2018年8月勉強会資料 8月21日
本当の人間はこの肉体を使っている”いのち”である
2018/8/2
肉体は
実相生命の時間・空間面への展開の一場面に過ぎないのに
これを“生命そのもの”と見て
体の調子について
いちいち心配してしまうことが
迷いなのです。
現象世界は実相(いのち)それ自体ではなく、
いのちの表現体にすぎない。
その表現というのは、
いのちの表現は表現でも
自分の心の表現なのです。
実相(神の心)の映しなんですが、
表現されたものは自分の心の影ですから、
実相をそのまま映していないので
心が迷いを影として映すと
肉体面に現れる場合には
病気になったりすることもあります。
だから私たちは肉体は「カラダ(空だ)」と思い切って
いちいち病状にとらわれず、
本体(実相)は円満完全なる「神の子」であると
確信する必要があります。
本当の人間はこの肉体を使っている”いのち”です。
この生命の実相の真理さえ分ってくれば、
どんな病気でも克服できるというのが
キリストが
釈迦が
谷口雅春先生が起こした神癒の理由です。
真理が分れば神癒はちゃんと起こります。
もともと人間は本体が“神の子”であり“仏子”ですので、
神癒が起こるのですが、
これは不思議なことでは
全くないと、
私は思います。
谷口雅春先生は
「イエスの十字架は現象を抹殺せば実相が生きて来るという象徴である!」
と生命の実相20卷に書いておられますが、
現象をあると思い心配していたのでは、
現象の奥の奥にある実相が顕われる邪魔となってしまうのです。
この世を神の国、人を神の子と見破った人には、一見奇蹟と見えることが普通に起こり得る
2018/8/18
先日病院に行った時、
入院中お世話になった看護師さんに会いに行ったら
目を丸くして私の元気なのに驚き、
「さすがは」
と仰ってくれた。
稀に
考えられないほど元気になる人は患者の中にはいるらしく
医者もそういう例があることは
知っていると思われるが、
それを患者の心に原因があることを
認めてくれる医療関係者は少ない。
いたとしても患者の精神の在り方が、
あるいは自己管理が素晴らしいからと思うわけで、
内面的な人間観、世界観が原因というところまで洞察する医療関係者は
ほとんどいない。
私の身辺の者でさえ、
信仰が私を守っていると
思ってはいても言葉で認めたがらない。
それはこの世が神の国で人間が神の子であると
分らないからなのであるが、
こればかりは「信」の領域であるから、
限界があるのだ。
目に見えないものをあると思いにくいのだ。
一般的に
人と政治と宗教の会話は禁物と言われ、
政治は相対的に色々な考え方があるからそれでよいのだが、
この世は実は物質の世ではなく
神の国であるというのは
実は本当の話なのである。
神の存在は実感するしかないので
事実であっても説得が超むずかしい。
でもいままでの宗教が
間違った信仰の故に
人々に誤解を与え続けてきたために
宗教というと、
狂信者の集まりと考える人が多いのは
無理もないところはある。
そういう宗教でもいいなんて私は言うつもりはないのだが、
この世は神の国であり
人間は神の子(仏子)であるということは
真実なのであって、
正しい仏教やキリスト教も
言っているのだ。
神の子であるものに病気などあるわけがないから、
そのことを自覚した人が神癒するとか
術後軽快するということも
奇蹟ではなく
有り得るのである。
こんなことを書いても
私は現代医学を否定するつもりはさらさらないので、
誤解をなさらないでいただきたい。
私は現代医学のお蔭で助かった人間である。
現実に体に異常を感じると
心配しどうしようかとあせる気持は重々わかるが、
そういうのを快くし、健康な状態にもっていける方法が、
正しい信仰なのである。
それについては
私のこのブログで
私の信のできてきた経過を
見て頂く事を望んでいます。
結果を気にせず原因を変えよう
2018/8/17
困ったことがある人は
今昼なのに
夜だと思っている人だと、
藤原先生は仰る。
今出ているもの、
また出てくるものは
全部心の影である。
見えているものの正体は心である。
今昼だというのは、
現象は存在しなくて実際は実相しかないからなのだ。
現象は結果だから
原因を変えればよいのだ。
心を変えればいいのだ。
原因をつくるというのは、
今真昼間だ、つまり実相しかないのだ、
と決めることである。
人間は“神の子”であって
完全なるものなのだ、
ただ神一元の世界にいるだけなのだ、
と思いきることである。
思ったとおりに現れるのが
この世なのだ。
藤原先生~魂の転換点
2018/8/16
藤原敏之先生は
ご自分の魂の転換点について
次のように記しておられます。
これは藤原先生が初めて生長の家のお話しを聞いて
自分という人間が
肉体ではなく
肉体を動かしている“いのち”であると
悟ってから後のことと
考えられます。
先生は
自分のすべてを
神様にお返ししたのであります。
