「英断、独断」6月21日
『大阪市 割れた休校判断 市長「全校で」短文投稿、混乱』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、『市の地域防災計画では、休校判断は校長が行う決まりだが、吉村洋文市長はツイッターで早々に「全校休校」を宣言。保護者の出迎えや問い合わせの電話で学校は混乱した』そうです。
ある学校では『地震発生時、児童のほとんどが登校途中だった。校長は「このまま帰宅させれば余震などの危険が伴う恐れがある」と判断、児童を校内で待機させた』ということであり、別の学校では『1時限目から通常通り授業を実施した。教頭は「余震の危険がある中で子どもを帰し、一人で被災させる方が怖い。そんな大事なことをツイッターでつぶやかれても常にフォローしているわけではない」と戸惑いを隠さなかった』のだそうです。つまり、市長の判断と校長の判断には齟齬が生じていたのです。
もちろん、『校長は、児童の登校後、すぐに休校を決断した。「泣きながら登校した児童もおり、余震があればパニックになりかねない」との思いがあった』という事例もありましたが、この決断には、市長のツイッターは影響を与えていません。市長のツイッターは9:20、児童の登校は8:40には完了していたでしょうから。
こうした状況に対して市長は、『「マニュアルを超えた超法規的措置」だったと主張。現場の意思疎通がうまくいかなかったのは、「教育委員会と学校の連携の問題だ」と述べた』ということです。ようするに自分は悪くないということですが、本当にそうなのでしょうか、大いに疑問です。
吉村市長は維新の会に推されて市長になりました。維新の会は、首長が地方教育行政の権限をもつという政策を推進してきました。その理由は、従来の教委は判断が遅く、民意に敏感な首長が素早い判断で教育行政を進めていくことのメリットが大きいというものでした。だから今回も、素早い判断をし、教委からの正式な指示命令という形を取らずに、ツイッターで発信したのでしょう。
記事に「混乱」という表記が見られることから、記事全体として市長の行動を非難していると思われますが、何が悪かったのかが明確に示されてはいません。ツイッターという発信方法に問題があったという立場を取れば、今後災害時には市長のツイッターをフォローすることというようにマニュアルを改めればよいことになります。そうすれば、市長のつぶやきは全ての私立校に周知されることになり、混乱は生じないはずです。
しかし私はそうは考えません。市長が判断するという行為自体が間違っていると考えます。私立学校には小中高特別支援学校と、様々な種類の学校があります。地域の状況も違います。保護者に勤め人が多く核家族が多い地域と個人経営の商店や工場が多く日中に大人が家にいるケースが多い地域では、下校後の安全確保の見通しは違ってきます。さらに、教職員の出勤状況も学校の位置や交通網によって異なりますし、土砂災害や火災などの発生状況も一様ではありません。だからこそ、ほとんどの自治体で、マニュアルは地域と子供と職員をよく知る校長が判断するとなっているのです。
今回の吉村市長の行動は英断ではなく、間違った独断であり、その背景には首長主導の素早い対応という形に対する過度のこだわりがあったように思えてなりません。