本日は、節分[せつぶん],鬼遣い[おにやらい]
<立春の前日>ですね。
本来は各季節の始りの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことですが、
現在では春の節分だけが行われています。
季節の代り目には邪気が生じると考えられており、
それを追い払う為、この日の夕暮れ、柊[ひいらぎ]の枝に
鰯の頭を刺したものを戸口に立てておいたり、
炒った大豆を蒔いて歳の数だけ食べたりする習慣があります。
節目ですね。
節目という響き。
次に向かうきっかけを作ってくれます。
ポジティブに動き出せる・・動機づけがはっきりするので、
目標に向かいやすいですね。
反対に、節目に節をつけられないともやもやしますが、
切り替えのきっかけをくれるのは同じことで、
ネガティブにではなくポジティブにそれをどのように捉えるかではないでしょうか・・
残念な話ですが、清原元プロ野球選手が逮捕。
そんな報道を聞いて色々感じます。
芸能ニュースは、多角的に情報を集め、MCの個人的感想などちりばめることと思いますが、
個人的には、人が良く、人の良さが仇となり、マスコミに人物像を作られ、踊らされ、悩み苦しみ、
作られた印象のまま、そうした自分をどこかで演じなければいけなかった・・そんなことを思います。
自分のせいですが、どこかかわいそうな人生を歩んできたな~と
感じます。
うちのアカデミースタッフやJYスタッフには、
「山登りにいけば・・」とか
「チームビルディングの一環として、違う環境でボール無の活動してみたら」
「テスト休み取らせたら・・」などと言います。
1週間に4~5日、多い時は毎日活動します。
学校での友達関係が気にならないのかと思います。
家庭での食卓の風景に違和感を覚えないのかな~と思います。
そう思うからこそ、そのように言います。
成長過程にある子どもたちは、
複数の大人が目を光らせる必要があります。
スポーツ指導者は、
スポーツ現場にだけ目を向ければいいわけではない。
スポーツをする子は、スポーツ活動だけを重視すればいいわけではない。
当然切り分けできる指導者・子どもはいます。
しかし、自身が好きというだけで、やり過ぎると他を見失います。
子どもの自主性を尊重しつつ、
そこのハンドリングが求められているのが導き手となる人の役割です。
スポーツをしていないと伸びないという暗示にかかっている。
オフを作ると何をするかわからないという疑心暗鬼。
オフを作るとスポーツが下手になるという恐怖心。
心が弱いと恐怖心や疑心暗鬼、恫喝、いじめになります。
ハンドル操作をする側に、具体的な「悟り」の境地を目指したアプローチを学ぶ気持ちや、
心の余裕や深みや幅の広さが求められているんです。
一芸に秀でて活躍する人は一握り。
最近よく思います。
好きなスポーツに人生を注ぐのはありですが、
注ぎすぎて、他の良さに気付けずに人としての幅を広げ、
深みを持たせる機会を極端に狭めてきたのかな??と感じる時、
色んな意味での力の狭さを広げる方に目を向けては・・・と思います。
もちろん、一芸に秀でている人が全員そうかというとそうではなく、
反対に色んな知識を持っていたり、経験をしていても、心がなかったり、
自分を見失い、急激に変化したり、
自分は貧乏なりに考え感じてきた経験がありますが、
受け身の姿勢で歩んできた人生観の中で、
培った感性の中で譲れないものを一つ持っています。
良いか悪いかは人が判断することなのでしょうが、
自分としては譲れないもの。それはぶれない。
まあ、自分には人が寄っては来ませんから、
その種の心配はしていませんが、
受け身でいると正も負も心の奥底に入り込みますから、
自分に対する鬼退治でもしないといけませんね。
清原元選手の復活を願っています。
<立春の前日>ですね。
本来は各季節の始りの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことですが、
現在では春の節分だけが行われています。
季節の代り目には邪気が生じると考えられており、
それを追い払う為、この日の夕暮れ、柊[ひいらぎ]の枝に
鰯の頭を刺したものを戸口に立てておいたり、
炒った大豆を蒔いて歳の数だけ食べたりする習慣があります。
節目ですね。
節目という響き。
次に向かうきっかけを作ってくれます。
ポジティブに動き出せる・・動機づけがはっきりするので、
目標に向かいやすいですね。
反対に、節目に節をつけられないともやもやしますが、
切り替えのきっかけをくれるのは同じことで、
ネガティブにではなくポジティブにそれをどのように捉えるかではないでしょうか・・
残念な話ですが、清原元プロ野球選手が逮捕。
そんな報道を聞いて色々感じます。
芸能ニュースは、多角的に情報を集め、MCの個人的感想などちりばめることと思いますが、
個人的には、人が良く、人の良さが仇となり、マスコミに人物像を作られ、踊らされ、悩み苦しみ、
作られた印象のまま、そうした自分をどこかで演じなければいけなかった・・そんなことを思います。
自分のせいですが、どこかかわいそうな人生を歩んできたな~と
感じます。
うちのアカデミースタッフやJYスタッフには、
「山登りにいけば・・」とか
「チームビルディングの一環として、違う環境でボール無の活動してみたら」
「テスト休み取らせたら・・」などと言います。
1週間に4~5日、多い時は毎日活動します。
学校での友達関係が気にならないのかと思います。
家庭での食卓の風景に違和感を覚えないのかな~と思います。
そう思うからこそ、そのように言います。
成長過程にある子どもたちは、
複数の大人が目を光らせる必要があります。
スポーツ指導者は、
スポーツ現場にだけ目を向ければいいわけではない。
スポーツをする子は、スポーツ活動だけを重視すればいいわけではない。
当然切り分けできる指導者・子どもはいます。
しかし、自身が好きというだけで、やり過ぎると他を見失います。
子どもの自主性を尊重しつつ、
そこのハンドリングが求められているのが導き手となる人の役割です。
スポーツをしていないと伸びないという暗示にかかっている。
オフを作ると何をするかわからないという疑心暗鬼。
オフを作るとスポーツが下手になるという恐怖心。
心が弱いと恐怖心や疑心暗鬼、恫喝、いじめになります。
ハンドル操作をする側に、具体的な「悟り」の境地を目指したアプローチを学ぶ気持ちや、
心の余裕や深みや幅の広さが求められているんです。
一芸に秀でて活躍する人は一握り。
最近よく思います。
好きなスポーツに人生を注ぐのはありですが、
注ぎすぎて、他の良さに気付けずに人としての幅を広げ、
深みを持たせる機会を極端に狭めてきたのかな??と感じる時、
色んな意味での力の狭さを広げる方に目を向けては・・・と思います。
もちろん、一芸に秀でている人が全員そうかというとそうではなく、
反対に色んな知識を持っていたり、経験をしていても、心がなかったり、
自分を見失い、急激に変化したり、
自分は貧乏なりに考え感じてきた経験がありますが、
受け身の姿勢で歩んできた人生観の中で、
培った感性の中で譲れないものを一つ持っています。
良いか悪いかは人が判断することなのでしょうが、
自分としては譲れないもの。それはぶれない。
まあ、自分には人が寄っては来ませんから、
その種の心配はしていませんが、
受け身でいると正も負も心の奥底に入り込みますから、
自分に対する鬼退治でもしないといけませんね。
清原元選手の復活を願っています。
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