--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
続・創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道・昭和46年(1971年)
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◆ 悪質極まる歴史の書替え
このように政界で公明党が自民党権力との癒着工作を強める陰で、創価学会は公明党以上の悪質なことをやり始めた。それは、創価学会の歴史を書替えるためにさまざまの文献の抹殺をはかったことである。私や内藤国夫の本を抹殺できないと知ると、今度は一八〇度転換して自己の歴史書き替えを始めたのである。矢野書記長が接触を認めた頃から、いっせいに本屋から『池田会長全集』『戸田城聖全集』や古い『折伏教典』などが姿を消していった。
『池田会長全集』は第一巻と第三卷が出ただけで絶版となり、『戸田城聖全集』は新本屋はもとよりのこと古本屋からも姿を消していった。
『折伏教典』も初期のものは次第に本屋の店頭から消えていったのである。このことについて佐伯真光は「言論出版の自由を妨害したとして世論の攻撃にさらされたとき、創価学会が最初に、しかもひそかに取った処置が、批判の証拠となるような文献をカバーアップする作業であったことは興味ぶかい。創価学会では文証という言葉をさかんに使い、その教義が動かしがたい経典の文句にもとづいているという点を強調するが、その創価学会自体が、文証をかくさねばならぬ立場に追いこまれたのである。
『戸田城聖全集』を批判者の目からかくす必要が生じたのは、第一卷にある王仏冥合論が国立戒壇建立の意図ある証拠とされるのをおそれたからであろう。池田大作氏の初期の発言のなかにもあげあしを取られそうな言葉が多い。『池田会長全集』が未完結のまま絶版になったことの意味は大きい」と述べている。(「創価大学に学問の自由はあるか」『諸君』四六年一〇月号)
創価学会はかって国立戒壇論を展開し「議会の議決によって戒壇を建て、本尊をまつろう、そうしたことが出来るように国会に進出し、多数の議席を獲得しよう」と呼び掛けた。ところがこの“政教一致”が批判されるや、四十七年に完成される予定の大石寺の正本堂にその戒壇を置く、しかしこれは国立の戒壇ではなく民衆立の戒壇であるというふうにいい方を変えていったのである。だが四十年に正本堂建立の資金集めをしたとき、辻学会副理事長は「会員の御供養はこれが最後です、づぎは国立戒壇でこれは国家予算ですから」と述べている。
また池田会長は戸田城聖が病歿したときに、創価学会の目的である国立戎壇の建立を誓っているのである。(『聖教新聞』三三・四・四、日本共産党中央委員会出版局『創価学会教義と理念批判』一二ページによる)
学会としては批判のホコ先を避けるために、こうした前後の言論の矛盾、つまりいい訳の成り立たない過去の文証を抹殺しょうとしたわけである。いったいこうしたことが、いやしくも宗教を口にするものとして許されることであろうか。何よりも真理と教義を重んずる宗教者のとるベき態度であろうか。
そうしたことは他の集団でも皆無ではないというかもしれない。例えば共産党でもしばしば歴史の書き替えを行なっている。一例をあげれば、「獄中十八年」の輝ける闘士といわれた徳田球一や志賀義雄の党内外で果たした役剖などについて、過去においては、終讃されていたものが、今日ではわい小化されたり、非難されたり、抹殺されたりしているといった事例もある。
これはおそらくイデオロギー的批判あるいは今日の路線を正当化するために行なわれたものであろう。こうしたことも理由はともあれ、共産党に対して批判されて然るベき間題点ではある。
しかし、その種の「書替え」や「歴史抹殺」が、かくも短時日で組織的に宗教団体自身によって行なわれているとしたらどうであろうか。それは状勢によって変転する政党が行なっている以上に大きな罪悪であるといわざるをえない。何故かなれば、それはその信仰を唯一絶対のものとしている多くの信者の純粋な気持を冒涜するものであり、信者をたぶらかすものにほかならないからである。外部に対するゴマ化し以上の罪を、何よりも七五五万世帯といわれる多数の学会員そのものに対して負わねぱならないからである。こうした卑劣なことがはたして宗教者として許されてよいのであろうか。それが信仰を口にするもののとるベき態度であろうか。
そして学会は他方において、新しく“書替えられた本”を次から次へと出版し、過去の行動を隠蔽し、内外の人々をまんまとあざむこうとしている。その心情の卑劣、もって唾棄すべきものがある。
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