ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

「遺伝」への対応

2020-07-06 06:55:51 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「遺伝が教えること」6月29日
 『知的刺激のある環境を』と題された、行動遺伝学者安藤寿康氏へのインタビュー記事が掲載されていました。とても興味深い内容です。いくつか考えさせられた言葉を取り上げてみます。
 まず、『勉強の「やる気」に遺伝の影響はありますか。◆あります。おおむね4割程度とされています。しかし、その子どもの遺伝的素質にぴったり合った先生との出会いがやる気を生み、成績が伸びることもあります』という記述です。
 それはそうだろうと思います。私自身、愚図な子供だったのに、高学年の担任だったN先生によって、それなりにお勉強のできる子供に変わったという実感をもっています。では、N戦線は素晴らしい教員だったのでしょうか。大学生になって同じ学級だったS君と話す機会があり、S君が「N、ひどい奴だったな」と言うのを聞かされたとき、正直言葉が出ないくらい驚かされたものです。私が「恩人」とまで感謝しているN先生がひどい奴なんて、と驚いたわけですが、自分が教員になってみると、そうしたことは珍しくないということが分かりました。
 学校のルールを守らず、子供を放任して好き勝手にさせているM教員。教員仲間からも、管理職からも、保護者からも評判が悪く、本人もそのことを自覚し、「自分は嘱託で残れないかな」と口癖のように心配しているようなありさまでした。とても真面な教員ではありませんでしたが、Hという女児だけは、M教員に心酔していました。干渉されず、何をしても叱られず、放置されたままで、好き勝手なことができるというのが嬉しかったようでした。
 もちろんその逆に、多くの保護者や子供から好かれ支持されている教員が、特定の子供だけからは蛇蝎の如く嫌われているというケースもあります。私はこのブログで、「著名人が語る心に残る恩師」のような企画に対して、それは良い教員ではないというような批判をすることがありますが、安藤氏の言う「遺伝的素質にぴったり」という偶然の要素に左右されるからです。子供や保護者個人の評価を教員の評価に直結させてはいけないのです。
 もう一つは、『例えば、歴史の中でも特に縄文土器に関心を引かれるなど、ピンポイントで面白いと思う瞬間があったとします。それで自分でいろいろ調べたりする。でも一般的な入試では、縄文時代の知識だけではだめで、歴史全体の流れや専門用語、年号を正確に覚えておかないといけない。それで歴史を研究する道を諦めてしまう子どももいると思います』という言葉です。
 遺伝的素質を生かすにはという記者の問いに対して、『何か心にひっかかったものに対して適切な方向付けを』と答え、その具体例を述べたものです。私は社会科を専門としてきました。それだけによく分かるのです。小学校の歴史の学習では、3時間程度で一つの小単元の学習を終えることが多いです。そうすると、それまであまり授業に関心を示さなかった子供が、とても意欲的になるということがあるのです。
 私としては、やっとやる気になってくれたか、歴史の面白さが分かったくれたのかな、今まで色々と工夫して授業してきたのが報われた、というような思いを抱くわけです。ところが、次の小単元に移ると、急に元に戻って意欲が見られなくなってしまうのです。その原因は、安藤氏が言うところの「遺伝的素質に由来する引っ掛かり」だったのです。
 とはいえ、個人教授の家庭教師ならともかく、学習指導要領によって学習内容が定められ、学級という30数人の子供全員に目配りしなければならない学校において、縄文時代ばかりに学習を深めていくことはできません。
 現在の学校というシステムの中で、「何か心にひっかかったものに対して適切な方向付けを」とは、どうあるべきか、大きな課題を投げかけられたような気がします。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« らしさと個性 | トップ | ~のために、思いは同じでも »

コメントを投稿

我が国の教育行政と学校の抱える問題」カテゴリの最新記事