このたびの、隠岐の島観光を思い立ったのは、歴史の足跡をこの目で確かめ、そこに立ってみる、という大きな目的もあった。
その一つが、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に追われ、流罪として隠岐の島に渡らされ、この地で終焉を迎えた史実を確かめておきたかったこと。
不遇な日々の中で、和歌を詠むことで自らを慰めたといわれる数多くの御詠が、至るところに残されていた。
❝ 我こそは 新島守よおきの海の あらきなみ風 心して吹け ”
この奥には、後鳥羽天皇を荼毘に付した「火葬塚」が残されており、祭神として祀った隠岐神社も建てられている。
ちなみに、後鳥羽天皇は、源平の戦いに敗れた平氏一門が下関壇ノ浦で建礼門院と共に入水して果てた安徳天皇の弟君である。
ついでに言うなら、後鳥羽天皇の弟君が後醍醐天皇である。そんな歴史を知ることもできた。
西の島町の國賀海岸遊覧では、目を見張る奇岩や、日本海荒波の織り成す自然芸術作品を間近に堪能。
どうすればこのような芸術が生まれるのか、不思議な感覚さえする。 まさに衣を着流したような、弁天岩の奇岩
14年前に訪れた佐渡島の尖閣湾遊覧の、度肝を抜かれた断崖絶壁の荘厳さを彷彿させる見ごたえのある奇岩遊覧。
海が少し荒れていて、今にも降り出しそうな危険な状態での遊覧だっただけに、その迫力は身に迫るものがあった。
こういった景色に出会うとまた一つ、日本は広いなと思うし、平和の有り難さを改めてかみしめる思いがする。
行ってよかった、掛け値なしに良かった。
ホテルの新鮮海産物に囲まれる夕食もまた一興。さて最後の一日はどんな歓迎話が待っているのだろうか。