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生長の家と真宗の両方の高級霊の援助が”神の子”の悟りを応援

2018-08-10 19:18:32 | 日記
藤原敏之先生のご指導で
奇蹟的な治癒を得た難病の人の数は
郡を抜いており、
生長の家の指導者の中でも
突出しています。
それで
何故藤原先生が
こんなすごい
キリスト並みの奇蹟を起こせたのかというと、
勿論「生命の実相」の真理が根幹にあるのでありますが、
私の推測ですが
浄土真宗の
親鸞聖人の宗教が
強烈に裏打ちしているみたいです。
「善人が救われるのに、
まして悪人が救われないことがあろうか」
というのは、
絶対他力の阿弥陀仏に
すべての過去の業をも投げ入れて
ひたすら阿弥陀仏の善と愛を信ずる、
悪を背負ったままでなく、
悪は阿弥陀仏打ち明け赦していただいて阿弥陀仏と一体になる、
という絶対他力の大乗仏教の信仰にも
藤原先生は入っていらっしゃることが、
先生の救済力の原因かと思われます。
谷口雅春先生のおっしゃる
因縁を超越した境地に
病者を導くことができるほど
霊的に高い先生で
いらっしゃったからだと思います。
潜在意識の浄化は
普通時間がかかりますが、
それを一気に行ってしまうのは、
藤原先生の
守護霊とか指導霊のご援助があったものと
私は思います。

現象世界も神一元の世界、罪と病と死は存在せず

2018-08-10 16:48:31 | 日記
今日も外出して
藤原先生の『そのまま極楽の道』という本を読んだら、
この現象世界において
「目に見えるものは心の影であり、
目に見えないものが本当にあるものだ」
と講話で仰っていた理由が分りました。
目に見えないものというのは
神の理念世界であり、
仏教で言えば『極楽世界』つまり
『実相世界』であります。
アサガオでいえば『アサガオの理念』『アサガオの心』
或いは『仏なるアサガオ』と
いうことができます。
人間で言えば『理念としての人間』『実相人間』『神の子』
『仏の子』であります。
私の肉体を動かしている「いのち」
植物、動物、太陽、地球、総てを動かしている大生命、
「これが目に見えないもの」であり、
現象世界はこれが充満する
目に見えない大生命でありますから、
神一元、仏一元の世界であります。
真理を知り、
その目で観る人にだけ
現われます。
真理知るべしです。


新約聖書「ルカによる福音書」

2018-08-10 10:58:29 | 日記
ルカによる福音書(日本聖書協会)
<第三章>神殿で献げられる
23 それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。
24 また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいが、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。

置かれている場所で、やり方は違って当然

2018-08-10 09:17:48 | 日記
私が真理をとるか生活をとるかの
二者択一を迫られたら
私は現象的には生活をとるだろうと思います。
でも真理からは離れずに、です。
これは厳しい問題であり
軽々しく話せる問題ではありません。
自分の内に居る神さまと対話して決めると思いますが、
今ここに書いているのも
神さまを意識しつつ書いています。
ただ、生活をとりつつも、
“生命の実相”の探求は
ますますしっかりやると思います。
神様は
一人一人に
自分の道を指し示すはずですので、
その自分の持ち場において
“神の道”があるのだと思っています。
生意気のようですが、
私の考えです。

真理不在と実績の尊重

2018-08-10 08:42:33 | 日記
谷口雅春先生の晩年から
次の代になる頃から、
もうすでに運動家は
真理で人々を救おうとする運動から逸れて
人を増やせば増やすだけで人を救えるといった考えに
転化していきました。
いわゆる実績主義です。
でもここに大きな陥し穴がありす。
増やせば人が救われるという誤解は、
どんどん真理の軽視を生むからです。
この流れは
雅春先生ご他界後
とどまるところがありません。
人間の実相は“神の子”であるという真理が本質である宗教が
ますますそれと気づかずして
真理から遠ざかっていきました。
仏教は
釈迦滅後も
龍樹が現れるまで500年、
仏教は衰えていたと
藤原先生はお書きになっています。
キリスト教も
広まってはいますが、
ほとんどが現象有りとするキリスト教になっています。
谷口雅春先生の真理も
多くの人が現象なしを踏まえない自分流の解釈をしており
「現象なし実相独在」を
伝えられる人は
現在ではほとんど皆無です。
藤原先生みたいに
ストレートに
「目にみえるものは心の影で本当にあるものでなく
眼に見えないものがほんとうにあるのであり、
現象は暗いものではなく
人間は“神の子”であり“神の国”に住んでいるのが実相であるし、
現象世界はそれの映しなんだから、
それと気づけば
明るい世界から離れたことはないんだよ」と
説いて教えてくれた講話など
一つもなかったのが
私から見た実際です。
でもこの「現象なし実相独在」を踏まえない講話は
人生苦救済の力をもちません。
雅春先生の真理を
体得した人が極めて少ないし、
真理そのものを極めようとする人(実相実現をめざす人)も少ないから、
現在みたいに
真理の抜け殻みたいになってしまったのです。
再興の道は真理のみであり、
真理探究にいのちを燃やす人が増えれば、
再び燃え上がる日もありましょうが、
増やす運動が主体となると
真理から逸れるのは
事実でありここが難しいのです。