ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

大学生は放っておけ

2017-03-21 07:56:54 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「腑に落ちない謝罪」3月13日
 『男子学生在籍信州大が会見』という見出しの記事が掲載されました。石川県で女子高生が殺害された事件の加害者とされる学生の通う大学が信州大です。記事によると、副学長が『被害者、家族に謹んでお悔やみ申し上げるとともに、世間をお騒がせし申し訳ありません』と陳謝したそうです。
 私は今回の事件について、大学側が謝罪することに強い違和感を感じます。大学の管轄下、例えばゼミの合宿や学生が所属する研究室の調査活動下で起きた事件ではありません。また、管轄下ではなくても、サークルの合宿等、準管轄下で同大に在籍する多くの学生が集まるという状況下で起きた事件であるというのであれば、遺憾の意を表すぐらいのことがあってもよいかもしれません。
 しかし、学生とはいえ成人であり、大学のある長野県を離れて実家のある石川県に戻って起こした犯罪についてまで大学が陳謝しなければならないとすれば、大学という教育機関は、全ての学生の24時間、365日の行動を把握し、注意喚起したり指導したりしなければならない責務を負っているということになります。しかも、世論の圧力を受けて、というのではなく、大学側が自主的に会見を開き陳謝したというのですから、大学側は積極的に自ら責任を背負い込もうとしているということなのです。
 大学は、学校教育法で「学術の中心」という性格付けがなされています。本来、いわゆる生活指導的なことは求められていないのです。むしろ、「学術」に関すること以外で、学生を過剰に管理することは望ましくないはずなのです。 
 さらに、仮に生活指導的なことを行うとすれば、学生について様々な情報を収集し、「学生理解」に務めなければなりません。信州大は総合大学ですから、多くの学生が在籍します。数万人に及ぶ学生全員について、交友関係や経済状況、性格や興味関心の対象、抱えている悩みや健康状態など、大学側が把握することは可能なのでしょうか。とても無理だというのが、現状だと思います。また、一人一人についての情報収集や分析、共有、指導方針の確立などに力を注ぐよりも、「学術」の充実に力を注ぐのが、本来の在り方です。大学は幼稚園や小学校ではないのですから。
 私は、我が国の「子供に関することは何でも学校で」という、教育における学校偏重主義が、学校教育に過重な負担を強い、教員の多忙化をもたらし、学校を崩壊寸前に追い込む元凶だと考えています。それなのに、大学でさえ在籍する学生の管轄下以外の行動にまで責任を負うということになれば、小中学校では、それこそ24時間教員が子供を尾行するか、常に監視カメラの範囲内に置くような体制づくりでもしない限り責任を果たせないことになってしまいます。
 信州大学には、学校と家庭・社会の役割分担に思いを致し、そんなことにまで責任を負うことはできない、と突き放すくらいの自覚をもってほしかったです。 

 

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