症状は抑えるでしょうし、もちろん何か特定のものであれば、薬でなければ治せないものや、薬で良くなるものもあるでしょう。
でも、それは極限定的。

万能じゃない。

でも、それを出してもらうと患者は安心し、お医者さんは喜ばれるしお金も儲かりますよね。
ただ、そのあと、もっと悪くなる。健康が侵されたりします。医原病なんてのも実は多いっていいますしね。


レッスンもそんなんなっちゃうことがあるんじゃないかと。


健康なんだから、楽しく元気に、ちょっと具合が悪い日もあるし、時間かけないと成長もしないんだけど、それが待てない。

早くどうにかしてくれ~!!!的な。


で、対処療法はできますけど、そのあとにはなんか健康が少し損なわれる。
そこでまた薬、、、

ちょっとよくなるけど…



繰り返す。


もっと、本当は違うところに教えるのも習うのもあるんじゃないか?と思うわけです。

でも、それがどうやることなのか??




そこを見つけるのは難しいし、

でも、それはもしかしたら、「普段の健康」「普通の成長」を見守る&育てるお母さんのような仕事なんじゃないかな?


医者みたいな「病気」や「怪我」のときにお世話になるものじゃなくて。

いや、そういうときにお世話になってもいいけど、


普段の成長や健康を「医者」に任せちゃダメで、それは毎日毎日、ゆっくり遠くから&近くから時間をかけて背中を見せて、、、、

そういうのなんじゃないかな~って、思うに至るわけですわ。




あ!!!!!!!!!


明日、早起きなんでした!!!ピーンチ!

くっそー、もう寝なくてはいけません。また考えます

それでは、またねー!!!おやすみなさーい。
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