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『ノルウェイの森』

2010-12-27 | 映画

『 ノルウェイの森 』 

 監督

   トラン・アン・ユン

 
原作

  村上春樹

  出演

  松山ケンイチ(ワタナベ)
  
  菊地凛子(直子)
  
  水原希子(小林緑)

  霧島れいか(レイコ)

  他

  

 

   最愛の人を亡くした時 

どんなふうになるだろう?

  その時から、どう生きようとするだろうか?

時の流れ が教えてくれます。

できれば 一人でみた方がいいような作品です。

 

直子 「わたし、あなたの話かたが好きよ」

と主人公 ワタナベに言います。

ワタナベの 話かた なんか物静かでいいんだなぁ~。

言葉も洗練されてます。

一見すると  どろどろした恋愛世界を

ワタナベの話かたがさらりとさせているんだなぁ~

 

直子「あなたはいったいどこにいるの?」

ワタナベに問いかけます。

この問いかけって 映画をみているすべての人に

問いかけているような・・・・・・・・

 

いったい 僕達はどこの世界に意識をあわせて

今 この時を生きているんでしょうね

 


劇中でギター弾き語りで歌った

レイコさんの『ノルウェイの森』は最後まで

聴きたかったですぅ~

 

     公式HP

        http://www.norway-mori.com/top.html

 

 

     

 

    

           最後まで読んでくださってありがとうございます 

 

                 つながっているすべての人にありがとうございます 

 

 

 

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『 無我と無私 』

2010-12-22 | スピリチュアル
『  無我と無私   

                  オイゲン・ヘリゲル著

               藤原美子訳 藤原正彦監訳

                              

    ドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲルは、「禅」を理解するために

     当時の弓の名人、阿波研造範師の門下生になります。

     師範との数々のやりとり

     段階を経ての心境の変化 

     術なき術への道 はとても深いです。

          

私は言った。「離れを滑らかにするために、手をぱっと開いてはいけないことはよくわかります。しかし、そうしようと思うといつもうまくいかないのです。固く手を握りしめると、指を開く時に必ず振動が生じます。反対に、弦を握っている手の力をゆるめると、弓がまだ充分に引き絞られないうちに弦が手からはずれてしまいます。この二通りの失敗の間を右往左往していて、どうしたらよいのかわからないのです。」


師範は答えた。「引き絞った弓の弦は、差し出された指を幼な児が固く握るように、しっかり握らなければなりません。小さな手なのに驚くほどその力は強いのです。しかも指を離す時には少しも振動は起こりません。なぜだかわかりますか。子供は考えないからです。別のものをつかむために、それまで握っていた指を離すのです。意識してそうするのではなく、目的もなく、これからあれへと転々として行きます。物が子供と遊んでいるとは言いすぎかもしれませんが、手が物と遊んでいると言ってよいでしょう」


「子供の例からおっしゃりたいことはわかるような気がします」と私は答えた。

「しかし私の場合はまったく状況が異なるのではないでしょうか。弓を引いてすぐに射ないと、その張力に耐えられなくなると感じる瞬間が訪れるのです。その時どうなるかと言うと、息切れがしてくるのです。それでそれ以上待ち切れずに、どうしようもなくなって矢を放ってしまうのです」


師範は答えて言った。「難点がどこにあるか、実にうまく述べましたね。なぜ離れを待つことができないのか、またなぜ機が熟する前に息切れしてしまうのか、わかりますか。正しい瞬間に正しく射るには、自分自身から離脱しなければいけないのです。あなたはうまくいくと思って弓を引いているのではなく、失敗するのではないかと初めから身構えています。そんな状態であるのなら、自分自身を忘れて射ることができるように鍛錬するしか方法はないのです。そして鍛錬している間は、子供が手の平を開くように自然に開くことはできないでしょう。熟した果物の皮がはじけるようにはいかないのです」


師範のこの言葉がいっそう私を混乱させたことを師範に告白せざる得なかった。「つまるところ」と私は切り出した。「的に当てるという目的を果たすために、弓を引くという手段をとっているのです。この関係を無視するわけにはいきません。子供は目的とか手段などということを考えませんが、私にとってこの関係は切るに切れない関係なのです」


すると師範は声を大きくして言った。「正しく射るには無為自然でなければなりませんぞ!的に当てるために正しい矢の離れを修得しようと躍起になればなるほど、ますます離れはうまくいかず、当たらなくなるでしょう。あなたのあまりにも強い執着が邪魔をしているのです。作為的に狙わないかぎり当たらないとでも思っているのですね」


「しかし師範はよく弓道は暇つぶしや目的のないゲームではなく、生死を懸けた一大事であるとおっしゃってきたではありませんか」


「その通りです。我々師範は『一射絶命』と言います。まだこの意味がおわかりにはならないでしょう。しかし同じ境地を表現している別のたとえが参考になるでしょう。我々弓の師範はよく言います。『弓の上端で天を突き刺し、弓の下端で地を吊り下げる』と。もし矢を放つ時に振動があれば、天が弓からはずれ、地を吊るす糸も切れてしまうのです。的に当てようなどとがんばると、天と地の恐ろしい狭間に取り残されてしまうのです」

