創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

公明党=創価学会の真実-8

2017-05-05 08:38:18 | Weblog

 公明党=創価学会の真実 乙骨正生 (2003/1  かもがわ出版 1800-)
    ------(53P)---(以下本文)-------

卑劣な人格攻撃繰り返す
 同様に十一月六日からは、日蓮正宗の総本山である大石寺のある静岡県富士宮市の「脱講者が暴く本山の実態①」が始まり、「日顕は富士宮の恥さらし」「あの男が法主になってから大石寺はすっかり寂れた」「宗門の差別体質信徒蔑視の元凶は日顕」「日顕ほど悪相の悪い奴もいない」などと、激しく日顕上人を罵っている。
 そこには富士宮の創価学会組織のトップである奥山義朗副会長の、こんな発言も掲載されている。
「奥山-私も何度も(日顕)に会ったが、あのへビみたいな目(笑い)。あれは性格が異常だね。あいつほどの臆病者はいない。だからこそ、うわべは虚勢を張る。ふんぞり返ってみせる。その『畜生』の本性がよく分かる話だ」
 奥山氏は、この他にも「下劣な買春タコ坊主」などとも日顕上人を誹謗しているが、こうした発言こそ「人権蹂躪の言論の暴力、言論の凶器」であり人権を侵害する「言論のテロ」そのものではないのか。
 しかも、この座談会記事で創価学会は、日顕上人が法主に就任してから大石寺は衰亡したと主張し、大石寺がある地元・富士宮市の市民からも日顕上人を怨嗟する声が起こっているかのようにこう書いている。
「国府方-結局、日顕の代になって、本山は何もかもメチヤクチャになってしまったということですね。
奥山-そんなありさまだから、地元・富士宮でも、いよいよ日顕の悪評が高まっている。
大泉-町の人も、“大石寺の、あのバカは、まだ生きているのかい”と話しているぐらいです(笑い)。
奥山-いや、大石寺の近くの他宗の坊主すら、『今の法主になって、大石寺はすっかり寂れたな』と、せせら笑っているくらいです(大笑い)」
  しかし、事実は全く逆であり、創価学会寄進のコンクリートの建造物が撤去され、和風の客殿や庭園が新築されたことに、地元の富士官市民の間からも、大石寺がかってのたたずまいを取り戻しつつあると歓迎されている。実際、取り壊された正本堂の跡地に、平成十四年秋に完成した奉安堂の完工式(平成十四年十月七日)には、富士宮市の渡辺紀市長も出席。地元では創価学会の報道とは裏腹に、創価学会が大石寺からいなくなったことを歓迎する声の方が圧倒的に多いのである。
  事実を歪曲するばかりか、ねつ造した虚偽をもって卑劣な人格攻撃を操り返すことは、明らかに社会的ルールを逸脱しており、不法行為責任を免れないことは明らかである。
  だが、こうした常軌を逸した卑劣な言説を繰り返すことについて創価学会は、「宗教的立場からの意見表明」だとか、「機関誌一般の特性」などと強弁し、てんとして恥じない。

 そうした創価学会の体質を象徴的に示したのが平成十四年十一月二十日付「聖教新聞」掲載の「人権と平和と社会を語る」と題する座談会。そこには、「忘恩の極悪坊主・河辺の末路」「仏法を破る極悪非道の輩は必ず滅亡」などの見出しの下、森田一哉理事長らの次のような発言が掲載されていた。
「正木(東京長)-あの日顕直系の謀略坊主・河辺慈篤(東京・新宿区、大願寺)が、今月十日に死んだそうだな。
弓谷(東京男子部長)-宗門の関係者によると、河辺は九月二十日の朝、心臓発作を起こして緊急入院。間もなく脳死状態となり、生命維持装置を取り付けて、かろうじて生きていたという。
青木(副理事長)-もともと糖尿病だった上、合併症で肝臓や心臓など身体中がボロボロだった。それで、しょっちゅう入退院を繰り返していたということだ。
弓谷-死相、とにかく悲慘だったようだ。でっぶりしていた身体は見る影もなく痩せ細り、ドス黒い顔に、落ち込んだ目など見られた相ではなかった。そういう話だな。
高柳(婦人部長)-恐ろしい! まさに『堕地獄』の姿そのものですね。」
「青木-仏法は慈悲だ。もう死んだ人間のことを、とやかく言うつもりはないが、仏罰は、あまりにも厳しい。(中略)
森田(理事長)-それにしても河辺という男は本当に、陰湿、傲慢、異常なやつだったな。あの男に、どれだけ信徒の純枠な心が踏みにじられたか。」
「森田-学会の大恩も忘れた畜生坊主め! 河辺のことは私は何十年も前から知っている。
 もともと教育もなく、学問もなく『口減らし』で坊主になったようなお前が、大寺院に人り、守りに守ってもらったのは、誰のおかげだ!全部、学会のおかげじやないか!
弓谷-その通りだ。もう死んだ男だから言わないが、あの男が、どれほど下劣で女性狂いで、ケダモノじみた生活を送っていたか! その金も、もともと全部、学会員の供養じやないか!
正木-その忘恩、謀略、遊び狂いの末路が、どうだ? 仏罰厳然だ。
青木-大恩ある、仏意仏勅の学会の破壊を策謀した報いが、いかに恐ろしいか。まさしく堕地獄の現象だ」

 死者をこれほど悪し様に罵る宗教団体が、他にあるだろうか。それも「仏法は慈悲だ。もう死んだ人間のことを、とやかく言うつもりはないが」とか、「もう死んだ男だから言わないが」などと前置きをしながら、悪罵の限りを尽くす。平和、人権、文化、教育などの美辞麗句を表看板にしながら、実は、死者に対してすら罵詈雑言の限りを尽くす宗教法人・創価学会の“素顔"を、この座談会は端的に示している。それにしてもこの人々、本当に「宗教者」なのだろうか。
  自らは他人の名誉も人権もおかまいなしの「言論テロ」を恒常的に操り返しておきながら、自らに対する批判的言論に対しては、これを「人権蹂躪の言論の暴力」だとして、金力、政治力を駆使して封じ込めに躍起になっている創価学会。
  かって言論出版妨害事件を引き起こし、社会から厳しく指弾された創価学会の「言論テロ」をこのまま放置しておけば、日本社会の平和と安定の基盤となっている信教の自由や言論の自由をはじめとするすべての「自由」と基本的人権が危殆に瀕することは間違いない。
       ---------(57P)-------つづく--

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