新約聖書「ルカによる福音書」 2018-08-25 11:49:51 | 日記 ルカによる福音書(日本聖書協会) <第四章>洗礼者ヨハネ、教えを宣べる 3 そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。 4 これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。
実相の心は不動、不変、常住 2018-08-25 10:38:25 | 日記 実相世界について 道元禅師が書いている箇所について 紹介いたします。 (正法眼蔵を読む 身心学道の巻 谷口清超著) <本来心> そこで一切の日月星辰、大地宇宙等の現象界はことごとく心である。心があらわれている世界であるといえる。心の変化した“もの”である。そこで心は、内にあるというべきか、それとも外にあるというべきか。内なる心が外にあらわれているから、どちらともいえる。心は来たるものか、それとも去るものか。来たり、かつ去るともいえるであろう。しかし、どこかに心があって、それが人間の中に来るというのでもない。一体心とは何であるか?生れたとき、一つの心がそこに増えるのか、あるいはそうでないのか。死のときに心は一つへるか? そんなことはあるまい。心は浮動するようでもあるが、本来の「心」は不動であり、不変であり、常住である。】
人は常に実相世界に存在している 2018-08-25 10:27:29 | 日記 たった今私は藤原敏之先生の 『神を生きる』というユ―チューブ動画を イヤホーンで聞きながら ブログを書いている。 藤原先生は 今何でも苦しんでいることがある人は、 「たった今昼なのに夜だと思っている人と同じだ」 とおっしゃっている。 「目を開けば昼で恥かしいほど明るいと判る」のだと おっしゃっている。 これはつまり 現象は心の影であるから本当にあるものではなくて、 実際は本当にあるもの“実相世界”があるだけなのだ、 ということである。 現象がどうあろうとそれは心の影であり、 目に見えない“神の心”つまり“実相世界”のみがあると 信じればよいのである。 この“信”が決め手となる。