ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

教員養成と金管楽器 その1

2017年08月16日 23時56分25秒 | 論文ネタ
実は、文科省の何やら基準が変わったらしく、大学の実技を担当する非常勤講師も、教員養成に必要な能力?研究?みたいな実績がないといけないってことになったらしく、過去10年以内に論文とか書いた実績が必要らしくて。

20数年前には2つくらい書いたんだけど(1個は修士論文だから、必要に迫られて。もう1個は吹奏楽学会に紀要にありがたくも載せてくださるってんで、書き直したもの)、それは10年以内じゃありませーん!!!ってことで、私も共著って形で一緒に書かせていただくってことで、どうかひとつ…。。。

ありがたいです。ハイ。単独じゃ大変なんで…ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3


で、共著なので、分量的にはあっという間にできる量何だけど、せっかく毎日ブログ書いてるんで、ここで練習がてらにときどき考えをまとめて行こうかなと!!!

なのでときどきお邪魔します。さりとて、本チャンに書くのとは全然違うタッチで、単に考えを出していくだけのために書くからどうぞお気軽に。




はいはい。


まずは、音楽科の教員養成課程の中で、金管楽器(私の担当はトランペット。もう1人 外山君がいて彼が残りの金管楽器を担当中)のレッスンというのが、どういう意味があると考えられるか。


列挙してみると…

1.「音楽」というくくりの中で、楽器のひとつとして体験する機会を持つ。
2. 将来「吹奏楽部」を担当することになった場合に備える。
→全く経験がないと、指導できるのか?という不安と戦うことになりかねない。
3. 自分の専門としてのトランペットの技術や音楽性を高める(トランペット専攻の学生の場合)
4. 自分の専門外の楽器にも触れることで、音楽的な感性を深める。



などかなぁ…

いくぶん被ってるような感じもあるから、今後さらに整理がいるな。


とりあえず、


a)経験者
b)未経験者


で、意味合いが違ってくると思う。
で、たった今は新潟大学で言うと、いわゆるゼロ免っていう、教育学部なんだけど、教員免許取らなくても卒業できる科があるのね。今年から募集してないから、今の2年生が卒業したら、ゼロ免のコースは終了。

そう、ゼロ免の子は教員にはならないから、トランペットの授業を履修してても、趣味ってこともあるから、目的がまた多種多様になるけど、一応論文的には「教員養成課程における」って前提だから、そこは置いとく。


楽器経験者にとっては、さらに深い技術や音楽性を…ってところだよね。経験者の中でも初級や中級の人なら、基礎の再確認みたいなところも大事かな。


で、そこまではきっとある意味、論文的にはさらに置いといてもいいのかなと。

するってーと、ポイントは未経験者だよね。


と言ったものの、

実際にここ数年レッスンしている実感としては、本当の初心者は結構それなりにすんなり吹けるようになったりするんだけど、実は「小学校でちょっとやってました」っていう学生の中に、全くどうしてもうまく行かない子が高確率で出てくる。何でなのかなぁ…。これが「中学で少し」だと、結構いけるの。
小学校でちょっと…は本当難しい。気の毒になるときもある。


んー、そうやって書いてみると、まさかここにひとつポイントは
があるのか??


よーし、ここからまた少し掘って行こうと思うよ!!

というわけで、みなさま、お付き合いありがとうございました!!

ごいけん、ご感想あれば、ブログが荒れないレベルで熱いコメントお待ちしてます。
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8月15日(火)のつぶやき

2017年08月16日 05時19分34秒 | Weblog
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NEXCOの「逆走」を禁止するCM

2017年08月16日 01時02分51秒 | 雑感
ここ半年くらい、ホントにびっくりするくらい車に乗ってますよっ!

