ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

教員を目指す子供たちのために

2020-11-18 08:21:47 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「責務」11月13日
 ネットフリックスでアニメ作品を統括する櫻井大樹氏へのインタビュー記事が掲載されました。その中でに次のような記述がありました。『アニメの制作現場では、低収入や長時間労働など厳しい待遇に置かれる人が依然として少なくないことも憂慮する。「アニメ制作を目指す子供たちに「入っておいでよ」と言える世界にしなければ」。それも自らの責務と、心にとめている』。
 櫻井氏の、アニメ愛が伝わってくる記述だと感じました。アニメ作品そのものに対する愛情だけでなく、アニメ界で働く人たちへの愛情、そしてアニメ界の将来への愛情が込められた言葉だと思うからです。
 学校の教員に、櫻井氏のアニメ愛と同じような意味での学校愛をもっている人がどれくらいいるでしょうか。一部のとんでもない教員を除く大部分の教員は、子供への愛情をもっているはずです。私は末っ子の甘えん坊で面倒を見てもらうことに慣れ、他者の面倒を見たり世話を焼いたりするのが大嫌いでした。私の家族はそんな私が小学校の教員になると知って、大丈夫なのかと心配しました。確かに、教員になりたての頃の私は、言うことを聞かない子供に対して、「面倒臭い奴」としか感ぜず、教員失格でした。しかしそんな私でも、教員3年目を迎えるころには、子供といることが楽しく、自分のどこにこんな感情があったのだろうと思うくらい、子供たちに愛情を感じることが多くなってきました。そんな自分の経験からも、ほとんどの教員が子供への愛情をもっていることは間違いないと思います。
 学校は、子供だけでは成り立ちません。教員にとっても快適な場所でなければ、子供にとって楽しい学校にはなりません。多くの教員は、同僚の教員に対して同志としての連帯感をもっているのではないでしょうか。教員は世界が狭いと言われます。それは悪い意味で使われる言葉ですが、その一方で企業のような競争社会ではない教員社会では、助け合いや協働意識、良い意味でのおせっかいや自分のノウハウを惜しみなく伝える文化があります。これは、教員の教員愛だと言ってもよいのではないでしょうか。私も、勉強会や区の教育研究会の先輩から受けた指導には、今も感謝しています。
 そこまでは良いのです。ではその先、未来の教員たち、つまり教員志望の若者への愛情を意識している教員は多いのでしょうか。これから教員になる若者が、生きがいを感じ充実した教員生活を送ることができるように、学校教育の状況を整えておこうという意識をもっているか、そしてそのために具体的に行動しているか、ということです。
 残念ながら、ほとんどいないと思います。私自身がそうでした。私の周りには自分の生活を犠牲にしてまで、職務に邁進する教員たちがいました。生活上の問題を抱える生徒のために深夜まで働き、自腹を切ってファミレスで夕食を食べさせながら話を聞いてやるような教員たちです。
 彼らは、くたくたになりながら、そんな自分に教員としての誇りと満足感を得ていました。そんな教師像を理想としていたのかもしれません。でも、そんな働き方が教委として当然であるとすることは、将来の教員志望の若者に苦しみを背負わせることにもなってしまうのです。自分は出来たから、後輩にもこれくらいは頑張ってほしい、というのは、実は若い教員を疲弊させ、長期的に見たときに学校を崩壊させることにつながっていくのです。
 「教員をを目指す子供たちに「入っておいでよ」と言える世界にしなければ」。現職の教員には、こういう気持ちをもって職務の見直しや社会への働きかけを進めることが自らの責務であると考えてほしいと思います。

 

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