ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

一人ではできない

2019-09-25 08:16:56 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題
「合作」9月21日
 連載企画『南光の「偏愛」コレクション』は、陶芸家故河井寛次郎氏について、孫の鷺珠江氏との対談でした。その中で、南光氏は、『陶芸は、あるところまでしか自分では作れず、焼くのはお任せせんとしゃあない。我々も落語を稽古して稽古してやろうとしたって、お客さんの前でやらないと意味がない。お客さんとともに20分、30分やって最後に出来上がる』と述べていらっしゃいました。
 つまり「合作」ということです。教員の本務である授業もまた、教員と子供たちとの合作です。教員が事前に、教材を研究し、学習指導案を作成し、子供の様々な反応を予想して修正し、これで準備万端整ったと思って授業に臨んでも、うまくいくとは限りません。陶器が、窯変によって思いもしない姿を現すように、落語が寄席の客の個性によって予想外の盛り上がりを見せるように、授業も大失敗に終わることもあれば、意外な盛り上がりを見えた物の当初の狙いとはずれて方向に進んでしまうこともあるのです。
 だからといって、準備や研究が不要だというわけではありません。河井氏は、「焼くのはお任せ」と悟りつつも、造形に心血を注いだはずですし、南光氏も、一つの話を自分の体に染み込ませるために繰り返し稽古を重ねたはずです。そして、「合作」と言いながらも、自分が手を抜いたときの作品や話は、やはり不出来だったケースが圧倒的に多かったと思います。
 教員の授業に対する認識は、教員としての成長に伴って変わっていきます。初めは、一生懸命準備すればよい授業ができるという単純なレベルです。その後、準備してもうまくいかないことに気付きます。そこから道が分かれていきます。準備してもうまく行かないのであれば努力するだけ無駄だと教員用指導書を頼りにそれをなぞるだけの授業に甘んじる人、失敗を重ねながらも準備と工夫を続け、子供との合作と言うことに気付く人に。
 そして、そこから教材だけでなく、合作者である子供に目を向けるようになり、授業における子供理解、つまり子供の立場で授業を見直す視点をもつようになれば、ワンランクアップです。次は、子供理解を深めるために、印象に頼らずに事実を把握すること、つまり授業記録の大切さに目が向いていくのです。私がこのブログで、授業記録と分析の大切さを主張してきたのは、この「合作」意識に基づくものだったのです。
 何十回目になるか分かりませんが、授業記録の分析は、授業力向上の王道です。
 
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