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創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

続・創価学会を斬る-12

2020-01-08 18:48:33 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
続・創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道・昭和46年(1971年)
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「プロ公明党」学者・文化人の「虚勢集団」-2
 また公明党が材料費支払先としてかかげている人物はさらに多岐にわたっている。受領額はさまざまだが、学会・公明党の文化人・学者工作のすさまじさを如実にあらわしているものといえよう。
   (次表は自治省資料による。なおここに記載した文化人はその一部に過ぎない。)
            

 これらの支払いを受けた者が必ずしも公明党の支持者とは限らない。しかし、その接触の多面性と、それのもつ意味には大いに注目しなければなるまい。これ等の人々は、さきの言論出版妨害事のとき、どのような態度をとり、どのような発言をしたのであろうか。次にあげるのはホンの一例だが、そのことをここで改めて認識しておく必要があろう。

 大森実-「私は言論の自由というジャーナリズムの本質以外に、拡大されたものを肌で感じながら注目していたのです。言論の自由は簡単に守れます。書いて出せばいいんです。」〔『週刊サンケィ』四六・三・九)
 戸川猪佐武-「自由をはきちがえている。自由すぎるために起こった問題で、相手は民間団体だし、言論圧迫だとは考えない。」(同上)
 藤島宇内-「藤原さんの功績は大いに認めるけど、いったい真相はどうなっているんですかネ。竜頭尾に終わらないよう、弘達氏も共産党も公明党も自民党も、トコトンまでやってほしいですね。」(同上)
 今、この種のさまざまな発言を改めて読み返してみると、当時の自己保身がやがて次の線へつながる過程であったことがけっこう洞察できるというものであろう。

 上記の人たち以上に、ひどいのは大熊信行である。彼は言論出版抑圧問題を私への個人的中傷にすりかえた男だ。一時は新設の創価大学学長かとまでいわれた彼は、結局、教授ということで現在相変わらずゴー・ゴーを踊りながら教鞭をとっているが、彼と創価学会・公明党とが結びついた系譜をたどってゆくと、私がいうところの文化人の実態ならびに、その背後にある学会・公明党の本質が理解できるように思われる。
 彼によると、小林多喜二に共産主義の手ほどきをし、島田清二郎と親交を結んでいたとのことだが、その彼が軍国主義が深まった昭和十八年以降は、言論報国会の専務理事となり、東条体制下の言論統制のカジをとった。当然のことながら戦後は公職追放になった。ところが戦後再び臆面もなく、「国家悪」「歴史の偽造者」「反省なき民族」などの論文で名乗りをあげたと思いきや、三転四転して、恋愛論や結婚論、家庭論のチャンピオンになると同時に、『潮』に毎号原稿を書いて学会ベッタリの論陣を張ったのである。

 “カメレオン評論家”が住みつくところは“カメレオン体質”の家であるのは、至極当たり前なことである。かっては創価学会・公明党の支持者には、極く少数の自然科学者がいても、著名な文化人やジャーナリストは含まれていなかった。ことに社会科学系の学者・文化人は創価学会,公明党路線から少なくとも一歩離れていたか、あるいは極めて批判的であったりした。
 しかし、いつしか創価学会・公明党の手によってこれだけのシムパないし支持者が出てきたわけで、その点での学会・公明党の手腕は並々ならぬものがあるといえよう。
 だがふりかえってみると、公明党が創価学会を土台にした宗教政党であり、そして創価学会・公明党が言論出版抑圧問題を起こしていることを知りながら、なおかつあえて公明党支持に踏み切った人々の思想の中味や政治姿勢のとり方はいったいどうなっているのか、彼等はいったい言論の自由をどのように考えているのか、という点にやはり深刻な疑問を感ぜざるをえない。
 と同時に日本のインテリといわれる人々のまことにヒ弱な体質、言論自由への感筧の純さを感ぜざるをえないし、とくにファッシズム的体質への対決姿勢が如何にヒ弱なものであるかも指摘せざるをえないのである。
 大森実(次の総選挙に公明党から立侯補を噂されている)梶谷善久にいたっては公明党候補の選挙応援演説を街頭でぶっているくらいである。
     ----------(つづく)---------63

 

