創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

乱脈経理-2

2014-01-05 10:22:22 | Weblog
○〝乱脈経理…創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント、矢野絢也…講談社…2011/10刊〟より
まえがき……7
表紙   9頁
◆池田名誉会長からの贈り物……7
 私の手元に削価学会の池田大作名誉会長から寄贈された香合がある。香合とはお香を入れる
容器のことだ。説明書には金の合金で作ったものだと書いてある。
 香合は桐箱に人っていて、大きさはタバコ一箱より少し小ぶり。創価学会の紋章•八葉蓮華
の浮き彫りが表面に施され、裏面には「一九九ニ年五月三日」「大作」と墨色で刻印されてい
る。五月三日は池田氏が学会の第三代会長に就任した記念日である。
 桐箱を包む熨斗紙には次のような私の走り書きがある。
『平成四年五月三日、第二次国税調査無事終了を記念し、特別につくらせたものとの香合を池
田名誉会長より贈与される』
 私が香合を受け取ったのは記念日から五日後の一九九一年五月八日のことである。東京•信
濃町の学会本部で森田一哉理事長から手渡された。森田氏と会った後、私は池田氏の秘書役である長谷川重夫副会長(学会本部第一庶務室長)を訪ね、池田氏へのお礼を伝言した。このときの様子を当日の手帖に私はこう記した。
《森田理事長に池田名誉会長よりの香合とりにいく。「国税との交渉、まったく感謝してい
る」。長谷川に会う。「この香合は特別につくったもの。特別の人にさし上げることになってい
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る。矢野さん国税の解決ありがとう」》
 私は一九六七年に公明党の国会議員に初当選すると同時に、池田氏の指示で党書記長という
要職を任された。書記長は毎日多くの人と会い、処理する仕事も多かつた。そこで私は日々の
見聞や感想を手帖にメモすることにしたのだが、いつの間にかそれが習い性になり、議員を引
退するまでに書き溜めた手帖は一〇〇冊近くにのぼる。
 この手帖は、後に、我が家に押しかけてきた公明党OB国会議員三名によって無理矢理持ち
去られ、それを巡って裁判にもなったことから「黒い手帖」などと呼ばれるようになったよう
だ。彼らとの裁判では、私の主張がほぼ全面的に認められ、二〇〇九年一〇月に手帖は私に返
還された。
 その経緯については拙著『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』『「黒い手帖」裁
判全記録』(いずれも講談社)に詳しく触れたので、ここで繰り返すことはしない。
 いまは、学会を退会(〇八年五月)し、私に対する非人道的人権侵害の数々(評論家活動の停
止要求、機関紙などでの名誉毀損、億円単位の寄付の強要など)に関し、学会と幹部七名を提訴し
ている身だ。
 当時の手帖にメモしたとおり、香合は「国税のこと」、具体的には一九九〇年から九二年に
かけて行われた、学会に対する国税庁の「税務調査」を解決した御礼として、池田氏から個人
的に贈られたものである。
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 だが、せっかくの頂き物ながら、私にとってこの香合は税務調査を妨害するために行った醜
悪なやり取りを思い出させる品でしかない。私は、国税庁に働きかけて学会と池田氏個人への
税務調査を妨害し、ウヤムヤにした。その代償として受け取ったのが、他ならぬこの香合なの
である。
 熨斗紙と手帖の両方にわざわざ私がメモを残したのは、私が行った犯罪的とも言える不本意
な行為をけっして忘れてはならないとの自戒からであり、さらに当時の池田名誉会長と学会首
脳の狼狽ぶりや、なりふり構わぬ組織防衛の実態を忘れないようにするためだった。
 池田氏への税務調査を私がどのようにしてウヤムヤにしたかは本編をお読みいただきたい
が、その前に、税理士でも会計士でもない政治家の私が、税務調査への干渉という恥ずべき行
為に走った経緯に触れておきたい。
◆「捨て金庫事件」
 そもそも学会に国税庁の税務調査のメスが入るきっかけは、一九八九年のいわゆる「捨て金
庫事件」である。これ自体、仰天するような大事件だった。学会系の聖教新間社の本社食庫に
あった古金庫がゴミ処分場に誤って捨てられ、金庫の中から一億七〇〇〇万円の現金が見つか
った事件で、当時、社会的に大きな話題になった。
 この事件によって学会の金満体質が世間に強く印象付けられ、学会マネーに社会の関心が集
まった。なかでも重大な関心を示したのが国税庁だった。
