ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

西洋式と日本式

2014-02-12 07:33:24 | Weblog
「おもてなし」2月5日
 星野リゾート社長の星野佳路氏が、「おもてなし」について語られていました。星野氏は、『欧米資本の高級ホテルと日本旅館の違いは何か?』という問いに対し、『客の要望に対して迅速に正確に応えるのが西洋のサービス』とする一方で、『おもてなしの特徴は、宿主のこだわりをしっかり客に伝えることです』と言っています。そして、『目利きの客は自分から具体的な要望はせずに、「今日はどういうもてなしがあるんだろう」と宿主のこだわりを楽しみに来るんです』と話しているのです。
 星野氏の話を学校教育に当てはめてみました。我が国では、学校教育において、西洋式と日本式の2つの対応が混在しているように思えます。客=子供や保護者と考えれば、保護者の意見を学校の教育活動に反映させていこうという発想が西洋式となります。それは、保護者による学校評価の導入や学校理事会制度という形で進行中です。そこでは、保護者の要望の是非を学校側が判断することは限定的であるべきという考え方が貫かれています。「そんなことを要望する方がおかしい」という反論や懐疑は、望ましくないものとして扱われます。
 一方日本式は、私立学校に存在します。建学の理念に基づき、「うちの学校ではこうします」という方針を明確に打ち出し、その方針を評価する、その考えに同意するという保護者だけが入学を希望してくるという建前になっているからです。そこでは学校の方針=宿主のこだわりに、身を委ねるのが正しい姿となります。なお、こうしたやり方は、高校ではともかく、通学の便宜という点で学校選択に一定の枠がはめられている小中では現実的ではありません。
 おもてなしもサービスも、客=保護者や子供を大切に思うという点では一致していますが、その元になる発想は異なるのです。さらに、そうした理念とは別に実態はというと、多くの公立校では、西洋式のサービスを徹底させることができないまま、日本式のおもてなしも中途半端という状況でしょう。
 我が国では昔から、「○○国では~、それなのに日本では~」と外国の事例を出して自国の問題点を指摘し、立派な意見を言ったつもりになる「出羽の守」が少なくありませんでした。その遺伝子が、西洋式をかっこいいものとして推進する力になってきた面は否定できません。しかし、本当に望ましいのは両方の良いところを取捨選択した折衷型ではないかと思います。そんな視点で学校のあり方を考えてみたいものです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 見る目を曇らす | トップ | 日本版「東海」事件 »

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事