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続・創価学会を斬る-11

2020-01-08 18:18:28 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
続・創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道・昭和46年(1971年)
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◆ 「プロ公明党」学者・文化人の「虚勢集団」
 こうした言論工作は何も出版界に対するだけではない。さまざまの文化人、学者といわれている連中にも触手をのばしている。
 その意図するところは、彼らに世論工作をさせるためと、“似非インテリ”の学会への結集をはかるものにほかならない。自己の主張をばオピニオンリーダの発言や、いわゆるマスコミのうえの“世論”によって正当化するためである。
 こうしたことはヒトラー、ムソリーニが最も徹底して行なった手口にピッタリ類似する。一方で的文化人を名誉や金銭でつり、他方で彼らを識者に仕立てて、世論工作をさせたのだ。
 そしていうことを聞かない奴は、いんけんな手段で押しつぶすというのがファシストの常套手段であった。権力・名誉・金銭などへの亡者どもは、ファシストの呼びかけに易々として応じ、そのお先棒をかつぐ文化工作に専念したのだ。
 日本でも、近衛新体制(昭和十五年)ができたときには、一方ではその革新的ポーズに幻惑されたもの、他方では名誉や金が欲しいものが寄ってたかった。主観的意図はともかく、蝋山政道、佐々弘雄、笠信太郎、尾崎秀実、三木清、前田多門といった連中までが、近衛のブレーン・トラストとなって、日本の破滅への道の露払いの役割をになわされたのである。
 蝋山政道の息子の蝋山道雄が何となく同じような道を歩もうとしているのは、まこと支肉な現象といわなくてはならない。

 公明党はヒトラーらファシストのとった手口をけっこう真似して同じようなことをしている感じである。
 一応、世間的に名を知られた学者、文化人、ジャーナリストの中で、自己の思想、信念に確固たる信念を持たないもの、またそれまで所属していた団体やグループからはみでて、あるいははみ出されて、変節ないしは無節操というラク印を押されたもの等を組織化し、彼らを“御用商入”として文化工作にのりだしている。

 私は次頁以下に掲げる創価学会・公明党関係者の一覧表をながめたとき、あまりのすさまじさに目を見張らざるをえなかった。というのは私自身、ジャーナリズムの世界の一端にあるものとして、当然さまざまな人々と接し、その人柄などもかなりよく知っていたつもりであった。
 だからこの人が……と思われる人々の名が随所にあることに、率直にいって理解に苦しんでいるわけである。その人自身の内部にどのような変化が起こったのかは知るよしもない。ただ私は、そういう人々が世にいう文化人として恥じるところがないのか、今後はどうなるのか、それを注目してゆきたいと思つている。

 一例として、東大法学部教授の寺沢一に登場してもらう。彼は周知のように“言論出版妨害問題”のときは、同僚の篠原一らとTVで矢野書記長を盛んに攻撃した人物である。それが一転して四十五年九月二十日、ホテル,オークラで開かれた公明党の「第一回日中国交正常化国民協議会」の世話役四人のうちの一人になった。この橋渡しをしたのは公明党の黒柳徹である。
「協議会は呼びかけを自民党左派から共産党まで行うつもりでおりますから、幅広い考えの方を捜した。学者に呼びかけるとすれば、やはり東大は無視できませんし、東大だとすれば、だれかいいか、話のわかりそうな先生は--ということになりますと、やはり寺沢先生がいちばんということだつたのです。先生は大へんに喜ばれて、積極的に引き受けて下さったんですよ。
 こちらは、ちょっと意外なくらいでした。さきの言論問題のことなどは何もおっしゃらず…」〔『週刊新潮』四五・一〇・一〇号)と彼はいっている。

 これに対して寺沢と東大の同期生である慶大法学部の神谷不二教授の黒柳に対する返事は次の通りであった。
 「私としては、日中国交という重要な運動を党派的にやるのは反対だという気持なのでお断りしました。公明党では党派的な運動じゃあない、各人のイデォロギーとは関係なく国民運動としてやるんだといってましたが、発起人として名をつらねれば、それだけで、世間からは色のついた見方をされちゃうと思うんです。党派的な運動だと、つい調子のよい面ばかり先に出ちまって、真の問題が置き去りにされる危険があるんです」(同上)
 まずは「大へん喜ばれた」人物と大きな差があろうというものである。寺沢は“国際法学者”として安保反対とか北方領土に対する日本の請求権はないなどの意見を出して、自民党を憤激させたことがある。また東大紛争では全学集会交渉委員として加藤一郎総長側近の一人であった。まこと創価学会にも似て融通無礙という言葉そのままである。
 この「日中国交正常化協議会」に誰が入っているか。そのメンバーは次の通りである。

