「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「隣家の訃報」

2021年09月28日 | つれづれ噺

               

1年中で最も寒いと言われる2月半ば。お隣のご主人が医療センターに入院された。数年前のバイク事故による腰痛の後遺症が思わしくないという理由だった。そこそこの治療を終え、リハビリで体調を整えたら元気に退院されるものだと信じていた。

桜の季節になってもまだ入院は続いた。「いつ頃退院できそうですか」奥様の訊ねると「ほかにも色んな病気が見つかって、当分帰れそうにない」との答え。コロナ禍では病気お見舞いに行ったとしても会わせてもくれない。そりゃそうだ、病院もコロナ菌外部侵入に神経ピリピリ。家族の面会さえ制限させているのに、お隣だろうが親しい長年の友人だろうが他人の面会など一切受け付けはしない。

結局、2月の入院前以来一切顔も見ないまま、病室であの世の人となった。奥様や二人の息子家族など完璧なまでの家族葬にこだわり、通夜も告別式も他人の入り込む余地などないまま。お骨になってご帰還の仏壇に、ようやくお線香を手向けさせて頂いた次第。
家を離れている息子たちには、コロナ禍の中の葬儀に他人の参列はお断り、という世間一般の常識は徹底されていたが、ここに住み始めて26年間、互いに築き上げてきた「隣の誼(よしみ)」などという人情は吹き飛ばされた。
コロナ対策上当然なこととは承知していても、少し寂しさの残るお別れとなった。

現役の勤めと並行して新聞配達をする元気なお父さんであったお隣さん。
学年こそこちらが一級上だが、1942年生れの同い年。何を話しても、似たような時代を生きてきた二人。何かと話は合った。向こうがタチアオイならこちらはアサガオで、花比べもした。
定年退職後も続けていた新聞配達の途中、バイクで転倒し腰部を強打。ここらあたりから歩む方向が少し変わってきた。それにしても、最も身近な存在であって同い年の急逝。いろんなことを思わせる秋半ばではある。ただひたすらご冥福をお祈りするのみ。   合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい