創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

さらば池田大作-12

2017-08-25 08:31:01 | Weblog

さらば池田大作-消えた「上御一人」の跡  野田峯雄 (2016/11・第三書館)
 ------(66P)---(以下、本文)-------

ミレニアム詩人池田大作から哲人政治家ゴルバチョフへのうれしいプレゼント
 ルノワール絵画にまとわりついている疑惑のカネは最終的にどこへ。
 立花玲子が,あるときは「池田氏がノーベル平和賞をとるための工作資金」と言い、あるときは「ロシアへの裏金はね、ゴルバチョフへよ。大作とゴルバチョフは会食しているの、その場に裏金も用意して渡しているわ」などと話した。
  ノーベル平和賞を受賞したい。池田大作はこの夢を実現しようと世界のあちらでもこちらでも創価学会のウラガネなどをバラ撒き、90年7月、ミハイル・C・ゴルバチョフ(当時=ソ連大統領)に会った。同年10月にゴルバチョフがノーベル平和賞を受賞すると彼を“ダチ扱い”し、さらに「こんにちは」とあいさつを交わせば、「それはミレニアム詩人(池田自身のこと)と哲人政治家(ゴルバチョフのこと)の偉大な対話であった」などと誇った。
 ソ連最高指導者のゴルバチョフは88~89年、しだいに求心力を弱める。そして90年3月、新設の大統領に就任したけれど同年10月の東西ドイツ統一などへ至る過程で急速に力を失い91年12月に権力の座から去らざるをえなくなる。このとき彼は、まさに間髪入れず、国際社会経済・政治研究基金(ゴルバチョフ財団)を設立した。日本へも頻繁に訪れるようになる。
 池田大作はこのゴルバチョフ財団への寄付を熱心に続けて2人の仲をより緊密なものにしていくが、いまここで関心を引かれるのは池田大作からゴルバチョフへの大掛かりな寄付の「最初」である。池田がゴルバチョフと初めて会談することのできた90年7月前後と推定される。
 それはちょうどルノワールの油絵2点の取引の時期である。

戦争とカネ
 戦争をするには膨大なカネが必要だ。
 池田大作のすぐ脇に立つ八尋頼雄弁護士 (副会長)が「ルノワール」を進行させた89年から90年へかけて。池田大作たちは日蓮正宗門との最終戦争に突入した。90年、池田たちの宗門蔑視発言が激化。それは91年へかけてますます熾烈になり、9月には日顕上人の退座要求署名運動へ転化する。これに対して宗門は91年11月、創価学会とSGI(創価学会インターナショナル)を破門し、92年7月に池田大作を信徒除名処分する。
  ルノワールの絵画をめぐる巨額金がかき消えたのはそのような戦争の開始時だった。

へっびり腰の国税調査
 さらに同時期、ちょうど「ルノワール」の41億円決済のころだが、池田大作はうろたえた。
  90年6月(東京国税局調査第一部による「ルノワール」調査開始の約3力月前)、東京国税局直税部資料調査六課(後に改組されて課税第二部資料調査第三課)が創価学会の税務調査に入った。なんと17年間もほったらかしにしておき、やっと、腰をあげたのである。
  同調査チームは第六課長以下21人。うち10人が専従になる。でも、彼らの作業は創価学会側の組織的な資料隠し、資料改ざん、偽装工作、偽言、虚言、はぐらかし、黙秘、政治家利用の圧力などの総反撃にあって難渋した(~91年の5月)。
 結果はじつにおそまつなものだった。
 摘発できたのは墓石関連収入にかかわる申告漏れ=約23億8000万円のみ(91年5月)。
 創価学会はただちに管轄の四谷税務署に修正申告をし法人税6億4000万円を納入して塩を撒く (同年6月、関東信越国税局が群馬県渋川市の創価学会・はるな平和墓苑に対して5億7000万円の申告漏れを指摘し、“はるな平和墓苑”が1億5000万円を追加納入)。
  墓石販売は創価学会が70年代から延々と繰り広げてきた事業だ。なのに課税できたのは“たった3年間ぶん”である。課税可能期間が過去3年間に限られていたからだという。