あとはご文章でお確かめください。
(参考 安心と喜びを得る道 藤原敏之 日本教文社)
【神様に全てをお返ししたら
こうして永い間肉体が自分であると思い込んでいた私は、初めて神の生命であり神の子であったのかと気付き、今迄の自分を全部神にお返しする決心がつきました。神様は病む事もなく死ぬることもないとの自覚が理屈としてではなく実感となり信念にまでなりました。今迄病気していたことが馬鹿らしくなり、全くの思い違いであったことが明確となり、過去の一切が悉く迷夢であったと判り、身体のどこにも悪い所がなくなってしまったのです。爾来42年間、ただの一度も医者にかかったことも一服の薬を服用したこともありません。こうして病気や不完全なものが本来無いという真理を身を以って実証することが出来たのであります。その上私だけではなく、家族6名全員が医者と薬でもっていた沢山の慢性的な疾患が全部消えてしまい、不冶と言われていた家内と長女の心臓弁膜症も一瞬にして消え去ったのであります。
爾来、沢山の方々から不治の病気や家庭問題、経済問題、教育問題等でご相談を受けますが、この世界が神によって造られたものであり、人間は神の子であり、神の生命そのものであるという真理をお伝えするだけで解消しない問題など一つもないのであります。】
この「人間は神の子であり、神の生命そのものであるという真理をお伝えするだけで解消しない問題など一つもないのであります。」ということが
生長の家の本当の目的なのではないでしょうか。
運命の鍵は「この目に見える世界を本当にあるものと思うか、それともないと思うか」である
2018/8/15
この世は神の国(実相世界)の写し世であり、
人間は神の理念である“神の子”なのだから
病気など実際にはあるわけはなく、
不完全や不幸など
一切存在しないのである。
この真理を信じることができれば、
心の法則に従って
神の国に属するよき世界が
自分の周辺に現実化するはずである。
ただこの真理を受け入れるためには、
この真理が
どこからきているのか、
信憑性があるのか
知らなければ、
信じること自体が不可能である。
しかしこれはキリストが説き
釈迦が説いた真理と同じものである。
私はここで詳しく書くことは
大変で出来ないので、
以前書いたブログを再度転載します。
キリスト教と仏教から見た実相独在
2018/5/17
「実相独在の真理」というのは
「肉体ナシ現象ナシ心もナシ実相あるのみ」の真理のことであり、
谷口雅春先生のみ教えを、
つまり聖経『甘露の法雨』の説いている真理を
究極的に要約したものである。
1 キリスト教から見る
キリストは
ロゴス(神の言)の肉化としてあり
そのようにヨハネによる福音書は捉えていて
このことは人間一般にも当てはまるが
キリストは「人間一般」の代表ととらえ
つまり真理「人間」というものを説明するために
ヨハネ神学が提起している。
真理キリストが
十字架にかけられたのは
時間・空間の存在を否定し
肉体と現象を抹殺し
そこで始めて
目に見えぬ「神の言葉世界」ロゴスが
復活するのである。
肉体や現象と見える五感に感じられるものをナシと観れば
そこにあるのはロゴス(神の言)のみである。
「肉体ナシ現象ナシ心もナシ実相あるのみ」です。
物質の世界でなく「いのちの世界」(神の言)の復活です。
人間自身が「神の言」なのですから
その時「現象の心」が「神の心」に入れ換わります。
2 仏教から見る
仏教の究極の真理は
「色即是空」である
物質・現象は「空」であると
いうことである。
しかし「空」というのは
「真空妙有」のことであって、
「真」(うそいつわりのない)「空」の中に
妙なる「実在」があるということである。
妙なる実在とは仏世界のことである。
だから現象世界はナイ「空」なのだけれども
つまり五官で見えるものは影法師なのだけれども
そこに目には見えない「妙なる実在」があると見る。
不生不滅の仏世界が現象の代わりに存在している。
アサガオの花は影法師なんだけど
見えない理念アサガオ(仏様アサガオ)は
ちゃんとある。
「肉体ナシ現象ナシ心もナシ実相あるのみ」です。
現象世界丸ごと自己なる大仏世界の示現であります。
この目に見える世界は
実際には存在しなくて、
代わりに目に見えない「円満完全大調和世界」が
存在しているという真理を
信じる人には、
実際にそのような世界が現われ
難病でも神癒します。
神の国に病気などある筈がないからです。
自分が“神の子”であり、
(自分の肉体をいかしているいのちが“神の子”であるという意味)、
万物が神なのですから、
(空気も植物も食物も神のいのちです)、
万物神ならざるものはないのであり、
たった今、またいつにおいても
私は父なる神に向き合っているわけです。
藤原敏之先生は
ユーチューブ動画の
宇治別格本山における講話で
「ないものはないと決めたら消える。要はお化けはあると決めるかおらんと決めるかのちがいです。
病気や貧乏はあると決めるかないと決めるかで決まります。
