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『母なる宇宙とともにⅡ』

2008-01-28 | スピリチュアル

母なる宇宙とともに(かんぽうサービス)

             『 母なる宇宙とともにⅡ 』

                塩川香世  著 

   宇宙ってお母さん?

 自分を生かすエネルギー

 宗教的な表現に、「私達は生かされている、許されている」というものがあります。この学びの中においても、そういう表現がされてきました。しかし、何によって生かされているのか、許されているのかということは、その言葉を耳にする人の心の世界によって、全く違います。


私自身は、私は自分に生かされ、許されていると、心で解釈しています。自分を生かすエネルギーの存在を確認しています。つまり、「私」という存在を、肉の私は知っているのです。


私は消えても、「私」は消えてないことを感じています。「私」はエネルギーだからです。そのエネルギーによって、私は生かされているし、許されています。また、私は「私」の仕事の妨げにならないように存在していくことを、喜びとしていることも感じています。私の喜びは「私」の喜び、私の幸せは、「私」の幸せだと、そのように感じられるのです。


私はひとりではありません。いつも、「私」とあります。そして、私の心の中の隅から隅まで、奥底まで、「私」は知ってくれています。どんなに無様な私でも、「私」は心から、私を歓迎してくれています。


このようなパートナーは、他にありません。私は、自分の人生の時間の中で、数々のパートナーを求め、また組んできました。そして、そのすべてが、失敗に終わりました。どれだけの固い契りを交わしても、結局は、互いに裏切っていくことを、数知れず体験してきたのです。もちろん、ここで言うパートナーとは、肉の人間だけではありません。宗教の世界で使われている、いわゆる神、仏、宇宙のパワーも含めて、数々のパートナーを、私の心は求めてまいりました。


ようやく、今世の時間の中で、私のパートナーは、唯一、「私」であるという結論を、自分の中で見出せたのです。
「私」とは、まさしく私を生かすエネルギーでした。そうです、私は、「私」だったのです。


ところで、あなたは、これまでに、「お母さんに産んでいただいてよかった」と本当に思ってこられましたか。また、自分を生かすエネルギーがあることを、日々の時間の中で、感じられたことがありますか。
あなた自身、自分を生かすエネルギーと出会うことができたなら、必ず、あなたの物の見方、考え方、価値基準は一変すると思います。
もちろん、幸せの基準も喜びの基準も、変わってきます。
外からは、以前と何ら変わることはなくても、中は変わっています。いわゆる私の目と「私」の目で見る両方の世界を知っていくからです。

ある時期は、それが自分の中で混乱しますが、それもやがて、「私」の目から見る世界が本当の世界だと、自然に心で理解できるので、混乱はほんの一時期です。
それから、どんどんどんどん、本当の世界が心の領域を占めていきます。私の中にあった価値基準が、どんどんどんどん入れ替わっていくのです。
その作業を推し進めていく中において、私のパートナーは「私」であるとの結論に達すると思います。


「私」は、お母さんであり、アルバートであり、母なる宇宙であることを知っていきます。
本当の幸せと喜び、温もり、安らぎを知った心には、肉だけのそれらのものが、どれだけ安っぽくて薄っぺらなものなのか、はっきりと感じられるのです。
肉は、人恋しさから人の温もりを求めていきます。
「心を癒してほしい、温もりに包まれたい、優しい言葉をください、優しくしてください」と縋(すが)っていきます。
助けを、救いを、そして、パワーを求めていきます。
しかし、それらのすべてが間違いだと分かってきます。


私が「私」を知らずに、存在してきた間違いを、「私」が私に、ずっと伝え続けてきてくれたことを思うにつけ、私は「私」に感謝しかありません。ありがとうの言葉と思いしかないのです。

  >私は、「私」だった。っていえるのは自分を生かすエネルギーの存在を感じているからなんでしょうね 

  

               今日も読んでくださってありがとうございます 

                                  つながっているすべての人にありがとう 

                             

 

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『いのちの輝き』

2008-01-21 | 健康

いのちの輝き(翔泳社)

           『 いのちの輝き 』

               ロバート・C・フルフォード&ジーン・ストーン著

                         上野圭一訳 

  <著者紹介>フルフォード〉医師。1941年より生命力を根幹に置いたオステオパシーと呼ばれる独自の治療法を行い始める。

 進化についてです。    

進化

 世の中の問題はすべて人々の想念パターンから生まれている。自分の過去の行動や経験をふり返ろうとしない人たちがいる。人生はいましかないと教えられ、いまからの努力しだいで将来の成功がきまると信じこんでいる人たちがいる。過去の行動が現在の問題をもたらし、将来の問題にまでつながっていることを立ち止まって考えようともしない。  それらはすべて、その人たちの固定した想念パターンの産物である。


