--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
新・創価学会を斬る 藤原弘達 著 日新報道 昭和47年(1972年)
--傷つけられた大衆の怒声--(目次は、第2回に登載)
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◆ ウソ八百の『人間革命』という本
ところでこの間の事情を『人問革命』(第一巻一五八頁~一六〇頁)では次のように描写している。
“目黒の狭い土間の仮事務所から、十月半ばには、西神田の三階建ての新事務所に移っていた。戦前の事業の根城、目黒の時習学館が罹災焼失してしまったことは、戸田にとって打撃であった。しかし、西神田に移ってみると、その打撃は取るに足らめことと思えるのであった。
神田は、出版業界の一等地である。印刷、製本、その他、出版業務の中心地に違いない。いつの間にか、その中心地に近づいたことに気がついた。
戸田は、二階の南側の窓を背にして、社員達に語り始めた。
「どうだ、目黒から、この中央に進出することが出来たのも、偶然のように目えるかも知れないが、決して、偶然ではないよ。わかるかい?」
社員達は、広い家屋に移って、ただ、もう浮き浮きしていた。
「全く、うまいところが、見つかったものですなあ」
奧村が感にたえないというように言った。
「こういう所に移ってこられたのは、日本正学館も、戦前以上の飛躍が、出版界で出来るるという、何よりの証拠じゃないか」
机の上の灰皿を脇によせながら、戸田は言った。
新事務所は、交通の激しい大通りの専修大学通りから、ほんの五、六軒横に入った右側であった。交通の便も何かにつけて便利であった。電車通りに面した目黒の仮事務所とは、大変な違いである。電車の騒音が、耳についていた社員たちには、気の抜けた思いをするほどの静けさであった。
「まったく、功徳ですね」
と言いながら、奥村は、新聞紙にくるんだ昼飯のふかし芋を鞄から取り出した。
「今日も芋かい。……芋は、あまり功德とはいえんな……」
戸田の言葉に、みんな、どっと笑い出した。
「この家は、功徳だよ。徒手空拳で始めた仕事が、二か月たたないうちにここまで来た。誰だってき考えられないことだ。努力だけではない。この家も、御本尊様から戴いた家だよ。この家が、今後どんな働きをするか、きっと凄いことになるよ。みんな、大事に、綺麗に使おうじやないか」
『はい……』”
ここには東京建設信用組合をのっとったことや、その仕組みについては全くといってよいほど何もふれられてはいない、見方によれば、このマヤカシ金融業がすべての事業の土台をつくりあげたものであり、この事業活動のなかにこそ人間臭い戸田の姿が如実に出ているといえる。したがってこのような面をわざと隠した『人間革命』は全くの手前味噌だけの羅列といわねばならない。
また『人間革命』について、学会員は次のようにも説明されている。
「本の中の物語は、池田会長が実際に見た事実ではなく戸田先生の奥さんが語られるところを聞いただけで、あのように目の前で体験し、すべて見聞したかのように書けるのも、普通の人でできる業ではない,仏智と御仏のなせるわざなのである。一日のうち、わずか二、三時間の睡眠しかとらない池田先生が学会活動の合間に執筆するというのは、仏の生れかわりにほかならない」
ところがこのように説明するB長が実際に池田の活動を見ているのではなく、さらにその上の幹部から言われたことを、そのままなんの疑念も抱かず伝達しているにすぎないのである。
学会員は全くのところ“知る権利”をも奪われてしまっているわけである。
◆ エスカレートする“すり替え”の手口
戸田城聖は“御書”の書替え、をはじめとする“すり替え手口”の原型のようなことを「金集め」と直結してやっていたわけだが、池田大作は、この程度のゴマカシではまだまだ足らぬということで、さらに大幅な書替えを『折伏教典』『御書講義』『会長講演集』等でおこなったこと、さらに当初の初版本をいまや絶版にした事実は『続・斬る』において明らかにしたところだ。したがって、現在、学会員が信じている教義が、日蓮の説いた仏法とは本質的に異なっているわけで、ただ表現法や用語を借用して難解に見せかけ、無知な信者を煙に卷いているに過ぎないものである。
そのような手前勝手な解釈をした教義をありがたがっている学会員こそ、まことにいい面の皮であるといわねばならない。
一例をあげる。入信者に対して最先につぎのようなすり替え論法で洗脳することが、現職の埼玉のB長により証言されている。
「まず入信すると座談会へ引っ張り出します。そこで教義というか、いわゆる日蓮の説いたことを話す。これはまあ立派なことだから、それに釣られて一応納得して学会員になる。ここで第一のすり替えをおこなう。例えばこういった調子で……。
『さあ、もう皆さんは大聖人様の弟子ですぞ。大聖人様の言っておられる通りに、生命をかけてこの宗教を守らねぱなりません。つまり皆さんはこの御本尊様とこの宗旨を守り、そして創価学会を守ってゆくことが使命なのてす』とすり替える。つまり“万法万年、令法の久住のため、御本尊を守る”という次に、それと同列に創価学会を持ち出すという手順になるのです。」
彼らが日蓮を信じ御本尊を大切にすることは信教自由の律前えからいって、どうこういう筋合いでもあるまい。イワシの頭も信心からである。まさにただそれが創価学会という組織を守ることに直結されると、やはりおかしな印象を与えるワケであろう。
それに日蓮宗は何も創価学会だけのものでもないことは誰でも知っている。御本尊があたかも創価学会の独占物であるかのような誇大宣伝が、多くの学会員をまず迷わしているわけである。
そして創価学会は即池田会長だとさらにすり替えるのである。
----------(つづく)---------200