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 国税庁はかねてより学会マネーと池田氏の個人所得をマークし、極秘裏に学会と池田氏に関
する情報を収集していたとされる。
 だが相手は日本最人の宗教団体とそのトップであり、しかも公明党という野党第二党の支持
母体だ。国税庁としても、おいそれと手が出せる相手ではない。そこに捨て金庫事件が起こ
り、学会マネーに対し社会の不審が高まったのを奇貨として、国税庁は学会マネーというタブ
ーに切り込んだのだ。
 まず一九九○年から九一年にかけて、国税庁は学会本部に対し、事実上、初めてとなる第一
次税務調査を敢行。引き統き九二年まで第二次税務調査を実施した。二度の税務調査に池田氏
はじめ学会首脳はパニックに陥つた。
 しかも税務調査の最中に学会を舞台とする超弩級の大事件が発生したからたまらない。学会
系の美術館が購入したフランス印象派の巨匠ルノワールの絵画取引にからんで一五億円もの巨
額の金が行方不明になった、いわゆる「ルノワール絵画事件」である。
 この他にも証券会社による学会への巨額の損失補填事件など、学会の金絡みのスキャンダル
が同時期に相次いで発覚し、学会は世論の集中砲火を浴びて大きな打撃を受けた。ボクシング
にたとえると必殺パンチを五、六発喰らい、そのつどダウンしてふらふらになりながら、かろ
うじて立っていたといった感じだった。国税庁は、これらの事件についても税務調査を行った
が、ルノワール絵画事件では国税庁に加え、警視庁と東京地検特捜部まで捜査に乗り出した。
「私を守れ、学会を守れ!」
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 税務調査と相次ぐスキャンダルの発覚に池田氏は激しく動転し、まるで悲鳴をあげるように
学会と公明党首脳らにわめき散らし、叱りつけた。池田氏がパニックになったのは他でもな
い、池田氏自身が国税庁のターゲットになっていたからだ。国税庁は池田氏の個人所得を洗い
出し、法に基づき厳格な課税を実施する構えをみせていた。
 とはいえ池田氏から「守れ」と命じられても、学会側には国税庁首脳とのパイプがなかっ
た。そこで池田氏ならびに側近が、羽の矢を立てたのが私だった。公明党書記長を二○年近く
務めた私が、国会対策などを通じて当時の大蔵省(現•財務省)、国税庁首脳陣と個人的に懇
意にしていることを池田氏らは知っていたのである。
 格好をつける訳ではないが、私にも良心があった。池田氏の意を受けた秋谷栄之助会長(当
時)から「池田先生のたっての意向だ」「弟子の務めだ」と何度も国税対策を依頼されたが「や
ってよいことと悪いことがある」と私は抗弁し、断り統けた。
 国会議員は国権の最高機関たる立法府の一員であり、税の徴収や分配の公平性を担保すべく
法律を作る立場にある。その国会議員が税務調査潰しに手を貸すなどというのは言語道断の行
為だからだ。おまけに相手は、国家権力の背骨とも言える国税庁だ。おいそれと立ち向かえる
ようなヤワな組織ではない。
 しかし、結局、私は池田氏の意向を断り切れなかった。おだてたり、すかしたり、ときには
信心を大上段に振りかざしての説得に私は根負けしてしまった。お世話になった池田氏に最後
のご恩返しをしたいとの思いも私の背中を押した。
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◆「黒い手帖」の中身……13
 本書について、私が強調したいことは、次の五つの点である。
 まず、本書は私の功名自慢話ではないということだ。むしろ本書の内容は私にとって恥多き
物語である。「信心で乗り越えよう」と何度も言われ、私は最後まで国税対策に取り組んだ
が、しょせん私がやったことは税務調査の妨害という、人目をはばかる行為だ。私は反省を込
めて、そして学会を良くするために、あえて恥を曝すことにした。税務調査妨害の実行者とし
て、また国民に選ばれて国政に携わった元政治家として、私には自分の恥を書きつくす義務が
あると思っているからだ。
 第二点は、私や学会•公明党への好意から無理難題を聞いてくださった当時の政府高官、自
民党幹部に、私の記述によって多大のご迷惑をおかけすることになるのは私にとって心底辛い
ということである。もし本書のせいで心ならずも関係者にご迷惑をおかけしたなら、心からお
詫びを申し上げたい。二〇年も昔のことであり、すべては過去という時間の濁流に流されたも
のとしてご寛恕いただくことをお願いしたい。
 第三点は、そのような辛い思いを持ちながらも本書を執筆したのは、ひとえに創価学会上層
部の金銭感覚の麻痺症状に対する警告を行うためであり、私の警告を踏まえて学会経理の改善
と健全公正化が進むことを願うからである。現在においても、創価学会では会員に対して強い
