新約ヨハネ伝は
人間をロゴス(神の言)と観る。
親鸞聖人等の大乗仏教も人間を仏と観る。
生命の実相第8巻『無限生命に汲む道』では
人間は神の子だから
“人間我”なんてものは存在しなくて
始めから神我が存在するだけだと
書かれている。
その理由は
現象世界は「神の子・神の国」の実相世界の映し世だから
神の子に“神我”があるだけだというわけである。
現象世界を
「見えないものが本当にあるもので見えるものは心の影にすぎない」と気づかない人が
人間我をあると思っているにすぎないのである。
だから人間世界がいかなるものであるかの真理が分れば
「なんだ自分は始めから“神の子”だったのだ」
ということになり、
神のいのちを即座に生きることが可能なのである。
でも真理が分ることが前提である。
人間をロゴス(神の言)と観る。
親鸞聖人等の大乗仏教も人間を仏と観る。
生命の実相第8巻『無限生命に汲む道』では
人間は神の子だから
“人間我”なんてものは存在しなくて
始めから神我が存在するだけだと
書かれている。
その理由は
現象世界は「神の子・神の国」の実相世界の映し世だから
神の子に“神我”があるだけだというわけである。
現象世界を
「見えないものが本当にあるもので見えるものは心の影にすぎない」と気づかない人が
人間我をあると思っているにすぎないのである。
だから人間世界がいかなるものであるかの真理が分れば
「なんだ自分は始めから“神の子”だったのだ」
ということになり、
神のいのちを即座に生きることが可能なのである。
でも真理が分ることが前提である。
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