現象は心の影で
本当にあるものではなく
見えないもの(実相理念)が
本当にあるものだと、
藤原先生は説く。
見えないものというのは、
神の子・神の国であり
見えなくても
こちらの方が本当にあるものなのだ、
と仰っている。
だから緑内障だった人も
精神病だった人も
その見えないけれど本当にある“神の子”を悟って
神癒したのであった。
この強烈な“実相を観る”信仰は
雅春先生の教えでストンと納得したそうだが、
それ以前の浄土真宗の
親鸞聖人の信者であったときからの宗教体験からも
由来しているみたいだ。
私は生命の実相の勉強をして
この現象世界が
実相の
時間空間世界への展開である、
とくらいまでは知っていたが、
だから
「見えるものは心の影だからなくて、
見えない実相が見えなくてもあり、
それが本当にあるものだ」と
ご講話でお説きになっていて、
これが
藤原先生の無数の神癒の原因であることに
強烈な印象を受けるのである。
だから私たちは
現象がどんな状態であろうとも
それは心の影だから本当にあるものじゃなく、
見えなくたって実相世界がここにあると
明るい世界しかないんだと
信じちゃっていいんだ、
と思うのである。
「信」こそが力だ。
でもこんな風にご著書やビデオがなかったら、
私の「信」も
力を得なかっただろう。
だから眼や耳で確かめられる証拠を
残していただいていることに
感謝である。
本当にあるものではなく
見えないもの(実相理念)が
本当にあるものだと、
藤原先生は説く。
見えないものというのは、
神の子・神の国であり
見えなくても
こちらの方が本当にあるものなのだ、
と仰っている。
だから緑内障だった人も
精神病だった人も
その見えないけれど本当にある“神の子”を悟って
神癒したのであった。
この強烈な“実相を観る”信仰は
雅春先生の教えでストンと納得したそうだが、
それ以前の浄土真宗の
親鸞聖人の信者であったときからの宗教体験からも
由来しているみたいだ。
私は生命の実相の勉強をして
この現象世界が
実相の
時間空間世界への展開である、
とくらいまでは知っていたが、
だから
「見えるものは心の影だからなくて、
見えない実相が見えなくてもあり、
それが本当にあるものだ」と
ご講話でお説きになっていて、
これが
藤原先生の無数の神癒の原因であることに
強烈な印象を受けるのである。
だから私たちは
現象がどんな状態であろうとも
それは心の影だから本当にあるものじゃなく、
見えなくたって実相世界がここにあると
明るい世界しかないんだと
信じちゃっていいんだ、
と思うのである。
「信」こそが力だ。
でもこんな風にご著書やビデオがなかったら、
私の「信」も
力を得なかっただろう。
だから眼や耳で確かめられる証拠を
残していただいていることに
感謝である。