ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

学校ではできません

2019-11-02 08:32:24 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「どこで?」10月28日
 『ぼくが食べられない理由知って』という見出しの記事が掲載されました。『好き嫌いやわがままで片付けられがちな子どもの強い偏食について、近年、発達障害に起因する感覚過敏・鈍麻やこだわりの強さなどが関連していることが分かってきた』という問題について啓発する内容の記事です。
 『普通の人では気にならない食べ物の舌触りやにおいが気になってしまう』『予測のつかない出来事が苦手な人も多く、なじみのない食材や自分の知らないメニューを敬遠する』というような傾向があり、アンケートによると、『見るだけで気持ち悪かったり、怖かったりする食べ物がある』『固さや食感によっては口の中に入れるだけで全身が苦しくなるほど不快な食べ物がある』など食べ物に恐怖感さえ覚える人がいるのだそうです。
 さらに、『食器や箸を使い、口に食べ物を運んで咀嚼する。その合間に他人と会話する。食事は同時並行で体の様々な部位を使う複雑な運動だ』ということで、『周囲の環境も食事を困難にする要因』だというのですから、その苦労、苦痛が偲ばれます。恥ずかしい話ですが、私は発達障害のある方が、こうした傾向をもつことを知りませんでした。教員時代に無知による給食指導で、何人もの子供を苦しめていたのかもしれません。
 記事では、対応法として、『調理前の食材の色や形を見せたり、一緒に料理したりすることによって、子どもが「これは自分が知っている食べ物だ」と認識できるようにする。どんな大きさや食感がいいのか、子どもに話を聞く。食事の際に、食事だけに集中できる環境を整える』などが挙げられていました。
 なるほど、です。では、こうした対応は誰がするのでしょうか。記事は、保育園の連絡ノートに書かれた偏食の記録から始まっています。小学校の給食時間に居残りをさせられた体験が綴られています。『教員が知識がないままに指導する場合(略)「三角食べ」だった』と、給食指導が子供を苦しめるという指摘がなされてもいます。学校で、上記のような指導をすべきということなのでしょうか。
 正直なところ難しいと思います。この記事を書かれた記者の方も、そこまでは要求していないと思います。しかし、給食時の対応の問題点や保育園での対応などを書かれていることから、読者の中には学校等での対応が必要と解釈する人がいそうです。我が国では、教育問題は何でも学校で、という風潮が強いことを考え合わせると、こうした記事では、あえて「家庭で」と強調してもらわない限り、学校への要求が強まるという結果になりかねないように考えます。
 学校でできることは、食べることを強制しないことぐらいです。

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