調子で多大な財務(寄付)を募集している。諸外国の大学の勲章など池田名誉会長を顕彰して
もらうために、SGI (削価学会インタナショナル)が多額の工作資金を使っているという噂も
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後を絶たない。二○年前、国税庁は学会に対し、乱脈経理の改善を強く指導し、それを学会が
必ず解決すべき重要な「宿題」として課した。はたしてそれは実現されたのであろうか。そう
であることを願うが、いま学会中枢にあって経理を掌握している諸氏には、過去の隠蔽工作の
詳細を知る人はおそらく少ないだろう。拙著を参考にして経理の明朗化、公正化に努めていた
だきたいと願う。
 第四に申し上げたいのは、本書は私の手帖と記憶に基づいて記述したという点である。した
がってここに書かれているのは私が直接、見聞きしたことであり、書かれていることは事実で
ある。とはいえ、当然のことながら、国税対策については、私の関知しないところで学会主導
で行われた別線の襄工作もあったと聞いているし、私と無関係に問題解決に尽くした公明党や
自民党の諸氏の貢献もあったことだと思う。私一人で国税調査問題のすべてを解決できたなど
という不遜な気持ちは毛頭持っていない。
 学会首脳と密接に連携し、多岐にわたる点について事務的に国税当局と交渉したのは私であ
るが、私の背後には法案成否の鍵を握る公明党の衆参両院における「議席の圧力」があり、そ
れは私の存在以上に、大蔵省•国税当局に重くのしかかっていただろう。その議席の圧力が、交渉において私をバックアップしてくれたことは疑いない。
 同時に、学会内部では税務調査に対する悪質な引き延ばしや証拠隠し、書類改竄が、交渉者である私にすら秘匿されて行われていたことも事実であり、それは本書をお読みいただければおのずと明らかになるはずだ。
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 第五に強調したいことは大蔵省•国税庁に対する供応、買収の類は断じてなかったというこ
とだ。私の働きかけなどを受けて国税庁が税務調査に関し、手心を加えたのは事実だが、国税
庁が法律逸脱や脱法判断を行ったことはいっさいなかった。本書では、私と交渉にあたった大
蔵省•国税庁高官の名前も実名で記しているが、彼らの名誉のためにも、それだけは断言して
おく。確かに重要な問題の多くは「宿題」の形で先送りされた。だが、その宿題は、学会側が
その後すみやかに対応するという誓約のもとに先送りされたのであって、高官たちが学会経理
の問題を免罪し、野放しにしたわけではない。学会経理改善の約束は守られたであろうと思い
たいが、もし宿題が解決していないとすれば、それは学会側が責めを負うべき違約、怠慢と言
える。
 ともあれ、私は三年にわたって秋谷会長、八尋頼雄副会長(弁護士)ら学会中枢とほぽ每日
のように電話、面談をして、終始一貫、国税との交渉に携わってきた。その意味で秋谷、八尋
両氏は私にとって「戦友」と言うべき人たちだ。お二人は、池田氏から叱咤され、ときには罵
倒されながら、苦心惨憺して働いた。彼らのよすがは「信心」であり、その発想はしばしば超
論理的かつ強引になりがちだったが、学会を守る一念においていささかも劣るところはなかっ
た。お二人は常々、「師匠を守るのが弟子の道」とお話しになっていた。純粋な信心と「師匠
を守る」という学会精神を一徹に貫いたことは、賞賛に値する。私が彼らの純粋な信心に突き
動かされたのも一面の事実である。しかし、私たちが行ったことは、削価学会の正常で建全な
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発展のために役立つたのか?いま、私はそうではなかったと思う。醜悪な部分を温存させて
しまったとすら思えるのだ。
 私は、学会の「乱脈経理」の実体を事実に即して正確に読者に知っていただきたいと考えて
いる。このため本書では、登場人物はできるかぎり実名で記し、記述の元になった手帖の内容
は読みにくい部分もあるが、最低限の補筆に止め、極力そのままの形(本文中の《 》 部分)
で提示することにした。私の手帖に残された記録、資料、さらに記憶を総動員して、創価学会
VS国税庁の死戦を再現してみよう。
────────────────◇────────────────(引用ここまで)
今回のコメンテータは、ブログ表題の元祖、石原暴走(妄想)元知事です。
妄想知事…池田大作?世界一だね‥悪しき天才も、巨大な俗物も‥‥巨大過ぎて倒せない??‥ダイエーに似ている??‥うーん。

(誤字・脱字、文法無視、パクリ・援用・重複・勝手編集も‥笑って♪♪‥許して♪♪‥)
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