創価学会・公明党が日本を亡ぼす

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サヨナラ.私の池田大作-45

2016-11-23 07:33:07 | Weblog

『サヨナラ 私の池田大作』--女たちの決別--
  創価学会・公明党を糺すOB有志の会 編著
              2013/7/3 人間の科学新社
    ------(P241)---(以下、本文)-------
《コラム》
④創価I貫教育の始まりと終わり  元愛媛大学助教授 福本潤一博士 (東大)
                                  理境坊信徒
 昭和四三年に創価学園が開学になつたと聞いて、いよいよ牧ロ初代会長の創価教育学の実践の場が展開するのだと胸躍らせた会員は、多いことだろう。
 創価高校一期生として入学した人には、今創価大学理事長になっている田代、アメリカ創価大学学長になっている羽吹、公明党国会議員になっている木庭健太郎、北側一雄などがいる。彼らはすべて創価大学に進学して、創価で重用されてきた人物である。
 逆にこの創価高校一期生で成績優秀なものの、創価教育にうんざりして晴れて昭和四六年東大に入学してきた人にSM、SH、HOの3羽カラスがいる。それぞれ、通産省キャリア官僚、東工大教授、弁護士になったし、実力でその職で活躍していくことができた3人だ。私は、創価学会学生部の前身とも言える東大法華経研究会の幹部として受け入れ、この後輩3羽カラスを担当した関係で、創価学園でのさまざまな体験談を聞かせてもらった。創価学園執行部や教官たちが張り切りすぎての強烈さがあったようでさまざまなエピソードが生まれていた。
 創価学園校歌となった「草木は萌ゆる」を作詞した一橋大学進学のOG君も、三羽カラスとともに東大駒場寮にやってきて創価学園での出来事や創価に対する苦情などの聞き役となることも多かった。(上記の特に三羽カラスと小倉氏の名前出してもOKか)
 東大入学年、日蓮正宗に入信し、日蓮大聖人の仏法に命の底から感動し、永遠にこの仏法を続けると決意し、牧口常三郎全集、戸田会長全集を読破していた私も、昭和四七年には、正本堂完成と共に創価大学が開学すると聞き、待ち遠しく思ったものである。地域の座談会で「将来は、創価大学に行きたい」と体験発表して婦人部の地区担さんから、「あんた東大出て創価大学に行くの?」と言われ「いえ、学者になって大学の先生として創価大学教官にと言う意味です」と答えた。
 本部幹部会でも、池田会長から初代学長になるという高松和男東北大教授が紹介された。「私が信頼する学会員で朴訥だが誠実な、心から信頼する高松新学長です」(趣旨)と、外部学者批判した後、高松経済学者をほめたたえていた。その子息長男は創価大学一期生に入学させ学者になったものの、その後、わいせつ罪で逮捕されたりしている。
 多くの学会員に期待され、昭和四七年に鳴り物入りで登場するはずであつた創価大学に大問題が勃発した。創価大学の創立準備委員会の責任者だった篠原学生部長から、昭和四五年頃、突然に連絡があった。
「四七年、開学予定だった創価大だが、それでは、創価高校一期生が四六年卒なので他大学へ分散してしまうことになる。急きょ一年早めることになった。教官陣をそろえたり、文部省と交渉したり大忙しだ。」ついては「新入生に配布したりする資料を整えるので、東大の入学生に配布する資料を全部くれ」ということであった。それで、大学規約や新入生の手引きなど、入学時に受けとる東大の資料一式を送ったことがある。
 正本堂着工の四三年に創価学園開校、正本堂完成の四七年に創価大学開校というふうに、ゴロ合わせの好きな池田流の宗教的権威の象徴にする予定が、一年間違えていたというお粗末な実態を露呈してしまったのだ。この事実を知つている人間は創大関係者にも余りいない。
 この当時、創価高校三年生として受験勉強中だった木庭参議院議員などは、「創価大学開学が翌年になるので、どこの大学に行くか悩んでいた」と言うから、卒業時に創価大学が間に合わなかったでは、創価の総体革命にも問題が生じて来よう。
 急ぎ、六〇年安保で亡くなった東大生樺美智子さんの父親樺教授など有名教授陣を招聘し、なんとか昭和四六年にあたふたと、開学にこぎつけたようで、池田流つじつまあわせは、見事と言う他無いが、諸問題を抱えての船出であった。
 その後、学会員以外の教授陣の追い出しや、他大学の学生も驚いた学生達による授業料値上げ要望の運動とか、創価大学のOB学生が創価大学を訴えたピッカリコ劇団事件、創大OB関係者が引き起こしたNTTドコモ漏洩事件などを経ながら現在開学四二周年を迎え、卒業生OB二〇万人を数えると言う。
 その間、九一年には創価学会は三宝破壊等の謗法により日蓮正宗から破門され、増上慢の池田大作は信徒除名になった。その池田の宗教的権威の象徴正本堂は地上から消え、今は奉安堂が建立されている。
 今後、創価大学はどうなるか? 総本山を失い、教義的終末を迎えた宗教団体創価学会は、創価大学を宗教的総本山に擬したいのだろうが、そんなことが可能ほど日本の法体系はいい加減では無い。創価大学・学園は私学助成金、公明党は政党助成金、創価学会は財務の他、優遇税制で固定資産税は無税など国税の甘い汁を受け尽くすことには、成功しているが、宗教法人の総本山が創価大学では通用するまい。宗教としての創価学会は教義的終末を迎えているものの、創価大学・学園は、終わりを迎えることになるのだろうか?
    ----この項おわり----(244P)----つづく--

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