「ではいったい私はどうすればいいのでしょう」と私は思いあぐねて尋ねた。


「正しく待つことを覚えなければなりません」
「ではどのようにしたらそれができるようになるのでしょうか」
「あなた自身から離脱し、あなたやあなたのもの一切を捨て去れば、そこに残るのは引き絞った弓だけになります」


 

   今日もありがとう

           

             

            

          最後までお読みくださって ありがとう 

              つながっているすべての人に ありがとう 

                                             

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『 本当のところ 』

2010-12-17 | Weblog
            

      とあるお店で居合わせた方が

    「親を大事にしないなんて・・・・・」

     という話をし始めました。

    その方の 知り合いの家の話らしい。

    そこのお宅では、息子さん(けっこうなお年だそうです)が 

    夜 食事を終えたあと

    リビングで家族と一緒にいる母親にたいして

    早く自分の部屋に行けと 言うんだそうです。

    まるで部屋から追い出すように。

    「母親だって 本当は家族がいるにぎやかなところに 

    いたいのにね~」

という話を聞いてなぜか 自分のことを 思い出しました。

そういえば カルも 同じように 家族に 言ったことが

あります。 

「本当のところ、子どもも大人も 暗いところよりは 明るいところ

寒いところより 暖かいところ

さびしい ところより 楽しいところ  

にぎやかなところや  

なんだか ホッとするところに ずっといたい時って

あるような気がします」

 

相手を気遣ったつもりが

けっこう 自分の都合で 言っていることって

あるような・・・・・・・・・・

 

                    

          最後までお読みくださって ありがとう 

              つながっているすべての人に ありがとう 

 

 

                                       

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『誰がかまうもんか?!』

2010-12-11 | スピリチュアル

  『誰がかまうもんか?!』

             ブレイン・バルドー編 高木悠鼓 訳  

 

 一気にというよりも、休み休み読みました。

起こることになっていること以外、何も起こりません----想定されている個人は、あらゆる出来事の中の単なる登場人物にすぎないのです。ですから、どんなことも、誰の功績でも、何の功績でもありません------同じ理由によって、どんな責任という問題も、どんな失敗という問題もありません。」

 

すべての二元性は幻想であり、すべての行為は瞬間的で、そして、すべての意志は幻想です。いったんこれが理解されれば、人は自発的であろうとするのをやめます。意志が幻想であるとわかれば、すべての行為は自動的に自発的になります。同じように、すでにそこにあるものを見るために、規律、修行、手だてといった、あるいは何かの決まり文句や思考、言葉の断言(アフォメーション)を繰り返すといったような努力は、まったく必要でないということも、明確にされなければなりません。ある中国の哲学者は、「すべてはタオである」ので、タオを理解するすべての努力は、「蛇足」と見なしています。ニサルガッタ・マハラジも、そういった努力を同じような言葉で言及していたことに気づくのは、興味深いことです。

 

自分の本性を深く理解すること、ゆるぎなく確信することだけが、変容が起こるのに必要なすべてであると、普通の人が理解するのは非常に困難です。それは人が、ただ自分の個人的な努力だけが人生に何かをもたらすことができると、幼年期から条件づけられているからです。赤ん坊でさえ、自分の空腹が満たされる前に、泣かなければなりません。そして今、彼は、必要なことは理解することだけであり、さらに、「自分」によるどんな努力も非生産的であると聞かされています。これは信じられないこと、きわめて受け入れがたいことです。・・・・・・・・

 

賢者は、一片の疑いもなく、自分が行為の結果をコントロールできないことを確信しています。なぜならそれらは、全体性の中で起こるすべての行為の一部を形成しているからです。その人にできることは、ただ、自分の注意-----自分の機能する心-----を手元の仕事に集中することだけです。その結果は、当然、肉体的疲労も少なく、ほとんど精神的ストレスもなく、自然にいちばんいい状態で遂行されるのです。

 

ラメッシ そのように、私の基本は「御心のままに」です。「ということは、私には自由意志がないのだろうか?」と、人は言います。それで私は、「あなたの自由意志はいつも行きわたっていましたか?あなたはいつも自分が望むものを得てきましたか?違いますね。望まなかったことが起きたことはありませんでしたか?はい、起きましたね。あなたの経験は何でしょうか?」と言うわけです。経験から、自分が望むことが起きるときもあれば、望まないことが起きるときもあり、それが起こるかどうかは、神の意志による」と言うのです。

 

  朝、いつも車で走っている道路の交差点の信号が先の先までいっせいにすべて青になった時の美しさに見とれてしまいました。信号に感動するなんて変ですね。いままで走っていても全然気にならなかったのに。 

 

              

           最後までお読みくださって ありがとう 

              つながっているすべての人に ありがとう 

 

 

                                     

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『あなたが絶対もっている幸せのマスターキー』

2010-12-02 | スピリチュアル
『 あなたが絶対もっている幸せのマスターキー 』

                  人見 ルミ  著 

 

