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『生きる勉強』

2011-03-25 | 仏教

  『 生きる勉強 』

                     アルボムッレ・スマナサーラ

                香山 リカ 

 

   スマナサーラ長老と精神科医 香山リカさんとの対談です。

「こんなはずじゃなかった」「私はこんなことをしている人間ではないはずだ」とか

「何をしたいのかわからない」「打ち込めるものがない」という問いに長老は答えます。

大事なのは「今の瞬間」なんですよ。「今をしっかり生きよう」と。

     

スマナサーラ 私だけにしかできないこととか、死んだときに多くの人に泣いて惜しまれたいというのは、結局はすっごいエゴでしょ?

香山 まあ、そうです。

スマナサーラ つまりは「エゴ」っていうのはどれほど人を破壊するのかということですね。そういう人々はエゴをなくさなきゃいけない。巨大な、妄想的なエゴをもっていて、何ひとつやらない。結果はゼロ。水一杯もろくに飲めない。テレビ番組ひとつもろくに観られない。新聞・雑誌・漫画も読めない。外に行っても、たとえば花が咲いているのに、それを見て「ああ、きれいだな」という感じが出てこない。おもしろくすればなんでも世界がおもしろいんですよ。ところがうつなどで精神科へ相談に来て「こんなはずじゃなかった」「替えのきかない人になりたい」とか言うのはね、あまりにもエゴというすごい妄想で、恐ろしいことになっている。現代の知識ではエゴはそれほど大きい問題とはみていないかもしれませんけど、仏教からみればエゴはとんでもない病気だとします。ものすごく恐ろしい病気です。すべて失いますからね。

香山 すべて失うのと反対の「よく生きる」というのが、「今、この瞬間を生きる」ということになりますよね。長老がおっしゃる「今、この瞬間を生きる」というのは、エゴという恐ろしい病気への有効な対処法だということですか?


スマナサーラ 狙いはあります。「今、この瞬間」に集中すると、※渇愛が働くだけの時間的余裕がなくなるんですね。渇愛が働きだすまでには長ーい計画が必要ですから、その時間がなければ栄養失調状態で渇愛は働きません。だからテレビを観ることでもいいんですよ。「今、忙しい」と、目の前のこと自体で満足していれば。それに充実感を感じて、脳がいろいろなエネルギーを出してくれる。そうなれば「あえて楽しもう」とか「退屈だ」とか思う暇もなくなるんです。

香山 ああ、なるほど。脳が忙しくしていると。

スマナサーラ 脳には「充実感」というフィードバックが栄養なんです。「楽しみ」も必要なフィードバックですけど、そこにはちょっと注意が必要なんです。楽しければなんでもいいというものじゃないんです。パチンコ中毒でいいわけじゃない。楽しみには正しいものも、よくない危険なものもあります。そこにちょっと学ばなくちゃいけないんです。

香山 その充実感というのは、正しい楽しみ、つまり限度を越えると中毒になるような楽しみではなくて、好きだったり興味をもてる何かをやることですか?

スマナサーラ いえ、もっと単純に「しっかり行う」ことですね。別に充実感を狙って頑張るわけじゃないですから。歯を磨くのもきちっと意識を集中して行う。テレビを観たり漫画を読むのも、きちっと集中して観たり読んだりする。誰かの話を聞く場面ではしっかり聞く。そういう・・・・・瞬間、瞬間。どうせ死ぬまで生きているんだから、瞬間、瞬間を無駄にしないで生きましょう、というだけのことなんです。

 

*「渇愛」には3種類あります。ひとつは五感から刺激を受けること。食べたり、映画を観たり、結婚して家族をつくったりして楽しむ世界。で、そのために生きてみるということ。二番目は存在欲です。とにかく生きていきたい、死にたくない。というね。三番目は破壊欲なんです。殺してしまいたい、という。ひとつの言葉で三面です。三面のプリズムみたいなものなんですね。渾然一体で、同じものの三つある側面がかわるがわる現れる。立体の三角錐みたいなもの。

 

   「 今ここで 」 生きる勉強ですね。

 

                            

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