(2020-11-21)
サカ族・ペルシア系・ゾロアスター教(拝火教)徒説だにゃ・・
「渡辺豊和氏はこのサカ族こそが蘇我一族であるとしている。千葉県芝山町の芝山古墳から尖がり帽子の埴輪が出土し、顔つきや髪から日本列島土着の民とは思えない。常陸国行方郡では非常に激しい戦争があり、夜刀神(やとのかみ)率いる渡来民が殲滅された。彼らの出自はイラン中部のゾロアスター教の中心地ヤズドである。
」
https://religion-news.net/2020/02/18/kouen760/
「万葉集 巻第二 160
燃火物 取而嚢而 福路庭 入澄不言八 面智男雲(面知日男雲)
燃ゆる火も 取りて包みて 袋には 入ると言はずや 面智男雲
【訳】 燃える火をも取って包んで袋に入れるというではないか。面智男雲
天武天皇が崩御した際の太上天皇(天武皇后、後の持統天皇)御製歌という題詞が付いたこの歌は、古来より難訓とされているという。結句の「面智男雲(面知日男雲)」という万葉仮名が一体何を指しているのか不明なのだ。
万葉集の解説集を紐解くと、多くの先人たちがこの句に関して頭を悩ませてきたことがわかる。・・・
」http://tripmode.g2.xrea.com/pn/pn05.htm
「306日本@名無史さん2019/12/20(金) 15:45:39.11>>308
天武崩御時の持藤天皇の謎の歌 「燃ゆる火も取りてつつみて袋には入ると言わずやメニシルダクモ」
万葉仮名では「面智男雲」
メニシルダクモは有徳な正統派ゾロアスター教徒という意味だそうで、 イラン語ではマンスラダフマだそう,
この歌の意味は「燃える火でもより強力なマンスラダフマの前には抗しがたくて袋にいれられる。それと同じように天武帝も定命には抗しがたく、ついに神上がりされた」
法隆寺にソグド文字の護摩木が出ている。 西域のなにやら強い文化が入ってたのは事実ではないだろうか。
」https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1576311062/
面智男雲
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%22%E9%9D%A2%E6%99%BA%E7%94%B7%E9%9B%B2%22&ei=UTF-8
とんがり帽子・・
「「紀元前6世紀、アケメネス朝は古代オリエントを統一して大帝国を築くと、さらに東へ遠征し、中央アジアの草原でサカと総称される遊牧騎馬民族と接触した。このサカについてダレイオス1世(在位:前522年 - 前486年)の『ベヒストゥン碑文』では、サカ・ティグラハウダー(尖がり帽子のサカ)、サカ・ハウマヴァルガー(ハウマ[1]を飲む、あるいはハウマを作るサカ)、サカ・(ティヤイー・)パラドラヤ(海のかなたのサカ)の三種に分けていた。サカ・ティグラハウダーは中央アジアの西側、サカ・ハウマヴァルガーは中央アジアの東側に住んでおり、サカ・パラドラヤは「海のかなた」すなわちカスピ海もしくは黒海の北となり、ギリシア文献に出てくるスキタイを指すものと思われる。」
」
http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51802318.html
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彼の大英博物館、世界中から収集(略奪 --植民地時代の名残り)した秘宝・財宝を所狭しと陳列してるわけですが、日本館での人物埴輪はユダヤ人風というこっちゃな。
https://ameblo.jp/kuraicco/entry-10924145827.html
特徴は 男子立像で、とんがり帽子、顎鬚(アゴヒゲ)、美豆良(ミズラ 角髪)、帯刀、(ズボンばきの?)双脚。双脚は騎馬民族系??
「芝山古墳群(殿塚・姫塚)出土の埴輪は、表情豊かな人物埴輪が多いことで知られる。
あごヒゲを蓄えて帽子(又は天冠)をかぶる一連の男性の全身像埴輪・・・あごヒゲを蓄える人物埴輪は主に茨城県と千葉県に分布していることが知られているが、千葉県内での分布は茨城県に比べて少なく、山武地域と千葉市内でわずかに出土例が知られている。
芝山古墳群(殿塚・姫塚)出土埴輪 千葉県教育委員会
」 https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/p181-011.html
芝山古墳群は6世紀後半から7世紀初頭に築造。
「中央アジアでは5世紀頃、ソグディアナ人がみずら状髪型をしていたことが、ベゼクリクの壁画でわかっています。下の画像は左がソグディアナ人、右が倭人の埴輪。
・伊邪那岐命・天照大神の時代は、みずらの無い縄文時代ではなく、みずらのある弥生時代のほうが相応しい
・日本で最初にみずら状髪型の人形が確認されるのは3世紀である
・ユーラシア大陸にはみずら状髪型が紀元前から存在していた
・記紀の伊邪那岐命・天照大神の頃の記録には、ユーラシア大陸での出来事が合わさっている。
たっちゃんの古代史 2014-10-23
」 https://tacchan.hatenablog.com/entry/2014/10/23/173718
「角髪(美豆良、みずら)とは日本の古墳時代における貴族男性の髪型で、中国の影響で成人が冠をかぶるようになった後は少年にのみ結われ、幕末頃まで一部で結われた。すなわち中国には無かったのである。
ユダヤ教徒の髪型ペイオト、美豆良に似てなくもない
ベゼクリク石窟は中国火焔山周辺にある、高昌の遺跡付近の楼蘭とトゥルファンの中ほどに位置する。ほぼ真西(画面中央左)に弓月国がある。
wikiによると、「みずら」という言葉は、「耳に連なる」の意で、髪の形状を表した言葉とする説が有名である。ただし、全ての研究者が賛同しているわけではなく、みずらは「美面」の意であり、ミは美称であるとする考え(筑波大教授・増田精一説)もある。その考察に従えば、みずらとは、「いい面」の意ではないかとする。おさげ遊牧民であるモンゴル人は、おさげをクク、あるいはケクといったが、これは「いい面」の意味である。チョンマゲが大陸の南方文化に多いのに対し、みずらのようなおさげ文化は、大陸の北方文化に見られる。
ベセクリクもヘブライ語で解釈出来る地名で、神殿と言う意味らしい。
日本の歴史と日本人のルーツ 2014-12-19
」https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-11966466156.html
「奈良時代には元服以前の少年用という記録があり、美豆良という髪型があったのは間違いない。
webをみるとイスラエルのユダヤ人の髪型ペイオトと美豆良がよくにているという文に出会う。
スター・ウォーズのレイア姫は弥生時代の美豆良 / 時間探偵 カメラマンが歴史の謎解きに挑戦 2016/5/9
」https://artworks-inter.net/ebook/?p=1418
倭人スタイルの貫頭衣・腰巻風で裸足となると南方系でしょう、それとは異なってるわけで。
梁職貢図に描かれている倭国使(梁 中国南北朝時代の江南に存在した王朝。502 - 557年)
「『唐閻立本会図』に描かれている倭人(倭国使)
」https://kiyond.blogspot.com/2018/02/blog-post_75.html
列島は古代においては、様々な民族が流入、覇権を争った・・・
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