 物理的・心理的とを問わず、トラウマが神経系に刷りこまれるものであることを知っている人はひじょうに少ない。だが、過去の経験からくる否定的な影響をとり除くことができれば、からだの生理的作用が変わり、進化にたいしてももっとオープンになることができるのだ。そうなれば世界にたいする態度が変わり、生命エネルギーの輝きや、からだのなかで共鳴しているより微細なエネルギーの放射が感じられるようになる。

 自分が大いなる進化のなかにいると気づいたとき、人はどう変わるだろうか?
たとえば、その人は弾むように軽やかに歩くようになる。たえず自然の美のエネルギーを吸収しているからだ。たとえまわりが自然に無関心な人たちばかりという環境にいても、ささやかな自然にひそむ細部の美の多様性に感動し、こころを打たれるようになる。そして、自然とのつながりはますます強く、豊かなものになっていく。
 その人はまた、自己を表現することによって進化をかたちにあらわすようになる。自己の内なる健康を外部の世界と交流させるようになる。人を助けることに喜びを見いだすようになる。もとめられる前に、進んで手をさしのべるようになる。


 健康であることの大切さは、ただ自分のためだけではない。自分の健康はある意味で、すべての生き物の健康と進化につながっているのだ。われわれはともに、この世界をわかち合って生きている。あらゆる生き物が平等に、宇宙の力に頼って生きている。だから、地上に生きる目的のひとつは、われわれすべてがひとつの存在であるという事実に気づくことにある。世界から孤立し、かつ健康であることはできない。進化した社会では、人は自分を愛するように敬意と関心と配慮をもって他人を愛する。自己の想念パターンにたいする高い制御力をはっきりと外にあらわす。他人が自分を思いやってくれる以上に他人に思いやりを示す。というのも、人が他者のなかにつくる否定的な想念は、その当事者だけではなく、社会全体にとって有害なものだからである。


 進化した社会では、人は地球にもっと敬意を払うようになる。人間の健康が地球の健康に支えられ、自然のなかにあるエネルギーが人間のなかにあるエネルギーであることを知っているからだ。

    この本の8章に、神経系、筋肉系に即効性のある簡単なストレッチが紹介されています。え~こんな簡単な方法で~と最初思ったのですが、やはり続けることで、生命力を高めてくれるらしい。

                     

              今日も最後までお読みくださいましてありがとう 

                                      つながっているすべての人にありがとう    

 

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『アース earth』

2008-01-16 | 映画
 『 アース earth 』 

監督:アラステア・フォーザギル コンダクター:渡辺 謙 

制作5年、撮影日数のべ4500日、世界に数台とない防振装置、1秒間に2千コマ以上もの撮影が可能な超ハイスピードカメラなど最新の撮影技術で捉え、最高のハイビジョンで放つ映像の数々。

   地球46億歳-------

   どんなストーリー? 

   生命(いのち)の旅かな~生きていることを実感。

    家に帰ってから、映画のシーンを思い浮かべた時に

   気がついたのですが、

    オアシスを求め砂漠を移動するアフリカゾウの群れや

    北極グマの母子が足元で溶けてゆく氷に往生しつつえさを求めていくシーン

    渡り鳥が、ヒマラヤ山脈を越えるシーン

    ザトウクジラの母子が熱帯の海から南極へめざすシーン

   そんなシーンには、無言のエールをおくっていました

   映像には、渡辺謙さんのナレーターがあっても

   生き物同士ののセリフがない セリフがないんだけれど

   思わず、エールをおくったり、会話をさせたり

   していたんですね~

       私たちの知らないところで繰り返す生命のサイクル

       生命(いのち)輝け!

       輝け生命(いのち)!

              生命(いのち)ありがとう!

   

  

             『アース earth』 HP ⇒ http://earth.gyao.jp/

 

                  最後までお読みくださいましてありがとう 

                                つながっているすべての人にありがとう 

 

 
 
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『毎日をいい気分で生きる小さなノート』

2008-01-12 | 生き方

 毎日をいい気分で生きる小さなノート(三笠書房)

            『 毎日をいい気分で生きる小さなノート 』

                 クリスティン・カールソン著 服部千佳子  訳 

   「いい気分」が伝わってくるような・・・・・・。

  自分の心とアクセスしてますか

すべての人はきれいな心で生まれてきます。
でも、生きていくうちにネガティブな感情や、マイナスの習慣によって、心に少し「しみ」がついてしまったりします。
 この「しみ」を放っておくと、インスピレーションがわかなくなり、創造力も落ちてしまいます。つまり、自分の内面とアクセスできなくなってしまうのです。
「では、どうすればいいの?」
キーワードは、「心を静かに」です。
 心を静かにして、内側に意識を集中すると、頭の中から雑音が消えていきます。すると、ほんとうに大切な何かが浮かびあがってくるのです。
 これは「今という瞬間」と一体になっているということでもあります。
内面を見つめて生きている人は、人生の方向に迷わなくなり、穏やかで、忍耐強く、愛情深い人間関係を築けるようになります。思いやりと理解力にあふれた人になれるのです。

