「支持せず、が正しい?」6月23日
『「反自衛隊」の意識変化 県民の世代交代 増える容認派』という見出しの記事が掲載されました。沖縄県民の意識について、『日本に復帰すると、県内に自衛隊が配備された。当初は「反自衛隊感情」が強く、隊員の住民登録を拒否する自治体もあった(略)22年に沖縄県在住者を対象に実施した世論調査では、自衛隊の強化に賛成が40%、「どちらともいえない」が32%、反対が28%。18~34歳では肯定的な意見が多く、賛成が47%、反対派21%だった』という結果を報じています。
そしてその背景として、『(沖縄)県内では6月の「慰霊の日」前に沖縄戦に詳しい人から話を聞く機会を作るだけの学校も多い。学校や家庭で沖縄戦や基地問題について学び、話し合う機会が減っている』を挙げています。要するに、平和教育が充実していないから、自衛隊肯定派が増えているということです。
沖縄の平和教育が、体験者から話を聞くという形が主流になっているということは、私が再三このブログで指摘してきた、戦争の怖ろしさを強調する情緒的平和学習にとどまっているということであり、それだけでは戦争を未然に防ごうと考え行動する戦争阻止教育=真の平和教育になっていないという、私の主張を裏付ける結果とも言えます。
そのことは繰り返し述べてきたので、これ以上触れません。今回私が気になったのは、この記事が、平和教育が充実すれば自衛隊への支持は減るはずだ、という発想で書かれていることであり、自衛隊を支持しないことが平和を求める国民として正しい姿だ、という考えを根底に秘めているということです。
そうなのでしょうか。50年前のように、全国各地で、自衛隊員の子供は入学を認めないというような運動が広がる状況が望ましいというのでしょうか。私は違うと思います。それこそ、戦争のメカニズムに無知な、戦争の歴史を知らない人の言うことだと思います。
過去の戦争を見ると、戦争と戦争の間の期間に、軍人が軽んじられ、軍人や軍隊が自分たちは不当な扱いを受けていると不満を募らせているときに、戦争の芽が育ち始めているのです。軍はその恨みを忘れず、自分たちの存在価値を認めさせたいという願いをもつようになり、それが戦争開始の圧力となるのです。
我が国の歴史においても、第一次大戦後、軍人への軽視の風潮が強まり、軍人は軍服で外出するのを避けるようになったということが記録されています。娘の嫁ぎ先として、軍人だけはダメだというような考え方も広がっていたそうです。
自衛隊否定が戦争を遠ざけるのではなく、かえって戦争を引き寄せてしまう可能性さえあるのです。自衛隊は、災害救助などにより、国民の信頼を得つつあります。殺さない「軍隊」としての歴史を積み重ねてもいます。実際問題として、一定の軍事力が他国の侵略意図を低下させることも事実です。
自衛隊を過剰にでも過少にでもなく、正当に評価することは、戦争を阻止し、平和を構築する上で必要なことなのです。もちろん、国民による統治、政治によるコントロールの大原則を厳しく適用しながら、です。
平和教育における自衛隊の扱い方をどうするか、教員は研究と研鑚を重ねなければなりません。
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