YSCCのYSCCによるYSCCからの魂の叫び!!

能書きはいい。読めばわかる!!!

努力の先に見えねばならないもの・・

2010-03-20 07:24:09 | Weblog
地下鉄サリン事件から共で15年です。
心の傷が言えない人のことを思うと、
他人とはいえ心が痛みます。

せめて、今日この日に、そうした事件が
2度と起こらないように願うこと、
そうした人物を育てないようにと心に誓うこと
ぐらいしかできません。

なんて無力なんだろうかと思います。

無念です。

今朝の朝日新聞「天声人語」にも記載されていました。

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日本で携帯電話が広まるのは1990年代後半だ。
〈ホームの公衆電話に長い列〉といった手記を読み返し、
普及率が10%に満たない「携帯以前」の凶事を実感した。
地下鉄サリン事件から15年になる

▼一報は8時9分、茅場町駅からの119番「お客さんがけいれん」だった。
八丁堀、築地、神谷町と、日比谷線の各駅から救急要請が相次ぎ、
東京消防庁は大混乱に陥る。
3路線5本の電車を襲った毒ガスで13人が死亡、
約6千人が負傷した

▼「どれほど息苦しかったのか、主人のことを考えるとき、
私は呼吸を止めてみることがある。
このまま死んでもいいと思うことさえある」。
霞ケ関駅助役の夫を亡くした高橋シズヱさん(63)の記だ。
被害者の会代表としての日々を顧みた著書『ここにいること』(岩波書店)にある

▼21歳で心身をボロボロにされた女性は、
退院後も窓から白煙が忍び込む夢にうなされた。
現場に居合わせた己を責め、自殺を考えた。
でも高橋さんの陳述を聞いて甘えに気づいたという。
「少なくとも私は、大事な人を一人も失っていない」と

▼後遺症に苦しむ人、職場で孤立し、仕事を辞めた人もいる。
そして、なお続く教団、裁判、賠償交渉。数え切れない人生を狂わせ、
オウムによる無差別テロはまだそこにある

▼億万の涙に換えて、犯罪被害者の扱いは改善された。
だが、人の不幸にますます鈍い世である。
1人1台の携帯が車内を「個室」にしたように、つながりより閉じこもりが優勢だ。
あの日に共有した恐怖と怒りだけは、歳月から守りたい。

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幸せを感じる世の中を作りたいとお願うのはだれもが
同じだと思います。

幸せを感じられるような、人の心を育むことに
努力を重ねたいと思います。
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