んで思うのは、「ん?こりゃどうなってる道??」みたいなところが結構あるってこと。
NEXCOって書いたけど、それは高速道路に限らずなんだけど、例えば中央分離帯のある車線の多い道ね。そういう道に右折で進入するときに、果たしてその進入先の道が対面通行なのか、中央分離帯があって、その先に入りたい車線があるのかが俄かには分からない場合ね。

自分が先頭じゃなければ、前について行けばいいし、もちろんよく知ってる道ならなんも問題ないけど、初めて行くところとか、一瞬迷うよ。

あとは標識が分かりにくいところとか。道を単純化して書いてる様子が、現実とあまりに違うと、結局どの道に入ればいいの??って分からなくなったり。

標識が単に見にくい(樹木が茂ってて、とか風雨で薄れててとか)、道に進入するのに、想像では見通しが良さそうなんだけど、実際に車から見ると、ちょうど悪いところに信号機の何か大きな機械があったり、木や草が茂ってたりで、全く見えなかったり、、、そんなとこにはカーブミラーいるでしょ?的なね。


高速道路もやっぱり同じ、合流とかが結構分かりにくいところが多い。
本当、何度も行ってるところなら、なーんも問題ないけど、初めてのところでしかもパーキングエリアから本戦に入るまでがものすご〜くぐるぐるするとことか、始めに逆に進まないと本線に戻れないタイプとか、「んあ???」となりますよ。


で少し前、お年寄りドライバーの逆走とかがやたら取り上げられて、その流れからかついにNEXCOがCM打つという…。

で、「逆走は危険です!」的なね。

でもほとんどの人は逆走したいなんて思ってない。前に高速走ってて、電光掲示板に「逆走車あり」って出てて、マジ焦って、それ見た車がみんなうわぁって速度落としましたよ。結局どこまで行っても出会わなかったから良かったけど。

そう、だから「危険です」って言われて「じゃあ、やめよう!」って話じゃないってこと。
最初からそんなことはしたくないのよ。

したくないけどなっちゃう場合があるってこと。

そこが問題!!!!!


一般道も高速道路も、標識の工夫や、道路を作る時点で、もっと安全になるように工夫するってことが社会のためなわけで、「危険です」って言えば直るってことじゃないと思う。

そりゃー、いうと言わないじゃー、言った方が少しは良いかもしれないよ。でも元々ワザとじゃないからね、たぶん。

そういう、本来やるべき工夫をしないで、「逆走するとはなんて危険なことする人なのッ?!」的な風潮を作るのはそれこそ危険。行政や道路公団(元のね)がホントにお金をかけるべきところにかけないで、宣伝費でなんとか逃れようとしてんのかな??って思っちゃう。

広告費とかでなんとかしようっての、行政などの公としてはなかなかの手抜きだよね。だって一般の人ができない、そういうインフラ整備みたいなのをやらずに(税金や予算は取ってるだろうに)、広告で注意喚起して、「さーみんな気をつけてねッ」そんなの、先生とかお母さんでいいでしょう?

で、CMしてるんだから、事故があっても気をつけないあなた達が悪いよ!!とか、あんなに注意したのにまだ逆走するなんて、ホントに悪い人だね!!的な空気にさー。

もうね、今はNEXCOのCMのこと書いてるけど、本当にこういう変なカラクリのことがいっぱいあるんだよぉー。

そこにみんながしっかり目を向けて行かないと、今の子供たちはほんと生きづらい世の中に放り出されることになると思う。

いじめとかもさ、法律とか決まり作ればなくなるなんて思ってるなら、ホント笑っちゃう。
オトナがこんなに人をバッシングしたり痛めつけたり、自分のアタマは使わずに空気に流される世の中で、子どもだけはそういうことはしないなんて、あり得ないでしょ??

ちゃんと何があっても自分の人生を生きる力を与えたり、何があっても親は見捨てないよ、という安心感を与えてたりとか、そういうのが本当は大切なんだと思うよ。勉強しなさい!あなたのためなのよ、じゃなくてね。


若干脱線したけど、このNEXCOのCMも、やっぱりそういう「言っときゃ良いじゃん」的な風潮だよね。


どうでも良いことをあまりにもチマチマ突くんじゃなくて、大局のためには少々汚いこともあっていいと思うし、正義とかもどうでも良いけど、でも責任逃れのためのCMとしか思えないことでいいってことにすると、もうなーんもしないことが一番みたいな未来のない世界になっちゃいそうじゃん?

まぁ、とっても違和感のあるCMって言いたいのです。
コメント (2)
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