陽 気 村

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『つぶやきま~す』

2012-03-26 | Weblog

 

     お茶好きの知人が おいしいから 飲んでみて 

とすすめてきたのが 〝太陽のマテ茶〟(南米のアルゼンチン、パラグアイ、ブラジルの3カ国だけでのみ生育し、「飲むサラダ」と言われているんだとか)

食物繊維がレタスの25倍も含んでいるとの表示もあります。

この味これから 人気でるよってあんまり 言うもんだから 試しに買って 飲んでみました。

どこかで飲んだことがある味 です。

確かに 飲みやすい が、それほどでもなかった。C社さん ごめんなさい。

個人的には  伊右衛門 グリーンエスプレッソ ですかね~  

                                         

 

   久しぶりにユーチューブでMJを聴きました。

「Best Of Joy」という曲があります。

ハートに響くものがあったのでUPしたいと思います。

この歌をネットで調べていくと 、

「Best Of Joyはマイケルが我々一人一人と分かちあいたいと願っていたマイケルの内面の思いを表す、マイケルの不朽の作品。マイケルはこのような美しい歌詞やメロディーをチャネルできる才能に常々感謝の念を持っていた。MJによればメロディーは太古から存在しているもので、天上に在って誰かにとらえられるのを待っているのだそうだ。彼の想像が音で表現され、それがマイケルのひらめいたイメージ通りであるとき、彼は私に穏やかな笑みをみせてくれた。「これどう?いいでしょう?」と。マイケルジャクソンの喜びは永遠なのだ・・・」

まさに 「喜びの源」 からの メッセージソング だったんですね。

 

   僕は君の喜び 最上の喜び

   僕は月の光で 君は春だ

   僕たちの命は尊いもの

   君は気付くだろう 僕はいつも君を愛しているって

 

歌詞の中の 僕は( 喜びの源 )で 君を(マインド)としてとらえてみると どうでしょうか?

 

           「Best Of Joy」 



 

    最後まで読んでくださって ありがとう 

                                  つながっているすべての人に ありがとう 

 

 

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『降参のススメ』

2012-03-20 | スピリチュアル

『 降参のススメ 』

               阿部敏郎・雲 黒斎 トークライブ

                

   お二人のトークライブ『阿雲の呼吸』の書籍版です。

面白いですよ~。

 

 阿部 :要はね「いま」って聞くと、僕たちは「いまこの瞬間」のことだと思うんだよね。

でも、「いまこの瞬間」っていうのは、つかまえきれないでしょう?
「いま。あ、いま。いや、さっきのいま・・・・」って(笑)。

「いま」って言った「いま」が、すぐに過去になっちゃうよね。

だから。だから、そういうカタチでの「いま」はあり得ないんですよ。
「いま」っていうのは「瞬間」じゃない。僕らが「瞬間」とよんでいるものも、微妙に「時間の長さ」なんですね。これが0.00001秒だとしても、それは「時間の長さ」なんです。


僕や黒斎くんが話している「いま」っていうのはね、「時間」じゃないんですよ。


「いま」というのは、この世に、時間というモノが実は存在していなかったということを、見抜いたときに訪れる、その感覚のことです。(しばしの沈黙)

(中略)


僕らは「いま」以外に存在したことなんてないんですよ。「いま」しか存在してないから。
だから、「いま」ってのは、実は「存在」ってことなんです。

あー、いいフレーズだ、これ(笑)。

「いま」ってのは「存在」のことなの。で、我々は「存在」そのものなんですよ。そして常に「いま」にしかいないんですよ。
そのことの理解が「いまここ」の「いま」です。

黒斎:うんうん。「気がついたら昨日だった」とか、「自分だけ明日だった」なんてことはありませんからね(笑)。で、「いまここ」の「ここ」も、実は空間のことじゃなくて、同じく「存在」のことなんですよ。

阿部:そうなんだよね。

黒斎:うん。それをね、皆さんにも実際に自覚していただきたいと思います。
「私、あそこにいます」という方がいらっしゃったら手を挙げてください。もしくは「私を家に忘れてきました」という方でもかまいません(笑)。


あり得ないですよね(笑)。僕たちは、必ず「ここ」にしか存在することができないんですよ。「いま」にしか存在できないのと同様に。

『いまここ』っていうのは、「自分の存在軸」のことなんです。必ず「ここ」じゃないですか。その軸を見失わずに、「いまここ」にいることができたなら、僕たちの価値観は逆転するんですよ。


例えば、僕たちが「歩く」というとき、普通の感覚でいくと、歩くと「前に進む」じゃないですか。
でも、「いまここ」という存在軸を保っていると、「私が前に進む」のではなくて、「景色が後ろに下がっていく」になるんです。私は「ここ」にしかいられないから。

昇りのエスカレーターに乗ったとき、僕らは「上に向っている」ような気がしてますけど、違いますからね。あれは、「世界が下がっている」んです。


阿部:あははは、そうそう。自分は「ここ」にいるからね、ずっと。


でも、それを忘れて逆転の世界を見てる。それを仏教では「顚倒夢想(てんどうむそう)」っていうんだよね。「価値観、世界のとらえ方が逆さまになった、幻想を見ているんだよ」って。

黒斎:ね、僕たちはいつだって「ここ」にいる。

だからね、僕はいまこうしてこの会場にいるワケですが、「僕がこの会場に来た」ワケじゃないんですよ。本当は。じゃ、真実はどうなのかというと、「会場が僕のところに来た」なんです。「僕が会場に向った」のではなく、「僕が会場を引き寄せた」なんです。通じてます?

