ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

消去法の否定

2019-09-18 08:13:17 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題
「もちろん正しい」9月13日
 コラムニストジェーン・スー氏が、人生相談欄で、30歳の女性からの悩みに答えていました。『消去法で選んだ道だったため心の底から打ち込めず、勤めた会社も3年で辞めてしまいました。その後、事務職に就き楽しく過ごしていますが、給与は低く、周囲の「大学まで出たのにもったいない」の声に、続けるべきか悩みます』という相談です。
 スー氏は、『消去法で選んだ道とありましたが、無理していばらの道を選ぶ必要はありませんし、無理をすることが尊いわけでもありません。やりたいことがハッキリわかっている人なんて、そうそういません。私もそうです』と回答しています。
 その通りだと思います。と同時に、この相談者は、近年盛んになってきた「キャリア教育」の犠牲者なのではないか、と感じました。中学生のうちから、自分の適性を把握し、様々な職に就いて理解し、自分が進むべき道を明確にし、その目標に向かって努力し続ける、そんな生き方こそが望ましいという価値感を刷り込まれた人たちなのではないかということです。
 30歳という年齢は、ちょうど「キャリア教育」が重要視されてきた時期に中学生になった世代と重なるからです。「自分の得意なことは?」→「英語の成績はいいんですけど」→「それでは通訳や翻訳の仕事なんかいいかもしれませんね」、「自分の性格は」→「のんびり屋で、少し人見知りかも」→「それでは人と交わる通訳は難しいかも、一人ででもできる通訳の方が向いているんじゃない」、「英語をさらにスキルアップするために何か考えてる?」→「別に…(私って駄目な奴かも)」という調子で、無目的に風に流されてその日その日を生きることに劣等感を抱かせる指導が行われてきた傾向があったのです。特に、初期のころには。
 可能性として、人生には無数の選択肢があります。しかし、年齢を重ねるにしたがって、現実には、選択可能な選択肢はごくわずかに限られてきます。小学生のとき、エースで4番だった子供が、将来やプロ野球選手という夢を抱いても、中学校ではレギュラーだけど7番バッター、高校では代打か代走で出場するくらい、大学に入ったら野球は止めて、たまにキャッチボールをしたりバッティングセンターで汗を流したり、というように。小さい頃の無邪気な夢はともかく、何かを目指し一筋に、という生き方は確かに立派ですが、多くの人には縁のないものです。
 そのときどきを楽しみ、様々な経験をし、消去法で与えられた場であってもまじめに働き、その職がときに楽しく、ときに充実感を与えてくれ、しかも誰かの役に立ち、自分が経済的に自立できるのであれば、それで十分だという考え方こそが、仕事への向き合い方だと思います。
 おかしな「キャリア教育」が行われ、犠牲者が生まれないよう願いたいものです。
 
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