「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「時の記念日」

2022年06月10日 | 思い出話

              
                 我が家の初生り、茄子・・・おいしそう

6月10日、時の記念日は毎年この月の今日と定められている。
これは、昔むかしの大昔、天智天皇が671年4月25日に「漏刻」と呼ばれる水時計を建造し、はじめて太鼓や鐘の音によって時刻を人々に知らせたという「日本書紀」の言い伝えに基づいている。というのが定説のようである。ということは今さら言うまでもないことと思いながら蛇足までに。

今ひとつ蛇足を。天智天皇と聞くと咄嗟に思い浮かぶのが百人一首である。
『 あきのたの 刈り穂のいほの とまをあらみ わがころもでは 露にぬれつつ 』
百人一首のイの一番に出てくるのがこの歌である。
 秋の田を守る田の辺の番小屋は、もとより仮小屋なので屋根なども苫がまばらであるから、隙間から
 露が漏って、我が袖は濡れに濡れている。それに只一人で守っているのはさても侘びしいことだ。
直訳をするとこうなるが、実は「天皇の身で有りながら誰一人訪れてはこない。愛しい人も来ないのは実に寂しくて、泪が流れて袖が濡れてしまう・・・」などと人歌に歌に意訳するのではなかったかね~。

ま、こんな蛇足は取り敢えず置いといて。小学校の3年だったか4年だったか、「時の記念日」で作文を書かされたことがある。苦い思い出ゆえに記憶に残っている。
当時は遊び場と言えば学校の校庭はもちろん、畑も田んぼも自由自在の遊び場であった。ひとたび仲間がつるんで遊び始めると終わるのは際限がない。せめて日の暮れる夕方が家に帰る時刻で、それ以外は時刻だの時間だのといった概念がなかった。つまり体内時計であったり、日の出、日の入りが時間を示す概念であった。「時の記念日」と言われて「時ってなんじゃ?時間が流れるってどういうこと??」みたいな小理屈を書いたら、先生からは「分かりにくいよね-」と半分褒められたが、家では親父に「こんなことを書くな!」と叱られた思い出がある。時間って何もの?今もって時々、その昔の概念に引き戻されることがある。

要するに生まれてから、80年という月日が流れて、80歳という高齢者になったのよ。それが時間の流れっちゅうもんよ。てな調子で、あまり考えないことにしている。ややこしくなるから。

それより、4月の半ばに初挑戦で植えた茄子の株が、我が家の菜園で2ヶ月を過ごすことで、見事な初生りを見せている。2ヶ月間という時が茄子の株を太らせ、実を付けた。これが時間の経過っちゅうもんよ。そううことにしておこう。

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