   

      

        源(ソース)とのつながり 感じちゃいましょう!!

 

        

         最後まで読んでくださって ありがとう 

                              つながっているすべての人に ありがとう 

 

 

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『TIME』

2012-03-09 | 映画

 

『 TIME 』 

 監督  アンドリュー・ニコル

    

時計をよく見るほうですか? 

カルは見るほうですね。 

この頃の若い人は腕時計を持たないようですが・・・ 。

 

映画の中では

腕に刻まれるデジタル表示の「ボディクロック(体内時計)」を何度も見ます。なぜなら「ボディクロック」がゼロになった瞬間 誰もが容赦なく死んでしまうからです。

映画の中の世界では、時間=通貨 として生きています。 生きのびるためには、時間を稼がなくてはなりません。

そして、自分の持っている時間を家族や必要としている人に与えます。与えれば与えるほど、自分が生きる時間を短くします。

一方、時間を気にせず生きている人たちもいます。富裕層の人たちです。

映画の主人公 青年ウィル(ジャスティン・ティンバーレイク)がこの富裕層と貧困層の時間の格差をなんとかしようとするストーリーです。

さて どんな方法 で ?  それは 劇場でね!

 

普段の生活の中で、誰かのために時間をつくってあげることって

何も特別なことではなく、みんなけっこうやってますよね~。

例えば、時間のかかる仕事を自分が引き受けることで、他の人を早く帰してあげたり、料理や洗濯や買い物を代わりにしたり、車で迎えに行ったりとか・・・・・

そんなふうに 考えていくと

今、こうしてリラックスできるのも 

きっと 誰かさんのおかげだなぁ~って思えてきますね。 感謝!!

今日も ありがとう !

    

     詳しいストーリーは 公式HPで

    http://www.foxmovies.jp/time/information/trailer.html      

         

           最後まで読んでくださって  ありがとう 

 

                 つながっているすべての人に  ありがとう 

 

 
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『ただそれだけ』

2012-03-05 | スピリチュアル

 『 ただそれだけ 』

                カリヤニ・ローリー著  高木悠鼓 訳

                                            

    第一部はセイラー・ボブ・アダムソンの歩み。第二部は ボブと質問者との質疑応答です。買ってからしばらく読まずにいたのですが、興味のある方は第二部の質疑応答から読み始めたほうが 読みやすいかもしれませんね。

 

 

私とは、存在意識であり、本質なのです。私はそれ以外の何ものでもありえません。私は永遠です。永遠は測りえないものです。永遠は今です。永遠は無時間です。なぜなら永遠には始まりも終わりもないからです。

あなたには何らかの始まりや終わりがありますか?自分を実在するものと思っているあなたは、自分が始まった時間上の一点を想像することができ、また自分が終わるであろう時間上の一点を想像したり予想したりすることができます。そのパターンは崩壊し、あの本質の中へ消滅します。しかし、その中にこのパターンが現れるところのものには何が起こるのでしょうか?あなたはそのどこかに時間の一点を置くことができますか?思い出せるかぎりの昔から、ずっとあなたとともにあったものは何でしょうか?それはここであなたとともにあるのと同じ認識----認識の内容ではなく、これやあれを知ることではなく、あなたが否定できない純粋な認識そのもの、ではないでしょうか?それは真空ないし空虚なものでしょうか?それとも、そこには生き生きしたもの、生のもつ鮮明さがあるでしょうか?それは、始めなければならないものでしょうか?それは、そのそばについて造りあげなければならないものでしょうか?それとも、概念化もラベル付けもできないものでしょうか?


私たちはそれを森羅万象の中の一つの物事のように語りますが、それは物事ですらありません。なぜならありとあらゆる物事はそれの中に現れるのであり、また、それの表現そのものであるからです。そしてそれは、その多様性をフルに表現する能力をそなえています。それこそが驚きであり、もしこういう言葉を使いたいのであれば、奇跡的性質です。そのことを認識すれば、あなたは「汝、それなり」(I am That)であることを喜び、そして、あるがままの人生を生き始めるのではないでしょうか?

森羅万象の働きは休みなく起こり続けており、極と極の間を振動しています。パターンというものは、本質においては一つのものです。あなたは熱を炎から分離できますか?濡れていることを水から分離できますか?この見かけ上の身体、このエネルギーのパターンを、それを形成している空間、空気、水、火から分離できますか?このことを是非とも理解してください。それは依然として二番目のない一なるものです。


それでも、それは依然として分離した身体、分離した実体として現われ続けるでしょう。物事は依然として起こり続け、対立物のペアとして現れ続けます。もしそれがなければ、世界には何も現れなかったことでしょう。熟睡中の夢の中には、ありとあらゆる活動が現れてきます。夢の中で、あなたは都会にいたり、田舎にいたりします。山頂にいたり大海原の上にいたりすることもありますし、他の人たちが登場する場合もあります。

こうした活動はどこで起こっているのでしょうか?それはどんな実質の中で起こっているのでしょうか?非常にリアルで鮮明だった夢は、目が覚めた後、どこへ消えてしまったのでしょうか?それはどのくらい実質的で、現実だったのでしょうか?


悟りないし覚醒を求めていっても、獲得できるものは何もない、と私たちが言うとき、私たちは正直にそう言っているのです。何もない、のです。理由は単純で、あなたはすでにそれであるからです。

あなたは それ なのです。

   

     あなたも わたしも それ なんですね

                        

          最後までお読みくださって ありがとう 

              つながっているすべての人に ありがとう 

 

 

                                             

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