武蔵の国入間郡には、百済系遣民が先に住み着いておったんでしょうね。高句麗に滅ぼされたりで。で、後に 高麗郡が設置され高句麗遣民がやって来た折、その入間のあたりを通って北に向かってたわけで、その時に、矢を射るものがおったんでしょう。まぁ、京都のほうから百済系の命令が伝わり・・・
「日は魔物なり、勅命して京都の武士に退治申し付ける。』すごい弓の名人「タチバナのモロカタ」に頼みに行く。モロカタさんは引き受けて太い竹を切って弓を作り、天皇様は白い羽の矢をくださった。とうとう狭山のど真ん中にある「テンノウ山」まできてしまった。テンノウ山の神にお伺いをたて、「一段低い丘で陸稲畑を焼いているのが幻魔の化けたニセテントウだ」と教えられ、その太陽の真ん中を射抜いた。すると忽ち、太陽は光を失い雷がなり天と地が、森も岡もひっくり返った。が、それもいっとき。たちまち晴れ上がった東方の岡に 白い、大きな、三本足のカラスが落ちてきた。ヤマトの国の空には本物の太陽がひとつだけきらきら輝いておったんですって。都からはるばる幻魔テントウ・・・
」 http://www.raifuku.net/dic/way/kurou/ku_121001.html
太陽がひとつというのも、当時、日本国の支配権をめぐる争いが、関東の地でもあったことに・・・
「天皇の礼服の紋章には円形の中に「八咫烏」の刺繍が施されているという。天皇の始祖は高句麗にあるという説がある。「八咫烏」は日本古来の文化ではなく、直接的には朝鮮から渡来した文化である。日本の各地の神社で「八咫烏」がシンボルとして使われ、埼玉の「高麗神社」にある「広開土王」の銅像の衣服にも「八咫烏」が刺繍されているという。
」 http://japanese130.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-cadf.html
時代が下って、先祖の金子氏は村山党で入間郡金子郷に住み着き金子を名乗る・・・
その頃には、まだ武蔵の国で、百済系、新羅系、高句麗系とかってあまり言わなくなったのかどうか・・・
武蔵七党のひとつ児玉氏は
「武蔵国児玉郡(現在の埼玉県児玉郡)から秩父、大里、入間郡および上野国南部が勢力範囲。 児玉氏には毛利時親に従って安芸国に下向し毛利譜代の重臣となり、 毛利元就の頃、配下で数々の合戦で軍功を挙げた児玉就忠や児玉就方、・・・
」 http://pipinohoshi.blog51.fc2.com/blog-entry-56.html?sp
とあり、毛利氏は百済系と関係深いので、平氏軍団武蔵七党は百済系子孫が多かったのでしょうかね。
となると、源氏というのは新羅系、高句麗系なんでしょうかぁぁ・・・・
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