創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・公明のスキャンダル-35

2018-09-14 07:18:33 | Weblog

 <サイコパス・池田の“人脈・金脈・性脈”>
創価学会・公明党--スキャンダル・ウォッチング
     これでもあなたは信じますか   内藤国夫  (日新報道 1989/06)
    ------(P.217)---(以下、本文)-------

柳原 延行
    狂信故に哀れな人生を送るハメになった悲劇の男
 田代冨士男が国会議員に転じた後、昭和四十年代後半に学会関西長、聖教新聞関西総支局長といった肩書で、事実上、関西の総責任者になった。その後、信濃町の本部に返り咲き、五十年頃には聖教新聞社の実質上の総責任者、副会長になった。
 柳原は五十三年、三重で開かれた学会の文化祭に参加中、何かの拍子にアーケードが倒れてきたのを支えようとして、体のどこかの骨を折った。ノイローゼぎみになり出したのは、この頃からだ。今は、組織上からも自然消滅という感じ。どこで何をしているのか、誰も分からない状態だ。
 登り竜の勢いの柳原が、突然、なぜ失速するように挫折したか。人知れぬ精神的苦痛が柳原にはあった。柳原が福島源次郎と竹馬の友であったことが大きく影響している。いや、竹馬の友というより、柳原は福島を心から尊敬していた。昔、池田はよく柳原に「オマエは福島の弟子だな」とイヤミをいっていた。柳原はかっては、福島に次いで池田崇拝の合い言葉である「師への帰命」を説いて回った人物。池田にしても、柳原が関西の総責任者としているのが都合がよった。「池田先生を迎える姿勢のよさ」が、福島同様、池田の好感を得た。だから福島が失脚すると同時に、柳原も悩み、苦しんだ。そしてノイローゼ。この人も、池田に重用された「池田教」信奉者であったが故に、哀れな人生を送るハメになった一人である。
                      ☆
 最近の柳原の動向がチラリと伝わる。二、三年前、原島嵩が電話をしたところ、柳原は「あなたの気持ちはよく分かる。しかし私は(造反しないで)あなたの最期を見ている」と語った。
 この事実以外、柳原の近況は明らかではない。
 柳原は生枠の関西入。池田は自らの神話づくりに関西を大いに利用した。池田には「関西はオレがっくった」という自負心がある。柳原がその関西の総責任者になったというのは、大変な抜擢である。池田は、何か問題が起きるとすぐに関西に出かけ、地元の組織を盛り上げ、その波動を東京に及ぼすことによって失地回復を遂げる。これが、今までの池田の「法難」のワンパターン的な乗り切り方だった。同じことは、かって池田が福島源次郎を送り込んだ九州についてもいえた。
 今、その池田の頼みの綱の関西と九州が、最も問題を起こす地域となっている。関西の田代冨士男、矢野絢也、九州の福島源次郎、大橋敏雄。こういった「法難」が、池田が特に信頼していた地域から発生しているのは、大変興味深い。池田に心酔し抜いた人ほど、やがて池田の言動に疑問をもち、目覚めるのが早い。そして、反池田の決起に踏み切れない人々が、次々と病いに倒れ、あるいはスキャンダルにまみれて消えていく。
 池田一人がいつまでも“常勝”のカラ威張りをしているだけ。現実には年月の経過という厳しい試練に晒されて、次々に破れ去っているわけだ。

