ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

優しい人に、という圧力

2018-07-03 07:49:09 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「どこまでがOK」6月24日
 放送タレント松尾貴史氏が、『SNSの「炎上」 正義の仮面をかぶってやってくる嫉妬』という表題でコラムを書かれていました。その中で松尾氏は、『(大阪北部)地震の数時間後に、ある女性タレントがインスタグラムでいわゆる「自撮り」写真を掲載し、「道が混んでてつかないー。困りました」とコメントを書き込んだら、「不謹慎過ぎます」「削除しろ」「交通渋滞以上に困っている方たくさんいらっしゃると思います」「空気読めや」などの批判コメントが続々と寄せられた』という「事件」を紹介し、『「空気読め」という言葉に象徴される、どこかで不幸が起きた時に、全国民が謹慎、自粛しなくてはいけないという強迫観念にも似た同調を強いるムードは、すこぶる不健康だと感じる』と述べていらっしゃいます。
 全く同感です。私もこのブログで、東日本大震災のときの過剰な自粛ムードを批判したことがあります。しかし、そう考える一方で、個人としてではなく、学校の教員の場合、どうなんだろうと考えさせられてしまいました。
 例えば、全校朝会で、校長が大阪北部地震で9歳の女児が亡くなったことを伝え、多くの夢や希望を実現することなく亡くなった幼い命への哀悼の意を示した後、教室に戻る途中、Aさんが、「一昨日、ディズニーシーに行ったんだけど、暑くて参っちゃった。でも、その分アイスは美味しかったよ」と大きな声で友人に話しかけていたとします。それを聞いたBさんが、「大変な地震があって死んだ子もいるのに、そんな話しないでよ」と非難したという状況を想定します。
 教員は何と言えばよいのでしょうか。もちろん、無視しているという選択もあり得ますが、Bさんから「ねえ、先生、そうでしょ」と同意を求められたとしたら、無視し続けるわけにはいきません。そのとき、Bさんの主張に同意すれば、教員は、松尾氏が非難する「過度に同調を強いるムード」に加担したことになります。しかし、学校の雰囲気や教員の文化を知る私からすれば、多くの教員は、消極的に、曖昧さを残しながらBさん側寄りの言動をとるはずです。教員の多くは、生命の尊さ、弱者への精神的連帯というような「美しい概念」への共感性が強いという傾向をもっているからです。
 そして、こうした教員の傾向は、実は、保護者や世間の人の多くが教員に対して期待していることでもあるのです。保護者に「我が子には、どのような人に育ってほしいか」と尋ねると、「優しい思いやりのある人」という趣旨の答えが返ってくるケースが多いのです。そして「優しく思いやりがある」人は、災害や不慮の事故に遭った人に対して、涙を流し、可哀想だとつぶやくような行動をとるというイメージがあるのです。つまり、Aさんのような子供像ではなく、Bさんのような子供像です。当然、教員にはBさんを支持することを期待するということになるのです。
 もし、教員が、「亡くなった子供は気の毒だけど、だからって楽しいことを我慢する必要はないよ」などと言えば、とんでもない教員として、噂が広まってしまうでしょう。臍曲がりで、変わったタイプの教員であり、指導主事であるといわれていた私でも、Aさんタイプを認めることは、少し覚悟が必要でしょう。
 つまり、松尾氏が問題提起した、過度の同調圧力というのは、学校がその原因の何割かを担ってきているのです。学校や教員が変わるのは容易ではないと思います。

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