   インド人の師匠とはじめて知り合ったのは、ボーイフレンドFと二人で体験した50日間の長期旅行があと数日で終わろうとしている時だった。そもそも、精神世界に興味を抱いていたのは、彼のほうなのに 今度は著者一人でインドへ旅立つことになります。自分で決めていたようで、自分の力ではない何か。本当に見つけたいことをインドの賢者から学んでいきますよ。

  

 今日という日を感動して生きる

 

ガンジス河での沐浴や、気づいたことを先生に話してみた。
「なるほど、ルミもなかなかいいところに気づいたな。そもそも日本人はものを持ちすぎているんだ。情報もそう、荷物もそう。外から仕入れていると、内側にある本当の答えを圧迫してしまうんだ。内側にある
大切なものが振り回されることになる。

たとえば、ルミが持っていた手帳。おまえは手帳に来週の予定や再来週の予定を書くことで、今日という日をどう過ごしていた?」
「今日という日は、ただ一生懸命仕事をして過ごすだけで、来週のための準備もしていました。来週に撮影が入っていれば、その準備のために今日一日を使って、時間があれば再来週の準備もしていました
。もちろん、今日という日は充実していたのですが、それはロボットのように効率よく仕事をこなすことに全エネルギーを注いでいたわけです。だから・・・・・・・・・」

「だから?」

「今日という日は何も見えていなかったのだと思います」

「そう。これまでのおまえは、明日からの予定に振り回されて、その日をテイストしていなかったんだ」
「先生、テイストするってどういう意味ですか?」

「今日の日は今日を味わうためにあって、明日のことをわずらうためや準備するために今日があるんじゃないってことだ。明日のために今日があったら、その日を十分味わえない日があるんじゃないってことだ。明日のために今日があったら、その日を十分味わえないないだろう?今日一日を感動して生きることが大事なのだ」

「たしかにそうです。インドへ来て、先生から荷物も本も取り上げられて、最初はどうしようと思いました。でも、何も持たないことで、自分がその日にやりたいと思ったことができるようになり、自然のありがたさ

や太陽の力、そして水の柔らかさとか・・・・・・・感動を知りました」
「うむ・・・・・・・・今とは、〝今〟このときしかないんだよ」
そう言って、先生は優しく微笑んだ。

(中略)----------------------------

先の予定ばかり追いかけていると、その日をテイストできないどころか、誰と会って何を話したかという記憶すらあやしい。それも、手帳を見て、そんな出来事があったなあと思い出すくらいだ。

いったいいつから、そんなふうになってしまったんだろう?

少なくとも、子どものころの楽しかった記憶は鮮明だ。

夏の夕暮れのキャンプ場。井戸で冷やした西瓜を地平線を見ながら食べた記憶。自分の背丈ほどもある草野原で、日が暮れるまで隠れんぼをした記憶。そのときに着ていた服はもちろんのこと、一緒だった友達の顔も全部リアルに覚えている。

インドに来て、何の予定もなかった子どものころに近い感覚を取り戻しかけていることにはたと気がついた。

緑色の鳥たちは明け方によく鳴くこと。その鳴き声の美しさ。サフラン色の衣を着た僧侶とすれ違うときの不思議な胸の高まりや高貴な香り。ガンジス河の水はまろやかで気持ちいいということ。
あっという間に日が沈んで一日が終わってしまう。それでいて、何もかも色彩は新鮮で、ちっとも退屈じゃない。
そうだ、この感じだ。今を受け入れ、全身全霊で感動することが、自分を変えるきっかけになるかもしれない。そう考えたら、今日という日がとても愛おしくなった。


 

忍耐力を養うためには

 


「忍耐力を養うために、『他人に影響されるな』とはどういうことか、理解できません。

私は、具体的に何をすればいいんでしょう?」

「じゃあ、もう一度聞いてみよう」

そうして、また筆談タイム。

「あなたは、朝起きて、少々の食事をとり、少しの休息をして、散歩をし、夜になったらまた寝る。これを毎日続けるだけだ」

「あらま・・・・・・・・」

それは、私が最も苦手なことだった。

同じことを繰り返す単調な毎日。シンプルで淡々とした暮らし。それが「忍耐」だと言われると、私はぐうの音も出ない。

そういう生活が苦手だからこそ、日本人の旅行者と積極的に付き合ったり、先生の目を盗んで外食したり、自分の好き勝手に動いていたのに。

沈黙の行者は、さらにどんどんと書き続けた。

「自然のまま、当たり前のシンプルな生活を続けて、自分の内なる声を聞きなさい。そして、自分の内面を信じなさい。
そうした日常を少なくとも半年から1年くらい続けるだけで、あなたは土の中の養分をたっぷりと受ける。
あとは、自然に任せていれば芽が出てくる。発芽のあとは、太陽のもとで思いきり輝くことになる。そのときには、すでに忍耐は身についているから、自由に活動し続けることができるだろう。魂の成長には、た
とえ暗くとも、たっぷりと土の中で養分を吸う時間が必要なのだ」


 

 
  何も特別な事をしなくても忍耐力を養うことができるんですね~。

   

              最後まで読んでくださって ありがとう 

                               つながっているすべての人に ありがとう 

 

                            

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