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人間は始めから“神の子”だった

2018-08-18 17:15:48 | 日記
新約ヨハネ伝は
人間をロゴス(神の言)と観る。
親鸞聖人等の大乗仏教も人間を仏と観る。
生命の実相第8巻『無限生命に汲む道』では
人間は神の子だから
“人間我”なんてものは存在しなくて
始めから神我が存在するだけだと
書かれている。
その理由は
現象世界は「神の子・神の国」の実相世界の映し世だから
神の子に“神我”があるだけだというわけである。
現象世界を
「見えないものが本当にあるもので見えるものは心の影にすぎない」と気づかない人が
人間我をあると思っているにすぎないのである。
だから人間世界がいかなるものであるかの真理が分れば
「なんだ自分は始めから“神の子”だったのだ」
ということになり、
神のいのちを即座に生きることが可能なのである。
でも真理が分ることが前提である。

新約聖書「ルカによる福音書」

2018-08-18 11:19:01 | 日記
ルカによる福音書(日本聖書協会)
<第二章> 神殿での少年イエス
40 さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。
42 イエスが12歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った、
43 祭りの期間が終わって、帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。  

目に見えないものを観る目を開く

2018-08-18 10:52:25 | 日記
目に見えないものを観る目を開かないと
実相の完全世界は現われません。
しかし現象の世界の全ては
実は目に見えない「大生命」が
動かしているのであって
人の心臓が動いているのも
植物の成長を司るのも
天体の運行を支えているのも
この「大生命」が
やっていることであり、
その大生命が「実相」であるのです。
この目に見えないものを観る目を開くということと
自分が“神の子”であると気づくこととは
同じことなのです。

人生は思いのままになるのである

2018-08-18 09:57:23 | 日記
藤原敏之先生は
「出てきたものは全て影であって、
影の正体は心である」
と説く。
一切合切、現象に出たものは
過去の自分の心である。
だから自分の心を
実際は見えなくても、
「神の心」「神の理念世界」しかないのであると、
ものの観方を変えてしまえば、
今後は神に属するよきものが
次々と現象化することになるのである。
病気だけでなく
人間関係、そしてすべて現象に出たものは
変えることができるのである。
だから
人生は思いのままになるのである。

この世を神の国、人を神の子と見破った人には、一見奇蹟と見えることが普通に起こり得る

2018-08-18 08:33:55 | 日記
先日病院に行った時、
入院中お世話になった看護師さんに会いに行ったら
目を丸くして私の元気なのに驚き、
「さすがは」
と仰ってくれた。
稀に
考えられないほど元気になる人は患者の中にはいるらしく
医者もそういう例があることは
知っていると思われるが、
それを患者の心に原因があることを
認めてくれる医療関係者は少ない。
いたとしても患者の精神の在り方が、
あるいは自己管理が素晴らしいからと思うわけで、
内面的な人間観、世界観が原因というところまで洞察する医療関係者は
ほとんどいない。
私の身辺の者でさえ、
信仰が私を守っていると
思ってはいても言葉で認めたがらない。
それはこの世が神の国で人間が神の子であると
分らないからなのであるが、
こればかりは「信」の領域であるから、
限界があるのだ。
目に見えないものをあると思いにくいのだ。
一般的に
人と政治と宗教の会話は禁物と言われ、
政治は相対的に色々な考え方があるからそれでよいのだが、
この世は実は物質の世ではなく
神の国であるというのは
実は本当の話なのである。
神の存在は実感するしかないので
事実であっても説得が超むずかしい。
でもいままでの宗教が
間違った信仰の故に
人々に誤解を与え続けてきたために
宗教というと、
狂信者の集まりと考える人が多いのは
無理もないところはある。
そういう宗教でもいいなんて私は言うつもりはないのだが、
この世は神の国であり
人間は神の子(仏子)であるということは
真実なのであって、
正しい仏教やキリスト教も
言っているのだ。
神の子であるものに病気などあるわけがないから、
そのことを自覚した人が神癒するとか
術後軽快するということも
奇蹟ではなく
有り得るのである。
こんなことを書いても
私は現代医学を否定するつもりはさらさらないので、
誤解をなさらないでいただきたい。
私は現代医学のお蔭で助かった人間である。
現実に体に異常を感じると
心配しどうしようかとあせる気持は重々わかるが、
そういうのを快くし、健康な状態にもっていける方法が、
正しい信仰なのである。
それについては
私のこのブログで
私の信のできてきた経過を
見て頂く事を望んでいます。