「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「ちょっと気になる・・・」

2014年09月06日 | スポーツ・観戦

                    

プロ野球も9月戦線。いよいよ胸突き八丁、正念場にかかってきた。
本当に強いのか、地力が付いてきたのか、未だによくわからずシャンとしない我らが広島カープ。
正念場の9月戦線初戦。首位奪回も視野に入る巨人戦で、独り相撲のような不甲斐ない負け方の3連敗。
一瞬、今年のペナントレースも終わったか・・・とため息をついたとたんに、横浜に完勝。
いったいどうなっとるのやら・・・。

兎に角一生懸命戦っている選手の躍動に免じて、ペナントの行方は取り敢えずしばし静観を。
そんな中で気になって仕方がない横浜DeNAの選手が二人目につく。
横浜ファンも多いことなので、誰とは名前まで言わないが、一人は長身のかっこいいトップバッターの外野手。
いま一人は、レギュラーであったり代打であったりする、ガッシリタイプの選手。

二人ともにひげ面である。ひげはまあ良しとしよう、精悍で男の色気を感じさせるものがある、人もいる。
この二人、試合中ずーっとガムを噛んでいる。この頃のプロ野球、ガムがダメとは言わない。
問題はその品の悪さである。グッチャグッチャ音が聞こえそうなほど口を開けたまま噛んでいる。
三振してベンチに引き揚げるときも、平然とした顔で、グッチャグッチャやっている。

古い人間とお思いでしょうが・・・ こんな姿をテレビのアップで見せられると、お金を払って観に行って、大声あげて応援するファンが気の毒に見えてくる。「やる気あんのか~?」と吠えたくなってしまう。
改めて言う、ガムが悪いとは言わない。でも大枚の年俸を頂くプロ野球選手にはそれなりのマナーを求めたい。
せめて口を結んで、噛んでいるかどうか観客に分かりにくいくらいの配慮はするべきではないかね~。

グラウンドに立つ選手は、野球を愛する子どもたちの憧れであり、スターである。はずである。
しかも真剣勝負の戦いの場であり、一挙手一投足が注目を集め、年俸に反映する神聖な職場である。
無精ひげの上に口を開いてグッチャグッチャはどう見ても頂けない。せめてテレビのアップに耐えられるような、品のあるガムの噛み方を研修しては如何だろう、プロ野球機構殿。いっそのことガム禁止令があってもいいのではないか。

まあいい、そんな横浜と今夜も試合をするカープ。相手の品のなさはがまんするから、どうぞ勝っておくれ。
そして、ガムを上品に噛むのは、それなりにお色気を感じる部分もあることをお忘れなく。

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「二百十日」

2014年09月01日 | 季節の移ろい・出来事

                      

9月1日「防災の日」。言わずと知れた二百十日。
昔からこの二百十日を前後して、日本列島を台風が襲い、何度も大災害を繰り返したことから、この日は防災の日として、気の緩みを反省し、自然災害に対する身の処し方を改めて学習する日と定められている。

今回の広島土砂災害の後日談として「集中豪雨の予報が消防署にFAXで寄せられたのに、それを職員が見ていなかったから、避難指示が遅れた」という抗議や反省の弁がテレビで流される。
もちろん、FAXを見逃した担当者は危機感が乏しかったと言われればそれまでの話で、平身低頭謝るしかない。
でもいっくら謝ったところで今では過ぎ去ったこと。どうにもならない。

問題は、それほどの重大事をFAXで送信するシステムにこそ問題ありと言えないだろうか。
何故、消防署全館に、そして全員の目にあるいは耳に確実に届くような、音声なり、画面なりのハイテク技術が導入されていないのか。
そこを問題にすべきであろう。と、実情を掌握しきっていない人間が余計な口を出すことになるのかもしれないが・・・。

企業の製造現場で働く人たちの “安全な操業” という至上命題には、それはそれは神経を使い、ヒューマンエラーに対する設備のアップが欠かせなかった。人間はエラーするものである。エラーしても、大事に至らない二次対策を講じる。それらの提案や意見具申は、現場で働く担当者の声が直接上層部に届けられる。
もちろん上層部の危機管理意識にも個人差があって、辛い思いをしたことも数知れないが。

『天災は忘れられた頃に来る』とは、かの物理学者にしてエッセイスト、寺田虎彦氏の言葉とされている。
これをよくよく調べた人がいて、実は寺田虎彦氏が、何かの文献や講義録として書き残しているわけではないというのが今日の定説となっている、という。
寺田虎彦氏の弟子の「雪の博士」にしてエッセイストの中谷宇吉郎氏が、「先生の書かれたものの中にある」と思い込んで世に吹聴してからそのようになったが、真実は別なところに・・・などとミステリックな話になっているらしい。

まあそんなことはどちらでもよろしいが「天災は忘れられた頃に来る」という言葉は絶対に忘れてはならない。
『人間は忘れるが、自然は忘れない。そして科学の法則は、詰まるところ自然の記憶の覚書である。天災の対策を科学者に求めるのは無理である。それには人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するほかないであろう』
と言ったのも中谷宇吉郎氏である。

いずれにしても、9月1日、二百十日、防災の日。
自分の命を守る行動をとるために何をするか、この日を契機に今一度確認しておきたいものである。

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