ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

ボーダレス時代の宗教教育

2024-09-16 08:26:16 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「国際理解に不可欠な」9月11日
 『「隣人」の宗教 理解する時』という見出しの記事が掲載されました。「ニューカマー宗教の現在地 定着する移民と異教」の編著者、相愛大学客員教授三木英氏へのインタビュー記事です。
 記事の中で三木氏は、『外国出身者の宗教について『知らない』で済ませる時代はそろそろ終わりにしないといけない。より味わい深い人間関係を築くために必要なことだ』『外国出身者たちにとって「信仰」というものが、「多くの日本人がイメージする以上に大きな意義を持っていると理解する必要がある」』述べていらっしゃいます。
 なるほど、と考えさせられました。学校では、国際理解教育が行われています。地域に住む外国出身者と交流したり、食や衣服などの文化に触れたり、いくつかの単語を覚えてカタコトのやりとりをしたり、伝統的な踊りを覚えて一緒に踊ったりと、さまざまな取り組みが行われています。
 しかし、そうした交流の中で、宗教について学ぶ機会はほとんどありません。その理由の多くは、学校側、つまり日本側の宗教に触れることを極力避けようとする姿勢にあります。インド出身の方々との交流でカレーを食べる、カレーにはいっているのは鶏肉であって牛肉ではない、それはインドに多いヒンズー教徒は牛を神聖視し、食べることはないから、そこまでで終わりです。
 ヒンズー教とはどのような宗教か、なぜインドで広まっているのか、ヒンズー教徒であることで日本での生活の困ることはないのか、ヒンズー教徒の人は仏教やキリスト教、イスラム教や神道についてどう感じているのか、そうしたことについて、子供が疑問を覚えたとしても、そこを掘り下げていくことはないのです。
 まして、ヒンズー教徒が○○ならば、キリスト教やイスラム教の信者は、と疑問を広げていくような指導は、多くの学校で行われていません。そしてそのことについて、指導の不備、教員の怠慢などと批判する声もありません。むしろ、そうした課題に深く入り込んでいけば、特定の宗教に肩入れする偏向教育だと批判される可能性の方が高いでしょう。
 これで本当の国際理解教育と言えるのか、という疑問が生じてきてしまいます。日本人が自国内のとどまり、外国人を目にすることもほとんどない昭和40年代であれば、それでもよかったのかもしれませんが、これからボーダレスに多くの国の出身者と交わっていくことが必須な時代には、国際理解教育の視点から取り組む宗教教育というものが構想されなくてはならないと考えます。

 

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