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人間は“神の子”の自己実現なのだから、不完全であるはずがない

2018-08-26 17:15:01 | 日記
人間は“神の子”が
時間空間世界に実相を顕わして活躍しなさいということで
つまり“神の子”の自己実現の目的で
現象世界に生まれて来たのだから、
本来不完全であるはずがなく
神の子にふさわしい素晴らしい人生を送ることが
できるはずなのだ。
“神”であるのだから・・・。
(参考 安心と喜びを得る道 藤原敏之 日本教文社)
【このように何れの点からしても、人間が神の生命の現れであり、神の自己実現であると判るとき、人間と見えるまま神であり、完全円満であって、病むことも苦しむことも死も無いと判るのであります。死なないと判る時、人間は完全な自由が得られ、困るということがなくなり、このまま天国浄土となるのであります。】

新約聖書「ルカによる福音書」

2018-08-26 12:18:15 | 日記
ルカによる福音書(日本聖書協会)
<第四章> 洗礼者ヨハネ、教えを宣べる
 4 これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、
その道筋をまっすぐにせよ。
5 谷はすべて埋められ、
山と丘はみな低くされる。
曲がった道はまっすぐに、
でこぼこの道は平らになり、
6 人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

実在界の根底としてある山河大地

2018-08-26 11:27:57 | 日記
実在界(実相世界)がどんな世界であるかについて
谷口雅春先生がお書きになったのが
「実相金剛心の神示」である。
これは聖光録に乗っているが
正法眼蔵にも書かれている。
(正法眼蔵を読む 身心学道の巻 谷口清超著)
<本来心>
【一体、生とは何か、死とは何か。生のときはじめて心が生ずるのではなく、死のとき心が去るのでもないぞ。今迄考えた心とは、心の一念、二念、即ちあのこころ、この心についてであった。その時には、一念(あのこころ)が一つの山河大地、二念(このこころ)が別の山河大地となってあらわれていた。しかし乍らこの山河大地は、本当にアルのでもなく、何もないのでもない。本当の大地山河は、実在界の根底としてある。それは現象の有無をこえているのであり、大小をこえているのであり、又あそこにある、ここにはナイというものでもない。凡ゆるところに遍満するところの実在である。そしてそれこそが「本来心」であり「仏心」である。識、不識をこえ、通、不通(よくしる、よくしらぬ)をこえ、悟る、悟らぬをこえて、アリ通しているのが実在の山河大地だ。これ即ち、「本来心」である。このような真実の「心」を自から学習会得するようにつとめるやり方を「心学道」という。このことをしかと信じなければならぬ。】

藤原先生に救われた

2018-08-26 10:32:51 | 日記
考えてみると

私の真理獲得に

さらに健康獲得に

一気に背中押しをしてくれたのは

藤原敏之先生だ

もちろん雅春先生や生長の家関係の

すべての方々にお世話になった。

多くの方々のご愛念でそれ故私の真理は形作られてきたのだ。

でも最後に真理を私がまとめる(キャッチする)ことができたのは、

藤原先生の5冊のご著書を繰り返し読み続けていることと

宇治別格本山でのユーチューブビデオ『神を生きる』である。

ビデオは50回以上聞いていると思う。

「肉体が人間であるという夢からさめれば、誰でも神癒を得て健康になれる」

藤原先生はこう断言する。

どうしても病気を神癒したい雅春先生の信奉者は

藤原先生を通してやってみることを

私はおすすめです。


現象世界は本当は(五官を外して見れば)実相世界である

2018-08-26 09:50:44 | 日記
私は昨日の午後
駅まで裏通りをウォーキングしながら
家々の木々や家庭の育てている花々を見ながら
これは木々や植物の
目に見えない“いのち”の示現なのだと
感じたのである。
そういえば空気も、
私が歩いている道も
そこに目に見えぬ“いのち”が
存在しているのだと
感じたのである。
道ですれ違う人びとだって
目にみえない“いのち”なのが
本当にあるものなのだ。
目に見える現象は
本当にあるものじゃなく
そこに存在している目に見えない大元の“心”こそ
“神の心”であり“神の子”である。
全部自分の内部に存在しているから
“神の子”とも言えるのである。
“神の子・神の国”は
私の心の奥に実相として存在しているが、
それが私の五官を通して
時間・空間世界に展開している。
現象世界は実相理念の時空世界への展開であるから、
現象世界が丸ごと即身成仏世界である。
しかし現象として見えるものは
私の現象の心のあらわれであり実相表現(影)であるから、
目に見えるものがそのまま実相(神の子・神の国)ではないから、
目に見える万物自体において
その裏にある目に見えない“神の心”(実相)を
感じとる必要があるのである。
これこそが本当にあるものなのである。
目に見えるものは本当にあるものではなく
そこに存在している目に見えないものが
本当にあるものであって、
これこそが実相世界、円満完全世界である。
現象世界においても
本当にあるものは、
「神の子・神の国」なのである。
現象世界に存在している“神の心”を
把握できるよう神想観にはげもう。