--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
新・創価学会を斬る 藤原弘達 著 日新報道 昭和47年(1972年)
--傷つけられた大衆の怒声--(目次は、第2回に登載)
---------(以下、本文)--------150
◆ ウソもいい加減にしてくれ!!
このほかさまざまな学会批判があるが、論理面では、すでに『正・続』の前二著のなかでほぽ言いつくしてあるので学会員自体が、どんな感想をもっているのかを幾多の具体例により示してみることにする。
「話がくるくる変わるのが学会です。大聖人の教えはそういう浅薄なものではない。何にしても人生というものは、一つの貫いたものをもたないと駄目なんです。嘘も方便、大聖人様が文証とか文底とか教えてあるものだから、わからないことは、すでに会員たちには、これは文底だとかいって言い逃れをするんです。だから学会員は大分減っているとは思います。その一番の原因は、藤原弘達先生があれだけのことを言われたときに何故、チャンと出て行かなかったか、これが大問題です、
本当に今まで堂々とやっているんだったら、あそこで本当に大聖人を信心しているんなら、議員が全部総辞職してもいいと私は思うんです。それでこそ本当の大聖人の弟子ですよ。あんなときに逃げ回るんだから、いままでの
教えは、いい加減な教えだったという気がします。
この頃の赤軍派もそうでしよう。社会が悪いから、親がどうだったとか、それしか追求しない。そうじゃないんで原因はやはり自分にあるんですよ。底辺の人たちだって、心は悪いわけじやないんです。
そういう人、何にもわからない人を利用していてなんであわてて、政界に創価学会の幹部が出なければならないのか。
いま学会がこわいのはですね、私らがやらんでしょう、座談会にも出ませんでしょう。いままでは私らを見てみろ、あれは純粹だから、功徳がもらえたのだと言えなくなったわけです。」 (九州 太田政雄さん)
この太田さんはかって地区部長で熱心に学会活動をやった人である。
「私はいろいろ、例えば天理教に入ったこともあるんですが、他の宗教というと“今日私は金がなくって、食べていない”と言えば、それは気の毒の毒だといって、一食か二食を食べさせてくれて、職がない人の場合はみつけてくれますよ。ところが学会は取る専門ですネ。例えば困って“いま私はお腹がすいて死にそうだ”といえば、“あんたは功徳がないから、一生懸命やれば、金が入る”といった調子なんです。
けれど女は気が弱いので“罰が当たる”という一言でなかなか止められないんですね。」 (神奈川県 帆文子)
(御本尊返還についての地区部長のハガキ)
「入信しておかげがあると思っているうちに三十六年にこの病気(筋ジストロ)になったわけです。
まあ初めは熱心にやりましたね、“御紫布”というのは、三人以上折伏した人に呉れることになっていたんですが、私は三十人以上やった。そして退転者が一割出ないんだから、本来ならとっくに呉れるべきものを、呉れないんです。それで地区部長のところへ、こんど本部に行くときは文句を言ってくれと話したんです。
そしたら『信心のはっきりしない人が貰うと命がなくなる』というんです。そういう例がたくさんあると言うんですね。そこでわたしゃ思い切りがいいほうだから『何をいうか、よこすものはよこせ』といって
貰ったわけです。それでお山のほうから送ってきたんですがしゃくにさわるからまた本部へわざわざ返しに行ったんです。
それから脱会するといっても受け付けてくれない。御本尊を正式に返すとなると、大石寺へ行ってまたもってきて表袋して大石寺へ納めるなんて、金がかかるし時間も無駄なのでそのままにしてあるんです。
柏原ヤスもこのボロ家まで来て、説得しましたが、私の筋ジストロという病気、あんな信仰では治らないことがよくわかりましたから、もうやる気は全くありません。」 (東京都 宮埼きみさん)
◆ 自己顕示と資金作りの正本堂建設
昭和四十七年十月十二日にかれこれ十年がかりで宣伝これつとめた正本堂が大石寺境内に完工する。それに先立って池田は五月の外遊前から正本堂完成にあたり一つの注意事項を徹底させてきている。すなわち 「正本堂完成とともにそれに関して世間からいろいろな非難、批判が起こる、これ等に対して学会員は一致団結し屈服しないようにせよ」という趣旨のものである。
ところで私をして率直に言わしてもらえば、この正本堂募金に際してこそ、池田大作がこれまで言った言葉がウソだったかどうかがハッキリするまたとないチヤンスなのだ。