いくら聡明で、美人で、お金がたくさんあっても、心が満たされなければ幸せになれません。

自分の心を見失うと、どんな人も不安になり、憂うつになります。
しかし、内面を見つめると、成長の場は内面にあり、自分の魂を成長させることが大切なのだと気づくはずです。

 “小さな感動”に感謝しよう

ちょっとしたことに「感謝の気持ち」をもつようにしていますか?
 「何かエキサイティングなこと」ばかりに心を奪われていると、小さなことへの感動がなくなっていきます。
“小さなこと”を大切に思う気持ちは、安らぎに満ちた幸福な人生をつくるために欠かせません。
 小さなことの中に、正しいこと、美しいこと、特別なこと、神秘的なことを見つけられるのは、すばらしいことです。
小さなことの中に喜びを見つけるレッスンをしていれば、その見返りははかりしれません。人生は驚きに満ちた貴いものであると何度も感じることができるでしょう。
道を歩いていても、ゴミが落ちていると不平を言うのではなく、木や花々の色の美しさに目をとめてみましょう。 こういうふうに意識を向けていると、次から次へと感謝すべきことが見つかるようになります。

 何か大きなことがなければ満足できない人は、損をしています。でも、人生の小さなことに感謝できる人は、そのほとんどの時間を幸福に過ごせるのです。
たしかに、世の中にはひどいことや苦しいことが起こります。だからこそ、小さなことの中に感動や美点を見つけるレッスンが必要なのです。

  電車の座席の「あったかさ」うれしいですね~。

          

       今日も読んでくださってありがとう 

                                  つながっているすべての人にありがとう 

                             

 

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『偶然と幸せの法則』

2008-01-07 | 生き方

偶然と幸せの法則(かんき出版)

              『 偶然と幸せの法則 』

            安部芳明 著

<著者紹介>あべ よしあき 昭和5年北海道生まれ。中国四千年の知恵と統計学で生まれた「気学」を研究。

  「あっ、思い込みだった」なんて気がつくことありませんか~

 思い込みが、心の自由を失う

 

 仕事、趣味、食べ物などについて、人はそのほとんどを好きか嫌いかを起点に判断していることにお気づきでしょうか。その好き嫌いの気持ちを長時間持ち続けると、執着心やこだわり、思い込みが生まれ、そこからその人独自の既成概念が生じます。


良寛さんが、訪れた旅人に、
「さあ顔を洗って、足の汚れを落としなさい」
と洗面器に水を汲み与えた。旅人はありがたく思い、念入りに顔、手、そして足と洗っていたら、良寛さん曰く、
「洗うのもよいが、急いでくださらんか。おかゆが炊けないのでね」


旅人は何を言われているのかわからず、キョトンとしていたに違いない。水を汲んで顔や手足のすすぎ用に出したのは、鍋にも早変わりする代物であったわけです。
つまり顔を洗うときは洗面器であり、おかゆを炊くときは鍋にもなる。最初から、鍋だ、洗面器だと決めつけることが概念であり、洗面器では米は炊けないという不自由さを指摘した話です。その概念による思い込みをいかに捨て去るかが、自らをより自由にする道でもあるのです。


 たとえば私も若い時には、好きな女性のタイプというものもありましたが、後になって考えてみると、なぜこだわったのか、その理由がまったくわからないことが多い。強いて思いつくのは、美人、いい女という世間一般の概念に縛られていたようです。


 また趣味にしても、まず経験してみて、自分に合わないとか、楽しくないというのならまだわかりますが、一種の食わず嫌いから拒否している場合も多い。ところが試してみて、
「こんな楽しいものを、なぜもっと早くからしなかったのか」
と自分で悔しがり、病みつきになることがあります。


 何事にも、好き嫌いがあって当たり前ですが、こだわり続け、それが自分の概念として心に根を生やさないようにして、自由を得たいものです。

 

 ほとんどカルちゃんも「思い込み」で生きてますね~。ひとつひとつ問いかけていないですもんね~。そんな時、仕事でミスしたりすると「気づかされますね~」。カルちゃんの勝手な「思い込み」に。最近は、おやっ、と気がついた時には確認することにしていますよ~。

  「思い込み」が対人関係になるとどーなるか?もう体験してる方が多いのでは?

         

       今年も一年よろしく願いしま~す    

             今日も最後までお読みくださいましてありがとう 

                                      つながっているすべての人にありがとう 


 

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