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『 淡々と生きる 』

2012-02-11 | 生き方

『  淡々と生きる   

                    小林 正観 著

                                            

 

   風雲舎さんから出た新刊です。カルが大好きなタイトルです。

じっくり読ませていただきました。

『淡々と生きる』という本のタイトル通り テーマからぶれていないです。

全編をとおして 正観さんの心境が 伝わってきます。

今回は 「千利休」からUPしますね。 

 

新しい茶葉に六十度のお湯を注ぎ、一杯目のお茶を出します。このお茶は甘い。ぬるいお湯で入れたお茶は甘い。同じ茶葉で、甘いお茶が出たあとの二杯目を、十度高い七十度ぐらいのお湯を注ぐと今度は渋みが出ます。甘さよりも渋みが出る。お饅頭などを食べたあとは、この渋みのところが好きだという人もいます。そしてさらに十度高い八十度ぐらいのお湯で三杯目を出すと、今度はお茶の苦い部分が出てくる。苦みです。さらに、九十度以上の熱いお湯で四杯目を出すと、もう甘みもなく、渋みもなく、苦みもない、色だけのお茶が出ます。これが出がらしです。

四杯目のお茶以降はもう出がらしで、かすかに色が付いているだけ、千利休は、この四杯目以降のお茶、甘みもなく、渋みもなく、苦みもない、かすかに色がついているだけの茶の味を、「淡味(たんみ)」と呼びました「淡々と」の「淡」です。淡々とは、〝水が静かに揺れ動く〟という意味で、静かに安定している状態です。この淡味は、甘さも、渋さも、苦みもなくなって、ただのお湯、白湯(さゆ)に近い状態です。

利休は、「この淡味のよさがわからない限り、お茶は永久に理解ができない」と言っています。
利休は、出がらしのお茶のおいしさがわかるようになれと言った。じつはこの出がらしのお茶のおいしさとは「感謝」です。茶道は、お茶をいかにおいしく淹れるか、いかにおいしく味わうかの道ですが、それを
甘い、渋いと言っている間は、まだ本質がわからない。四杯目以降の出がらしで、淡味のお茶をいかに味わえるか、それをどう喜びとすることができるか、つまり感謝することができるか。そこで、本当のおもしろさがわかる。

~省略~

お茶をたしなむ上で、器が良いとか、作法がどうとか、茶葉がどうとか、おいしいとかまずいなどと言っているうちは、まだまだなのだと利休は言いたかった。お茶の道を求めていくと、その究極は、出がらしです。出がらしがわかるようになったら、べつに茶道をやらなくてもいい。

これを人生に置きかえていえば、朝起きて、仕事をして、帰ってきて、夕食を食べて、テレビを見て、寝て、また翌朝が来て、また仕事をして、また夕食を食べて・・・・とそういう日々が繰り返されるなかに、人生のおもしろさや、幸せや、贅沢感というのがある。淡々と生きていくなかにこそある。人生を、やれ楽しいの愉快のとはしゃいで、「どこそこに行ったからおもしろかった」「あそこに行ったらステキだった」などと言っている限り、本当の人生はわからない。淡味がわからない限り、人生は永久にわからない、ということです。

「人生の本質は、淡味にあり」です。

「淡々と生きる」ことです。

 

 

    「淡々と生きる」中での 今この時の気づき 大事にしたいですね

                

            

          最後までお読みくださって ありがとう 

              つながっているすべての人に ありがとう 

 

 

                                             

 

 

 

 

 

 

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