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新約聖書「ルカによる福音書」

2018-08-04 21:36:01 | 日記
ルカによる福音書(日本聖書協会)
<第二章>羊飼いと天使
15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。

自分が“神の子”だと得心する日が必ずきます

2018-08-04 21:27:13 | 日記
「生命の実相の自性円満(そのままでえんまんなこと)を自覚すれば大生命の癒力( なおすちから)が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)となります。」
と谷口雅春先生は
『生命の実相』第一巻に書いておられますが、
これは
自分のいのちが“神のいのち”であると自覚すれば、
現象の肉体の変化に悩んだりしなくなり
(それは現象肉体はただのいのち表現の一場面だと気づくからです)、
根源のいのちは神のいのちだから完全だという確信とともに、
病気は消えていく、ということです。
私はこういう状態になってきました。
でも自分の肉体は神のいのちの表現だと知っていても
このことに得心できない人もいると思います。
それは真理の理解が足りないことと、
真理が得心できるまで真理の完成が熟していないのです。
ですから自分の本体は“神のいのち”だと得心できるまで、
修業を継続してゆけば
確信が固まっていきます。
あせらず継続してゆけば
必ず得心する日がきます。


神の子はどこに居るのか

2018-08-04 11:07:32 | 日記
神の子は
ここに居ます。
私が神の子です。
でも私は幼少時から変化しつつここにいますから、
その全部が神の子の表現であり
その表現を司るのは神の子の本体です。
だから本体も表現体も同時に神の子です。
実相現象渾然一体です。
(正法眼蔵を読む 仏性の巻 谷口清超著)
【<故犯>
趙州和尚はこう問われた。
「すでに仏性であるものが、わざわざ肉体に入って生れるということを犯すのだ」と。
この言葉は世の中に弘く知れ渡っているが、ここでは趙州の言葉として特別の意義を考えてみなくてはならない。言う意味は、「知っていて、あやまちを犯す」ということであって、こういうことはよくある。殆んど疑問はないのである。ただ「入」という一字の意味が分らぬという人もいるが、この入は皮袋(肉体)に入るということで、実は不用の語である。何故なら、実相の仏性は、どこへ入るとか、どこからどこへ行くということはないのであって、ただ肉体に入って生れてくるように見えているだけである。しかし乍ら具体的に吾々が体験するのは、肉体の袋であるから、先人のいわれた、
「草庵中にいる不死の人を識ろうと思えば、今のこの皮袋(肉体)を離れてはならぬ、ここに不死人がある」ということになるのである。死せざる者は、だれであっても、いつも皮袋(肉体や幽体)に於てある。空漠なる世界に不死人がいるという訳ではない。】

「現象なし」は自己否定の極致において分る

2018-08-04 09:38:11 | 日記
現象世界があると思っている人には
実相を悟ることはできません。
現象世界は本当に
心の影にすぎず実際にはないんだと感じた時に、
では何も無いのかそれとも何かあるのかと思う段階で
“実相がある”と気づくわけです。
ところがこの現実生活で
楽しい予定で一杯の人に
“現象はない”なんて言って見ても
全く取り合おうとしないでしょう。
これが生長の家が、
減少し続けてきた一つの要因であり、
もう一つの要因は、
現象なし実相独在を説かない方向へと
どんどん進んでいくからです。
現象を否定して代わりに神の子・神の国(理念世界)を
樹立することが目的であるのに、
現象生活を楽しむことが目的になってしまうと
実相世界の現象化からは遠のいてしまいます。
それほど「現象なし」の真理は
現象生活を楽しんでいる人には受け入れが難しく、
病気で明日がないと感じている人の方が
必死だからこそ受け入れ易いのです。
でも真理は真理なので、
神の子の生き方をするには、
まずは「現象なし」の真理を
知る必要があります。
藤原先生は「自己否定(自己を肉体と観る)の極に実相が分ってくる」
と仰っていますが、
今現に見えているこの現象が心の影に過ぎなくて“ない”なんて
ほとんどの人は
思いもよらないでしょう。
谷口雅春先生に傾倒している人は多いですが、
「現象なし」を本当に分っている人は少ないと思われ、
現象ありの心で
雅春先生の言説の中から、
自分がこれと思うことだけ取り出して
これが本当の雅春先生のお考えなどと言いますが、
「現象なし」のお悟りから
雅春先生の運動は出発していますから、
いずれも雅春先生の真意に達しません。
「現象なし」という真理は
キリスト教や大乗仏教の
悟り中の悟りであり、
どちらの信者の中にも
これの分っている人は
希少中の希少だと思います。
でも藤原先生も
雅春先生当時の講師さん方は
まぎれもなく
この「現象なし実相あるのみ」の真理で
神癒を起こしてきたわけです。
藤原先生は「救われ済みの人生」という
講師活動締めくくりのご著書において
まさに口頭で神癒指導している語り口で
誰にも分るやさしい説き方で
神癒(真理)指導を行っておりますので、
「生命の実相」を読むのが大変な人でも、
またインテリでない人でも
読めますし真理が分ります。
神癒が起こる可能性も
あるかも知れません。
御安心ください。
藤原先生の主要5冊は
まだ絶版になっておりません。