 蝋山道雄(代表者・上智大教授)、寺沢一(東大教授〕、新島淳良(早大教授)、関寬治(東大助教授)、奈良本辰也(歴史家)、藤原義江(声楽家)、伊藤雄之助(俳優)、三隅治雄(文部省郷土芸能・研究室長)、井手文雄(横浜国大教授)、西川潤(早大講師)、宝生あやこ(俳優)、小幡操(外交評論家)、尾上菊乃里(日本舞踊家)、梶谷善久(評論家)、樺光子(東京女子大助教授)、川上源太郎(東京女子大助教授)、川崎寅雄(東大助教授)、中西治(法大講師)、五条雅己(舞踊家)、浅利慶太(演出家)、木下広居〔専修大教授)、菊地昌典(東大助教授)、北沢方邦(桐朋学園大講師)、島野卓爾(学習院大教授)、成野宏(評論家)、森正(東京都交響楽団常任指揮者)、関順也(京都教育大教授)、杉山茂雄(法政大教授)

 「日中国交正常化協議会」は別にして、一般的に創価学会・公明党は文化人工作としてどんな手段を用いているであろうか。
 その第一の段階は、まず総合雑誌の体裁をととのえている『潮』に執筆させることから始まる。
 「何でもよいから思ったことを書いてくれ」といった調子で接近し、『潮』に執筆させるのである。しかし、その交渉を受けた文化人が、潮出版社が学会の外郭団体であることを知らぬはずはない。潮出版社の雑誌であるということになれば、自ずと創価学会や公明党の批判に筆が及ばなくなる。やがてそのことが心理的な陰影となって学会・公明党に対する批判のホコ先を鈍らせることにもなる。このようにして発表の場を求め、報酬を求める文化人を巧みにつり、いわば目に見えないクモの巣を文化人に張りめぐらすのである。

 さらに学会・公明党寄りになったと思えば、第二段階としては、公明党の機関誌『公明』をはじめとし、明瞭に学会色、公明党色が出ているものに執筆させる。月刊『公明』が公明党の機関誌であることを知らぬものはない。一般商業雑誌とはワケが違う。あくまでも公明党の宣伝、党勢拡大の理論誌なのである。だからそこに執筆するということは、ちょうど共産党の機関誌『前衛』に執筆することと同じく、その党を何らかの意味で支持し、その党の宣伝に一役買っていることになるワケである。そこに書かれている内容がどうあろうとも、客観的には公明党の宣伝、党勢拡張に奉仕したことになるといわねばなるまい。そうしたものに執筆させるわけである。
 ところで、そうした執筆者や座談会出席者は非常に多岐にわたっている。一部をあげただけでも次のようになっている。

 蝋山道雄(上智大教授)、岡部達味(都立大助教授)、松尾文夫(共同通信前ワシントン特派員)、寺沢一(東大教授)、青野博昭(東海大助教授)、河部利夫(東京外国語大教授)、菊地昌典(東大助教授)、安藤彦太郎(早大教授)、太田昌秀〈琉球大教授)、草柳大蔵(評論家)、鈴木幸夫(日経論説委員)、芳賀綵(東工大助教授)、一の瀬邦春(政治評論家)、加藤寛(慶大教授)、鉋戸弘(埼玉大助教) 、小沢辰男(武蔵大教授)、山田雄三〔一橋大名誉教授、垣花秀武(東工大教授)、紫山寛召(??)、奈良本辰也(歴史学者)井手文雄(横浜国大教授)、藤島宇内(評論家)、小林純(岡山大教授)、吉田克己(三重県立大教授)、宮地一馬(同上)、外山敏夫(慶大教授)、関寛治(東大助教授)、梶谷善久(評論家)、小播操(外交評論家)、大熊信行(東女大講師)、北沢方邦(桐朋学園大助教授)嘉治隆三(評論家)、小山路男(横浜市大教授)、平石長久(東女大講師)、梅根悟(和光大学長)、磯村英一 (東洋大学長)、佐々木忠義(東京水産大教授)、中沢道明(読売新聞社会部次長)、青木茂(愛知大教授)、三好修(毎日論説副主幹)、武者小路公秀(上智大教授)、神川正彦(神奈川大教授)、入江徳郎(朝日論説委員)、戸川猪佐武(評論家)、高橋正雄(九大名誉教授)、杣正夫(千葉大教授)、清水馨八郎(千葉大教授)、鈴木博(東海大講師)、大石脩而(日経編集委員)、関順也(京都教育大教授)、木下広居(専修大教授)、新里金福(評論家)、久保まち子(日本女子大教授)、長洲一二(横浜国大教授)、高橋正雄(東北学院大教授)、堀江忠男(早大教授)、沖田哲也(明大教授)-- (肩書きはいずれも執筆時)
     ----------(つづく)---------55

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