--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
続・創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道・昭和46年(1971年)
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◆ 創価大学・学会幹部の養成所ー2
ところで故牧口常三郎が、おそらく夢みたであろう創価学園の創立は、昭和三十九年六月創価学会学生部総会の席で、池田会長によって明らかにされ、それ以来具体的日程にのぼることになった。そして四十年七月三十日の学会教育部会第四回幹部総会において池田会長は次のように述べている。
「最初にご報告申しあげたいことは、創価大学ならびに、付属の創価高等学校の設立についてであります。十一月ごろ、設立審議会を発足させる予定になっておりますが、ここにおいて、二十年先、五十年先の日本の指導者、世界平和を築いていく指導者を育ててまいります。と同時に、特に初代会長の創価教育学説を、この社会で実践しきっていく教育をしたい。したがって、そのための完璧なる教育陣営・教育設備をつくりあげたいと思っております」(池田諭、既掲書九一ページによる)。
この発言に従つて十一月に審議会が発足し、創価学園の設立にむかって全力が投入され始めたワケである。ここではっきりと述べられているように創価学園、つまり創価中学、創価高校、創価大学の目的は、初代会長の牧口常三郎の創価教育学説によって、いわば創価学会的人間をつくりあげるということを目的としているワケだ。 学会はそれをまず教育を通じて意識革命からやろうというのである。それがいうところの“人間革命”ということにもなるのであろう。
そういう意味からも創価大学の目的は学会イズムによって武装された学会リーダーの養成所ということもできるのである。
事実、池田大作は四十五年五月に創価学会のビジョンとして「具体的には、まず第一歩として、今後は新しい文明の基礎をつくる教育文化に力を注いでいきたい」(『週刊サンケイ』四五・五・一一号)と、新しい文明の基礎をつくると述べ、創価大学の充実発展を発議しているのである。さらに伊藤満(法学部長)によれば、それは単に発議せられたにとどまるのではなく、広大な敷地をはじめ、すべての建築、いっさいの施設、要するに一木一草ことごとくが創立者の心血をそそがれた苦闘のなかから生みだされたのである。金額にみつもって、すでに六十億円以上の巨費が投ぜられていることは周知の事実である。
しかも、その内容は、世間によくある宗団が信者から寄附を強制的に集めてといったたぐいのものでは決してなく、創立者の筆になる多数の著書や創立者の指導による出版物などの果実が主である、ということである(「創価大学」『書斉の窓』二〇一号)。しかし、浅野秀満によると、「敷地や校舎で、すでに六十億円をかけていたが、池田は金に糸目をつけないといっている。設立基金は十五万五千人からよせられた十二億円と、学会の四十八億円」と述べている〈『あすの創価学会』〕。
いずれが本当か、どうやら後者のようである。かりに池田の印税等によるにしても、それはあまりたいした価値のない本を買わされた会員のポケットからでているものであることは間違いない。個人所得に対する税金もどうなっているのか、甚だしく気になる。
ところで、創価大学は建物や設備面からいうなら、まことにデラックスな大学である。
前出の伊藤満のいうところによると敷地は四五〇余万平方メートル(十四万坪)という広さであり、八階建て文科系校舎、ラーニングセンター、福祉厚生棟、大教室棟(以上四棟は冷暖房完備)、体育館、学生寮、教職員宿舍(以上三棟、暖房設備)がすでに立ち並び、やがて二〇〇人以上収容の中、小教室五五(大教室は別棟)、教員個人研究室一三四、共同研究室五、ゼミ室二〇を備えることになるという。
視聴覚教育設備や野外音楽堂、立派な図書館、医務施設など、いたれりつくせりの設備が整えられているということである。
せまい研究室、スシ詰め教室、まともな厚生施設もない、多くの大学からみるならば、まさにそうした面では夢の宮殿であり、創価大学は垂涎のマトでもあろう。
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