彼は、正本堂が完成する頃には、学会員の全てが豊かになる。男は高級の紳士服、女は高級のお召しを着て、小遣いとして懐に二、三十万円ずつ入れて登山できるようになる。ただし皆さんがそんなに金を持ってくると管理するほうが困るなどと、たわいのないことまでいって盛んにおだてたものだ。
設計者は学会関係の建築を手がけた日達聖人の娘婿横山公男である。
さていよいよその秋が来たわけである。学会員ははたして池田の予想通りになったであろうか。答はあきらかに否である。正本堂が完成して、いまや一番困っているのが実は池田大作自身にほかならないからである。この現実の食い違いをいったいどう説明するつもりなのか。さらには六十億円と予定された慕金を五百三十億円も集め、余分に集めた金の使途をどのように報告するのか。また昭和四十年十月十七日に奉呈した御供養金が、形式だけで直ちに学会へ返されたのは周知の事実であるが、これの利息、推定年間二十五億~三十億円のとり扱いをいったいどのように説明するつもりかである。
非難や批判は金をとられていない外部から起こるのではない。むしろ内部からのもののほうがはるかに強大だということである。学会員が経済的に豊かになれないのは信心が足らぬという得意の“すり替え”論法で強引に納得させるであろうことは想像に難くないが、金銭の使途は数字的なものだけにどんな屁理屈をつけるかまさにミモノといわねばなるまい。
正本堂御供養について
さらにもう一つ池田大作は正本堂完工とともに深刻な悩みがあるはずである。現在まで正本堂建立という大目標に向かって末端会員を引っ張ってきたが、この大目標がなくなった暁に、今度は何を“目標”としてつくり出すかということであろう。すでに満身創痍、ここでよほど大きな目標を与えないと、あれだけの大集団は変じて百鬼夜行に落ちこむ可能性をもっている。
最近は大石寺登山をあまり強制しなくなった。大幹部もあまり同行しなくなったという。これは過去に無理な登山のため死者を出すなどの事故がひん発したこともあるが、どうもそれだけでもないらしい。池田ならびに側近が新目標設定に、泥縄式に何事かを画作しているとみるべきではなかろうか。四十七年四月一日から八月三十一日までは講義など全行事を中止し、座談会にのみすベてを集中している。富士大石寺のほうも整備中と『聖教新聞』に発表している。
いずれにせよ、月三分だ、月四分だと吹聴して金を集めた戸田方式の集約された具体的な形態が正本堂建立であったのは問違いないのだ。この口車にまんまと乗り、大講堂建築のときと同じく、家計を省みず私財を投げだしてだましとられた形になったり、半ばば強制的に金を吸い上げているのである。
たとえば正本堂建立の資金集めについて、そのキーステーションになった九州の元ある地区部長は、「正本堂は予算が六十億円というので、一戸平均七百円という計算で貯金箱が来たわけです。それがお互にエスカレートして、私も本当に純粋な気持ちでまとめて百万円出しました。家族のなかからの二十万、三十万円というのを取りまとめて。
私のところでも事実、四日間で二千万円ぐらい集りましたからね。地区部長でしたから。この金が基礎になって政治の金になったり、学校をつくったりする金になった。学会員は家財道具まで売り飛ばして出した金ですよ。だから六十億は正本堂を建てるために使います。後は皆さんも大変だろうからと、返すのが本当じゃあないですか」と怒りをブチまけている。こういう痛ましい末端学会の姿は、これまで各項に幾多出ているので、次に数人の例をあげるにとどめておく。
「正本堂御供養参加人員」
全国 七百七十七万人 三百五十五億円
本牧支部 五千九百五九人 三千四百八十七万〇二一〇円
港地区 四〇二人 百九十五万四九七〇円
(私の地区 十三地区中トップ) 四日間で完遂
今では地区部長、横線B長としての責任を痛感。なんであんな無理なことをさせたのか残念でならない。
(神奈川県 森谷正雄さん)
「叔母の家はサラリーマンですから、そんなに家計が楽でもないのに五十万円出し、その後で非常に困っていた。その五十万円を出す時でも、叔母はたったの五十万円と言ったもんです。なんとかさんは百何十万円どこそこの社長は何百万円とかいって五十万円では恥かしかったらしい様子でした。」 (東京都 田村幸二さん)
「客が四、五人しか入れないような飲み屋で五十万円出しましたよ、幹部だから。私ならダイヤモンドでも買うって言ってやりましたがね。
これは三菱銀行から貯金箱が回って来て、一円でも五円でも貯めてほしいということでした。それで取りに来たから開けてみたら、二千円になっていた。そうしたらお宅あたりならもっと出せというんで、口喧嘩のすえ四千円出しましたがね。」 (神奈川県 宮崎末子さん)
----------(つづく)---------157