--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
新・創価学会を斬る 藤原弘達 著 日新報道 昭和47年(1972年)
--傷つけられた大衆の怒声--(目次は、第2回に登載)
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◆ 倒れた運動者にはつれない素ブリ
こんなにまでして働く選挙の尖兵に対して党幹部はいったいどう考えているのか。公明党らしい非情ぶりの例がここにある。
「ちょうど参議院議員の選挙のときだった。私の近所に住んでいる化友化学に勤めている竹上さんという人が入院した。死の一歩手前の病人でありながら、公明党議員の応援を入院患者の人に頼んでまわり、関西本部長の白木義一郎の当選を喜びながら死んでいったものだ。社会党を応援した他の患者達には社会党議員が見舞いに来て、みんなよろこんでいた。これを見た竹上さんの家族が、公明党の議員は誰一人見舞いにも来てくれなかったじゃあないか。忙しくて来られないのなら、見舞の葉書ぐらい呉れるのが当たり前ではないか、と非難していた。
竹上さんの家で座談会をやったとき、竹上さん母子がこの事を話したら青年部の役付きの村岡という男が、選挙運動でも学会活動でもみんな自分の福運のためにするのだから、公明党の人が見舞に行かなかったからといって愚痴を言うのは間違っている。創価学会にはそんな小さな事より、もっと大きな仕事があるのだと竹上さん母子をきめつけた。そこで私は、『馬鹿野郎! 貴様気でも狂ったのか? 学会員は義理も人情もいらないというのか。それなら俺達は公明党の応援ば絶対にしないから、その責任は貴様負え!! 俺が貴様に言った事の責任は俺が負うから』と怒鳴りつけたもんだ。
私は翌夜、B長と二人で市会議員の家に行き、われわれが公明党議員の立候補者を応援するのに、その運動費用は、みんな自分持ちであることは、あんた方がよく知っているはずだ。学会員だけの票では当選しないことも知っているはずだ。学会員の応援は自分の功徳のためにするのだということの上にあぐらをかいて、病気見舞なんか必要がないというのなら、私も功徳なんかいらないから、公明党の応援なんか真っ平だと言った。
その翌日、会社を休み関西本部長であり、参議員議員に当選した白木義一郎に会いに行った。もし白木が見舞いに行かなかったということで腹を立てるのなら筋違いだとでも言ったら、白木を殺し、自分も死ぬ気で行つたが、あいにく白木は東京に行っていて不在だった。
受付の青年部員が、相談担当の幹部が来ているからというので会って話したが、通り一べんの返事なので馬鹿らしくなり止めた。そこで二階に君川薫という市会議員が来でいるというので会って話す。彼は誰からも、連絡を受けていず、全く知らず申訳ない、白木さんにも話しておくということで別れた。
その後、何日経っても音沙汰がない。今度は沖本泰幸代議士の講演会へ行き、その話をすると、用件と竹上さんの住所を書いて岡村婦人部長に渡してくれというので、その通りにしたが何んの音沙汰もない。
止むなく東京の公明党本部矢野書記長宛、手紙で知らせたら、ようやく沖本代議士が竹上ウメノさん宅へ行った。それを竹上さんは朝六時前に晴れやかな声で私に知らせに来た。
こんなことから公明党の選挙に嫌気がさし、座該会で、たとえ池田会長が見込んで立候補させても、私自身が尊敬できない人物であるなら、誰にどんなことをいわれも絶対に投票しないと主張した。これに対し誰一人反対しなかったし、学会員の中にも共産党の応援に行った者もいたくらいだ。
と大阪市の枝元栄熊さんは訴えている。
◆ 立候補者もボロ扱い
同じような手口は立候補者にも使う。いわゆる両刀使いが公明党の手口であり、お家芸である。ここに三人の実例をあげる。
「豊島区議選の際、私の友人がたまたま立侯補することになりました。
友人は、学会より古い兄貴分にあたる法道院の信者でした。やはり、“南無妙法蓮華経”を唱える立場です。それでも学会の機関誌を取り、第一回の選挙のときは柏原とか北条を応援して懸命に運動しました。
法道院の名簿には学会の門徒代表で池田大作、それからこちら側の門徒代表が私の知人である本田さんでした。この人は一昨年亡くなったんですが、巣鴨の地蔵通りで相模屋という靴屋をやってました。
で、さっき述べた友人というのが、地蔵通りの入口に住んでいて、法道院の信者である芝田鉄蔵。私が彼の選挙参謀のような役をしていましたので、学会に行き、どうか票を分けてくれと頼みに行ったわけです。
東京地区から参議院選に出た柏原公明党公認に対して全力を挙げ、二千数百票まとめた実績を買って芝田氏を公認してもらいたいと言ったのです。それに対し、幹部が、法道院がいくら“南無妙法蓮華経”であっても、学会には学会のオキテがあるから公認にはできないといったわけです。学会・公明党は人の力はいつでも借りるが、自分の力は貸さないんだということがよくわかった。」 (東京都 市中富三さん)
「私の知っている大町の人が、工場を経営していたので、自分の従業員百何十人かを一度に入信させたところから、文化部長になりました。そこで選挙で当選しましたが、二度目からはもう落選してしまいました。公明党にとってもう役に立つことがなくなったらしいのが原因のようです。 (埼玉県 種村慶次郎さん)
「昭和三十年四月町会長のとき、市議選に立候補しましたが落選。同年九月妻が入信し、私も十一月に入信しました。三十一年十一月教学部助手(組長)、三十三年講師(班長)になりましたが、三十四年自民党公認で市議運に立候補した為、その後、十年間学会内部で異端者扱いを受けてたわけです。
現在は平会員、教学部も計五回昇格試験の筆記に合格したのですが、現在はようやく助教授補です。この事実をみても池田会長の言う政党支持の自由は全くないことがよくわかります。」 (群馬県 小林豊さん)
要するに学会幹部による学会員の徹底的利用であり、学会員を用がなくなればボロ雑巾のように捨てる一種の“消竓品”としてのみしかみていないということの見本である。そこには宗教者としての慈悲の心の片鱗さえも見当たらないというほかあるまい。
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