運命は人間の自覚によって決まります。
だから人間は神だ、と決めればよい。
夢の中の問題は覚めれば消えるのです。」
と語ってくださっています。
現象世界は
本当にある世界ではなく、
その奥というか裏に実在する実相世界(神の理念世界)が
本当にあるものなのです。
その実相世界への強烈な「信」が運命を変えます。
*追加 現象とは何か
さっき
目に見えるものは本当にあるものじゃなく、
目に見えない“実相”のみあると
書いたのですが、
では現象は何であるのかを書かなかったのは、
足りなかったと思い、
追加いたします。
「現象は心の影」でありまして、
過去において心に種を蒔き続けてきたものが
表現されているのです。
ですが実相世界は神の理念世界ですので、
それが現象の時間空間のスクリーン上に
展開されているのです。
ロゴスとか仏世界の展開は
縮めて一点化すれば、理念でありますが、
時空世界に展開されれば多様化し
神性とか仏性であるにしても
空といった一見無常なようにみえます。
その理念の展開は
人間の自由な心に乗って展開されるので、
つかみどころはないのですが、
総ての現象には
すべて目に見えない実相が貫かれています。
だから現象は心の影だから本当にあるものではなく、
目に見えない“神の心”が
本当にあるものなのです。
“人間のいのち”が“神の子”である
2018/8/13
藤原敏之先生は
“人間のいのち”が“神の子”である、
と『あなたは必ず救われる』というご著書の中で
お書きになっています。
私もこのことが
分ってきました。
やはり動いていろいろやっているから
実感が生まれたのだと思います。
(参考 あなたは必ず救われる 藤原敏之 日本教文社)
まず生命の実相第一巻から、
次の雅春先生のご文章を引き合いに出しておられます。
【「『生命』自身の力で治すには『生命』とはいったいどんなものであるかということを知らねばなりません。表面の心で知るだけではなく、奥底の心で知らねばなりません。『生命とは神の子である』―一言にしてこういえばなんでもないけれども、なかなかこの真理が本当にわかる人が少ない。本当にこれがわかれば自分で自分を治すことができる。病気だけではなく境遇でも運命でも自分で治すことができる。直すのではなく、真理を本当に知ったときひとりでに治っているのである。」】
次はこれに対する藤原先生の解説です。
【まだ続くのでありますが、この意味は病気や運命を何かに頼ってよくしようとするものは別でありますが、そのように依頼心を起して自信を失わないで自分の生命自身の力で治そうと思ったならば、自分の生命がどんなものかを知ることが第一であると教えられているのであります。しかも表面の心ではなく奥底の心で知ることが大切であると示されております。ここで一番大切なのが次のことであります。「生命とは神の子である」これさえわかれば万事解決であります。このように生長の家の教えの根本は、人間は神の子であるということなのであります。】
「救われ済み」の自覚
2018/8/12
藤原敏之先生は
『救われ済みの人生』という本を
お書きになっていますが、
人間は“実相神の子”でありますから、
すべての人が
実際は救われずみで
あるわけです。
ただ私は
2年前大手術を受けた関係もあって、
実相円満完全の自覚が欲しくて
それこそ必死の思いで
生命の実相の追及を
つまり行として
行ってきたわけです。
ところが最近
自分はすでに救われずみなのだという自覚が
できてきていることに
気がついたのです。
これは生命の実相の真理が
かなりはっきりと分ってきたことと一緒でした。
でも手の舞い足の踏む場所を知らず、
というような狂喜の状態にはならないのですが、
それはそれで
私はいいです。
とにかく、
救われず済みという、
ほっと安堵の気持が
出てきただけで
うれしいです。
人生は思いのままになるのである
2018/8/18
藤原敏之先生は
「出てきたものは全て影であって、
影の正体は心である」
と説く。
一切合切、現象に出たものは
過去の自分の心である。
だから自分の心を
実際は見えなくても、
「神の心」「神の理念世界」しかないのであると、
ものの観方を変えてしまえば、
今後は神に属するよきものが
次々と現象化することになるのである。
病気だけでなく
人間関係、そしてすべて現象に出たものは
変えることができるのである。
だから
人生は思いのままになるのである。
目に見えないものを観る目を開く
2018/8/18
目に見えないものを観る目を開かないと
実相の完全世界は現われません。
しかし現象の世界の全ては
実は目に見えない「大生命」が
動かしているのであって
人の心臓が動いているのも
植物の成長を司るのも
天体の運行を支えているのも
この「大生命」が
やっていることであり、
その大生命が「実相」であるのです。
この目に見えないものを観る目を開くということと
自分が“神の子”であると気づくこととは
同じことなのです。