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影にとらわれず“神の子”の信を深める

2018-08-06 16:13:07 | 日記
肉体は
過去の心の影に過ぎないと分り、
自分の本体は“いのち”である“神の子”であると確信できると、
影についていちいち心配することが
馬鹿馬鹿しくなってくるのである。
そういう風に
私はなってきた。
また7月31日あたりから
私の現在意識は
勿論神想観で実相を観るようになってきたからなのか、
潜在意識が協力してくれるようになってきて、
信仰生活が
とても楽で楽しいものになってきている。

人生は“神の子”が心で描く「一枚の絵のようなもの」

2018-08-06 11:13:40 | 日記
人生は“神の子”が
それと知って時間・空間世界に
一枚の絵を描くために存在している、
ということが
次の道元禅師の説明で分ります。
正法眼蔵を読む 仏性の巻 谷口清超著)
【<皮袋に撞入>
いわんや、雲居高祖などは次のように言われたのであった。
「たとい仏法のことを何ほどか学んで、悟り、行じたとすれば、これがすでに迷い心である」と。
それ故、中途半端な仏法についての学問や修業を長い間やって来たからと言っても、これはつまりあたかも「肉袋に入ってきた狗子」のようなものであり、根本的には現象界のできごとで、迷いに迷っているのである。が、その本質は、たしかに「知って故(ことさ)らに犯す」のであるから、仏性であり、これは決して迷っていない。迷わぬものが、迷った姿を、“ことさら”にあらわすのだ。何故なら、それが仏性の表現に他ならぬからである。「中々成仏せぬ」というのも仏性だが、そのわけは「彼が成仏せぬ」のであって、ことさらに“犯して”いるという恰好である。】


ここがこのまま実相世界である

2018-08-06 09:57:22 | 日記
藤原先生は
たった今昼で
恥かしいほど明るいのに、
人は暗い暗いと言っていて
人生苦に、あるいは病気に悩んでいるのであると
おっしゃっています。
実相世界が「神の子・神の国」であり
現象世界はその写し世だから
同様に「神の子・神の国」であるのに
そのことに気づかずに苦しんでいる。
「見えるものはただ心の影にすぎず本当にあるものではなく、
見えないが本当にある明るい理念世界が
本当にあるものなんですよ」
とお説きになっています。
私たちは現に今
この現象においても
実相世界にいるのですよ、
そのことに気づき喜びましょう。

自分「神の子」であり「神の国にいつも存在している」との「信」が神癒を引き起こす

2018-08-06 09:55:27 | 日記
イエス・キリストは
病人に二言三言言っただけで
神癒を起こしました。
谷口雅春先生も
同様なことを
数多くなさいました。
これはキリストも谷口先生も“神の子”(つまり神)になられたので、
『人にはできなくても神にはできる』ことが
できたのだと思います。
それは「信」の形成です。
基本には「相手を神の子と観る」ことと
相手も「自分が神の子と信じた」ことで
為された奇蹟です。
相手の人物の今までの業であるとか因縁であるとかを
超越した奇蹟です。
藤原敏之先生のご指導も
病人に
「現象なし実相あるのみ」の真理を自覚させ、
「自分は神の子である」と自覚させて
因縁を超越させて、
神の子の自由を得させているものであり、
本当に「自分が神の子である」と気づけばよいのですから
「生命の実相」とか「真理」という本を読んだだけで
その“気づき”を引き起こし、
病気が治るというか消えることもあるのです。
本があり講話ビデオさえあれば、
自力で(人に頼らず神にたよって)奇蹟を起こせます。
要するに自分の本体が
「神」であり「仏」であると本当に信じれば
奇蹟は成就するということです。
ただこの「信」は
確立されるのに真剣さと素直さが必要であり、
普通は真剣な求道のはてに
神から与えられるという筋の
ものだと思います。
でも時間的に長い短いは人によります。
見えるものは心の影であり本当にあるものでなく、
本当にあるものは見えないが「神の円満完全のみ」であるという、
簡単なことに
「信」が成立すればよいのです。
たった今も現象に何が見えていても
みえないが明るい完全理念世界のみがあるので、
そのことを信じて
喜びつつ行動しましょう。