 彼ら直税部資料調査六課は、--
・池田大作の収支(個人資産および創価学会財産の流用)の問題、
・膨大な資金集め実態の問題、
・公益部門会計の問題、
・銀行や証券会社や投資銀行(ファンド)などと組んで展開している投資および投機の問題(株式、債券、不動産、預貯金、デリバテイブ、外国為替、絵画、骨董、.宝石などのたぐい=財テク)、
・海外への資金持ち出しやSGI名目の巨額資金流用の問題、
・海外資産形成および海外工作資金の問題、
・各種施設づくりと同使用実態の問題、
・政治工作資金や選挙資金の問題など--から目をそらして、
 ひたすら、お墓だけを抱きしめたのだった。
  東京国税局は当時、創価学会に対する税務調査と並行してルノワール絵画問題を調査第一部特別国税調査官に調査させていた(前述)。しかし、なぜか直税部と調査第一部に「合同調査」をさせることもなく、つまりそれぞれに汚濁プールの水面の片隅を少しかきまわさせて満足してし
まう。

栄誉は欲しくもありません
 海外+巨額金バラマキ+池田大作と言えば、前述の古城や土地取得などとともに、ただちに浮かぶのは飽くことのない「名誉」収集活動である(以下の数字は12年2月現在)。
1・彼は国家勲章を約25ヵ国から集め(大半が中南米諸国)、
2・名誉博士や名誉教授などの名誉学術称号を世界各地の大学から325集め、
3・各種団体(活動実態のない団体や実質的に池田たちが設立運営している団体を含む)から平和賞や人道・人権賞のたぐいをたくさん集め、
4・国連事務局からも、たとえば明石康の背中をつついて国連平和賞(83年)などを出させ(明石康=国連在籍1957~1997年。99年、創価学会と自民党に抱えられて東京都知事選挙に出馬したが石原慎太郎に敗れる)、
5・世界各国の都市の名誉市民称号を725、さらに世界各国のアカデミーや研究機関の名誉会員とか在外会員の資格を入手…。 
  それらの勲章やバッジやメダルや楯や鍵などをすベて身につけると、二足歩行をするのにひと苦労するか、確実に腰を抜かすに違いない。彼の最重要ターゲットはノーベル賞だった。けれど、こんなふうにふざけるときも。
「そのような栄誉(ノーベル賞)は欲しくもありません。また、くださると言っても、受けることはありません。そのような人間が世界に一人くらいいてもいいでしょう」(67年10月)
  しかし。
  たとえばフランスの哲学者(作家)のジヤン・ポール・サルトルがこの池田発言の3年前(64年)にノーベル文学賞の受賞を断わっている。

池田式「名誉」集めの手口
 池田大作の「名誉」集めのおもな手口は寄付の衣をまとった現ナマ攻勢である。ただし国によつては現ナマ授受が法律に触れたり、当該組織(機関)の規則に触れたりする。その場合は、本体からちょっと距離を置いている感じの附属機関とか、前述の「ゴルバチョフ」と同様、関係財団(基金)などをフル活用した。ようするにトンネルをくぐらせたのだ。
 現ナマをまったく使えないケースも。こんなときは図書、コンピュー夕ー、医療機器のたぐいなど、相手の希望する高額品を大量に寄贈した。「名誉教授、名誉博士をあげます」などと公表している大学がある。むろん有料。高値だ。しかし池田大作(SGI)はそれも見逃さない。
 国家勲章を取得するときにはたとえば次のような方法を使った。

 87年2月。池田大作は中米パナマからパスコ・ヌニェス・デ・バルボア勲章を手に入れた。そのためにずいぶん努力した。当時のパナマの最高実力者はエマヌエル・ノリエガ。パナマ軍の最高司令官(将軍)である。池田人作はノリエガのところへ金品を運び「最高の、光輝あふれる人間と人間の対話」(池田大作)を重ね、創価学会栄光賞を贈った。すると、ノリエガがパスコ・ヌニェスニア・バルボア勲章をくれた(パスコ-ヌニェス・デ・バルボアは、15~16世紀、パナマを拠点に残虐のかぎりをつくしたスペイン出身の植民地主義者)。
 また池田は静岡県富士宮市の創価学会白糸研修所にノリエガ庭園をつくった。この池田プレゼントにノリエガは感謝。パナマにミラドール・イケダ(池田展望台)なる場所をつくりお返しをする。そんな甘い日々にも終わりが。ノリエガが謀略・収賄,コカイン密輸・殺人などのおびただしい極悪犯罪で米軍に逮捕され監獄に入れられると池田はノリエガの痕跡を丁寧に丁寧に削り取った。では、パスコ・ヌニェス・デ・バルボア勲章はどうなったのか。これは手放さない。いまなお創価ネットのいわば「名誉のみせびらかしリスト」に載せている。
       ---------(73P)-------つづく--



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