小山内 昇
     無資格教師問題でツメ腹を切らされる
 “使い捨て”が習いの池田創価学会の中にあっても、とりわけ絵に描いたような使い捨て人生を歩んだ人物がいる。東京・小平市にある創価学園高校・中学の初代校長・小山内昇である。
 創価学園の創立者・池田に見込まれて、初代校長に就任。生徒や教員の評判はともかく、創立者の期待に応えようと無理な注文も忠実に果たし、涙ぐましい努力を重ねて忠誠を尽くした。
 一時は池田周辺から“終身校長”の声も漏れていたが、十年近く勤めた校長職を突然クビになる。
 直接の原因は、無資格教師問題だった。創立以来、教員免許状もないものを含め無資格の十五人が教壇に立つ一方、中学では必須敎科である道徳、技術家庭の授業を行なっていなかった
 事実が、都学事部の立入り調査で判明。「毎日新聞」にスッパ抜かれて大騒ぎとなる。結局、小山内は健康上の理由を表に立てて辞任させられた。
 もちろん、無資格教師に教鞭をとらせていたということは間違つても外部に漏れてはならない大変な問題。発覚後、学園はパニックに襲われた。それまでに受けた授業の単位がさかのぼって認定されない可能性があり、都から交付されている補助金も打ち切られかねない。公明党の都議会議員たちがモミ消しにとび回り、ようやく臭いものにフタをした。その結果、小山内というトカゲのシッポが切られた。
 小山内は東京文理科大学(東京教育大、現・筑波大)卒業。生物学専攻の理学博士である。この世代の学会幹部では数少ないインテリだ。創価学園校長に就任する以前の実績も、社会的にかなり評価されている。人物そのものだけならば、学園校長の役割は適任であったかもしれない。しかし、残念ながら、“池田先生の弟子”との自覚が強すぎた。
                      ☆
 池田が小山内を校長にしたのは、池田の得意とする肩書利用である。創価大学とともに創価学園は池田にとって最後の砦。“私の名代として池田教教育の指揮をとれ”と池田の私兵づくりを託された彼は、「創価学園は池田家の学校だ」「池田先生のお弟子さんを養成するんだ」と叫ぶ。当然、教職員は総て学会幹部であり、生徒の方も非学会員の受験生は成績が良くても大部分は不合格にする。
 そんな小山内でも、さすがに「無資格教師だけはひどすぎる」と池田や青木亨学園理事長(当時)に何度も訴えた。しかし、無資格教師の殆どは池田のお気に入り。無理を承知であえて学園に送り込んだ尖兵だ。訴えは無視されてズルズルと時が過ぎ、大事件に発展した。
 退職後の小山内は、しばらく学会の外郭団体である東洋哲学研究所でひっそりと身を隠すよにして過ごしたのち、創価女子短大の講師となる。そこでは、かっての自分の教え子が既に教授として活躍している。無資格を摘発されて退職した教師の中には次に紹介する、未定征夫のように学会副会長に昇進したものさえいる。後悔先に立たずひとり不遇の身にある小山内の心境を推しはかれば、こんな言葉になるだろうか。
 池田の命令を絶対と仰ぎ、ゴマすりに奔走すれば重用されはする。が、所詮、池田の影武者となるに過ぎない。ひとたび池田に「法難」がふりかかれば、すぐさま影武者に責任を転嫁して切り捨てる。いとも簡単に切り捨てられた影武者たち。彼らはそれまでの人生を振り返り、池田の正体と信仰の狭間で揺れ動く。しかし、公然と池田に歯向かわない限り、捨て扶持だけは与えられ続ける。
 小山内も“捨て扶持”組の一人である。

未定 征夫
     世間での不祥事も学会内ではハクとなる
 学会副会長。世田谷担当の副会長である。未定の名前を有名にしたのは、彼が昭和四十五年から約七年間、創価学園の教鞭を無資格で取っていたことが、『毎日新聞」に暴露されたためである。学園の無資格教師は他にも十数名いたが、未定はこの問題で学園を退職後、驚いたことに、創価学会の文化本部・教育部長に転じて、組織の中では逆に偉くなった。教育部というのは、学会員の教職員で構成されるグループのこと。無資格で摘発寸前まで追いつめられた無責任な人間が、どうして学会員の教職員の集団の責任者になれるのか。世間一般の常識では計り知れないところがある。そういったやり方を好むのが池田独特の“世間見返し人事”というべきもの。未定と同じような起用は、共産党・宮本邸盗聰事件に関与した神崎武法東京地検検事が、事件発覚で検事辞任に追い込まれた時にも使われた。福岡から衆院選に立候補、当選させたことと同じやり方である。
                      ☆
 学会において教員の果たした役割は、歴史的にかなりの重みがある。学会の前身である創価教育学会は、もともと教育者の集まりであった。原島嵩の父・原島宏治、小泉隆、辻武寿など戦後創草期の学会をつくった人々は皆、教育者であった。無資格教師の末定がそのような歴史的に重みのある教育部のトップに立ったことのマイナス的な意味は非常に大きい。今日でも学会員の中で教職員の占める比率は高い。(本部)職員、自営、公務員というのが学会の幹部の三大派閥といわれる。そういった職種についていると、普通の民間企業サラリーマンに比べ時間が比較的自由に取れ、アフターの時間も、確実に毎日取れる。その中でも学校の先生は、人前で話すのに慣れており、特に幹部になりやすいことも確かである。学会組織の重要な部分
をこのような人々が押さえているわけだ。
 かって福島源次郎がよく持論として話したことに「教員が学会員になったのではない。学会員が教員になるのだ」という趣旨の指導があった。つまり「学会員であることが何よりも根本だ」という発想がそこにはある。もちろん、池田の発想であることは間違いない。神崎にしても末定にしても皆、事件発覚後にかえって処遇がよくなり、出世していくのは、世間を見返すためであり、また、将来、同種の不祥事が発生した際、学会の面倒見のよさを組織内に誇示する狙いも合わせもつ。要するに常識が通用しない組織であり、常識だけでは分かりにくい組織である。
  -----(224P)----つづく--
                         --目次一覧は、本項第2回<H30・8・12>に登載--

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 創価・公明のスキャンダル-34 | トップ | 創価・公明のスキャンダル-36 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事