ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

中毒患者を生んできた?

2024-05-04 08:48:47 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「評価の罪」4月27日
 書評欄に、芸人ヒコロヒー氏による『ありえない仕事術(上出遼平著・徳間書店)』についての書評が掲載されていました。その中の一文がとても印象に残りました。『仕事と評価というのは切り離せないが、、成功や評価の奴隷になってしまえば自分自身を見失うだろう。評価されるという経験はドラッグに近い。あの恍惚感は他に代え難く、名誉心を煽られ、そうして知らぬ間に競争を意識させられていく』です。
 子供は学校に行って勉強するのが仕事だ、などという人がいます。そのことの是非はともかく、子供にとっては、学校における評価が、大人にとっての職場での評価、仕事に対する評価に等しいものであることは想像がつきます。
 そしてその評価の半分は教員が行うのです。もう半分の子供同士による評価も、教員による評価の反映である部分や、その影響を受けている部分が大きく、教員の評価は大きな影響力をもっていることは否定できません。
 私も毎日、教員として、多くの子供に多くの評価をしてきました。「言わなかったのに、窓開けておいてくれたんだ。ありがとう、気が利くな」と口にするのも評価であり、「○○さん、悪いけどちょっと手伝って」というのも、○○さんを信頼している、そのことについて有能であると考えているという評価の意味をもちます。算数が得意な子供がテストで悪い出来だったとき、「○○さんらしくないじゃないか、どうかしたの?」と怪訝な顔をして尋ねることさえ、「先生は私のことを勉強ができること思っている」と伝える評価なのです。
 私は、「評価」をうまく使って子供に変容を促すのが、「指導力のある教員」だと考えてきました。指導主事として「指導力不足教員研修」を担当したときにも、学校訪問などで指導講評するときにも、こうした考え方に基づいて話をしてきました。
 俗に、「叱ることと褒めることが上手くできれば教員として一人前」と言われます。褒めることも叱ることも評価ですから、評価力=教員力という考え方は私だけのものではないはずです。しかし、ヒコロヒー氏は、評価=ドラッグの恍惚感と言うのです。効果がありすぎて、子供を中毒に追い込む劇薬だと。評価力のないダメ教員は、子供を変えることもできないが中毒にすることもない、評価力のあるできる教員は、子供を変えると同時に評価中毒症患者にしていまうということです。
 常に高く評価されることを求め、高い評価を得るとその快感を忘れられずに、もっと強烈な快感を得るために、つまりより高い評価を得るために自分を追い込んでいく、そんな子供を育ててしまうというのです。
 この中毒症の子供というのは、かつて問題になった燃え尽き症候群の子供像と重なります。ずっと「良い子」とほめられてきた子供が、中学校、高校と進む中で優等生からその他大勢になり、自分の存在価値を認められなくなって、あらゆることに意欲をもたなくなっていく、そんな現象です。
 これはまさに、高い評価を追い求め、ついに望むような評価を得られなくなった重症の評価中毒患者の姿ではないでしょうか。私は間違ったことをしてきたのだろうか、そんな気がしてしまったのです。まあ、私は指導力=評価力のない教員だったので、教え子に中毒患者は出なかったと思いますが、そんなことは慰めにはなりません。
 

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